中高生、ただ「勉強さえしていれば」いい

「学生の本分は勉強だから勉強を頑張りなさい」とかいう話ではない。

 目標を達成するための手段が「勉強」という形で明白なのが如何に恵まれていることなのか、または如何にチャンスに満ち溢れた期間なのかということを実感して欲しいという話である。
 私は家庭教師業をやっている身だが、教え子には何度もこの話は繰り返してきた。しかしながら、この「実感」がとんでも無く難しいことなのを思い知っている。言って聞かせることで「理解」させることは可能だ。でもそれは「先生が言ったから、恐らくそうなのだろう」程度のものでしかない。いくら言って聞かせたところで「あぁ、学力を上げさえすれば結果が必ずついてくるって、なんて恵まれてるんだろう!勉強すげー!」とはならない。
 教え子に、この「実感」をさせることを至上命題として指導してきたが上手くいった事例が普通の環境の子だと一つもないのが現状だ。この記事でも結論は出ないが、読んでくれた人で、親御さんや私同様に生徒を指導する立場にある方が少しでもこれについて考える機会になってくれたらと私が思っていることを書き記すことにする。

自己研鑽に使える時間が社会人より圧倒的に多い

 この期間は親の管理下にあると言える。即ち、面倒な手続きは親または学校が代わりにやってくれるということである。
 特殊な事例を除いて、例えば入学や卒業、または模試の申し込みなどの手続きは基本学校と親がやってくれる環境が殆どであろう。学校に対するあらゆるお金が、どう納められているかも生徒は気にする必要がない。要は面倒なことは周りが勝手にやってくれている環境下なので自己研鑽に使える時間が多いということだ。この自己研鑽は勉強も含まれるが、目標を達成するために計画を立ててみることも自己研鑽の一つに成り得るだろうし、休日に家族と何処かへ出かけるだけでも体験や経験を得ることが出来る。受験合格のための量を把握し最低限それだけやっていれば後は何をしても自由であり、その最低限やらなければいけないことすらも知力が高まることに繋がり結果が出るので幸福度が高まり易いとかいうイージーモードである。
※受験勉強が大変なのは重々承知です。

社会人になると・・・

 中高生の間の勉強における問題解決は既に世の中で決まっていることを学んでいるので答えが定まっている場合が殆ど。正解不正解が明白である。ところが社会人になると、そうはいかないのは皆さんご存知の通り。
 基本的には決まった道筋のない問題解決の連続。目標の大抵は顧客を満足させることに落ち着く場合が殆どだが、その答えは一意的に定まってない。そりゃあ、「顧客を満足させる」なんて抽象的な問題、一意的な答えがある訳が無い。仮に解決に至っても、どういう道筋を経たかによって満足度は変わる。(ここは数学っぽい)ある程度問題解決出来ても必ず「こうすればもっと良かったんじゃないか」という振り返りが発生してより良い解決を思考するプロセスが発生する。(これも数学の別解っぽい)
 これと比較すると方向性を定めて目標にあった適切な量の勉強さえしていれば後は何をやっても勝手に成果が出てくる中高生の期間というのは、ある意味夢のような時間と言えなくもないと思う。

指導者として

 スキルアップや日々のルーティーンの継続、新しい知識の勉強。大人になるとこれらが大事なのは、今の時代どこかで耳にすると思う。しかし、いざ行動しようと思っても様々な要因が絡み合い絡み合い中々思った通りにはいかない。「学生の時もっと勉強していれば」これを思う方は恐らく多くいることだろう。私も例に漏れずその一人だ。
 さて、そんな我々が「自己研鑽さえしていれば自然と目標に近づいて幸福度が増す、生活にも困らないぞ!」なんて社会が到来したらどうなるだろうか?私なら喜んで没頭するだろう。当然来ないが。しかし中高生の6年間だけは、それが擬似的に実現されている期間と考えることも出来るのだ。
 何か普通の家庭とは違う特殊な体験を出来る環境があった生徒だけは割と簡単に至上命題を達成することが出来る。一足早く社会の片鱗に触れたことで今まで述べてきたことを実感することが出来る経験を積んだからだ。この特殊な生徒の事例を見てると至上命題を達成することが出来た根拠がそれなのだから、一般学生無理なんじゃないかと思ってしまうが・・・。
 何とか糸口を見つけて「勉強が楽しい、面白い」と思ってもらえるよう今日も試行錯誤を重ねていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?