透けた空

冬の、膜みたいな白い雲に覆われた空を連想させる人のことを、近頃よく思い出す。厳密には、忘れた日は一日もなくて、忘れようとしたことと、無かったことにしようとした、だけ。

渇いた笑いで閉じ込めたその人にまつわる記憶とか、塗り替えていこうとした日の事とか。描き直すなら、キャンバスを真っ白にする所からやり直さないといけなかったのに。

喧嘩した事も、気に食わなかったその人の一部も、忘れたわけでは決してなくて、ただ、もうそんな全部が最初からどうでもよかったのだと気付いてしまった。それはきっとその人だけに限らなくて、何か許せない点というのは、まったく大事なことじゃなかった。

眩しすぎる夏に繋がっていく春の透明な空が苦手だ。だから、彼女が恋しくなったのかと思った。けど、たぶん、そうじゃない。好きなものって理由なんて大したことが思い付かなくて、もっと単純に、その人のことを考えてる間が楽しくて、幸せで、それだけなんだと思う。

ごめんなさい、と、謝れる事。またいつか、と言い出せる事。簡単に話すことを変えられるなんて不格好で、ダサくて、だけどその愚直さに勝てるものなんかこの世にないと思うんだ。

小さな夢が一つ叶ったり、思い描く未来に近付けたり、相変わらず失敗したり、上手くできない事に悔しくなったり。そんな事ばかりの冬だった。

間違ったことを言ってないのに、どうしたってその人が正しかったのに、社会の中でその人が「面倒」だと扱われることが、やっぱりこの歳になっても悔しかった。

どこまで考えを伝えても、手を伸ばしても、会話をしてみても、守れない人というのはいるのだと知った。守られる気など更々ない、もしくは、他のヒーローを待っている、人。視界に映った助けられそうな人は全部救いたかったけど、守れるものは限りがあるようだ。

それならば、私は、傷付いても傷付けても他人を諦められない人の味方でいられるように生きていきたい。諦めも妥協も美徳にされて、結果ばかりが大切にされるこの世の中で、失敗という結果になろうとその過程で正しかった人の気持ちを守れるようになりたい。

何かを救おうとするのは自分のためだとして、救いたいと願う対象の味方であろうとするのは、最後には自分という存在を守ることに繋がるのではないだろうか。

思えば、そんな、不器用な人ばかりが周りにいた。一年前も、何年か前も、もっと早くに気付いていたならば、今はもう少しだけ変わっていたのかもしれない。

22年間生きてきたくらいで知った気になって笑う人も絶対にいるのだけど、私はもっとちゃんと生きて来ればよかったと思ってしまうよ。

いつだって手遅れならば、遅すぎるなら、何回だって生き直してしまえばいいんだよ。この世界に身を置ける限りは。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?