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死について思うこと

先月、地球環境と予防医学をテーマにした講座に参加した。

その中で、自分の死をイメージしてみてくださいといわれ、何歳ぐらいでどのように死ぬかを想像してみた。

私は、60歳という数字と、ゆっくり死に向かうイメージが湧いた。

他の方は、80代でピンピンコロリ、90代で子どもや孫に囲まれて眠るようにと、長生きをイメージする方がほとんどだった。

そして、365日✖️残りの年数で残り時間がどれくらいあるかを可視化して、いかに健康寿命を伸ばして、施設や病院に入れられないように家族とよい関係を築き、最期を迎えるか、、

そこで感じたのは、私は長生きすることに執着がないなぁ、死に方も、ピンピンコロリより癌でじわじわと弱っていくとかの方がリアリティがあるし、死ぬ準備ができるのも悪くないということ。

できれば子どもたちが大人になるのを見届けたいと思うけど、自分の成人以降を振り返っても、生活の基盤がしっかりして本当の意味で自立するのって30代からだなぁと感じるため、60代ぐらいまで生きられたら万々歳。

結婚や孫については、子どもたちの人生の領域で私はそこまで望まない。

昔から自分が死ぬことへの恐怖心や、長生きしたいと思ったことがなかったが、それはなぜか、たとえ何歳でも地球での役目が終わったときに死ぬんだろうな、という感覚が自分の中にあったからだと思う。

それがより確かになったのは、1月に受けた谷原由美さんの、死を体験するワーク。

もともとはホスピスで働く人が、患者さんの気持ちを理解するために生まれたものらしいが、縁があり受けてみたいところ、ものすごい体験だった。

ヒプノセラピーのような言葉による誘導に沿ってワークが進んでいく。

その中で自分ががん患者になり、少しずつできないことが増え、自分の大切なもの、愛した人たちを順番に手放していく。これはとてもとても胸が痛い、苦しい作業で、皆涙ながらに行っていく。
最後に自分にとっていちばん大切にしているものがわかり、少しずつ意識が遠のき、死を受け入れて、一人で宇宙に還っていく。

死ぬ間際までは悲しさや淋しさが強かったのだけど、命が消え、宇宙の一部に戻ったことを体感すると、不思議とそれまでに感じたことのない清々しさと、深い安心感に包まれた。

何も怖くないし、これが本当。

最上級の安心感で、むしろ、地球に戻りたくない。

ひとつの人生という、長い映画を見終わったかのようで、宇宙にいるのがデフォルトでノンフィクション、地球で1人の人として生きている今の方がフィクションみたいだと思った。

あぁ、みんなここにくるのか。

それなら良かった。

一緒に体験した方も、死んだ後の予想外の心地よさ、ずっとこのままでいたいと思った、という声が多かった。

死後、本当に同じような場所に行けるかはわからないけど、私は亡くなったら誰もが宇宙の一部になるのだという確信を得て、なんだか地球にいる人って超ストイック、ドMだなと感じたし、めいっぱい、地球を存分に楽しんだものの勝ちだと思うようになった。

深刻になるのはやめよう。

こんな時に不謹慎かもしれないけど。

明日死んでも良いくらい、今日を幸せに生きよう。

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