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不細工な家族のカタチ

子どもの頃から、あまり父は家に居なかった。


いつも思い出すのは、、、


酔っ払って暴れていた姿や


ウンコを漏らしていた姿、、、


生まれる前に、2度も車に追突され死にかけた、らしいが、知らない。


毎月なぜか母の給料日にみんなで中華を食べに行ったり、毎年なぜかいつも東京旅行へ連れに行ってくれたことは憶えている。


それでも、父と食卓を囲んだという記憶はない。


最初に違和感を覚えたのは、中学でバスケの試合に負けて「学校へは行かない!」と言って駄々をこねた時、母に「どんな教育しとるんや!」と言い放ったとき。


それでも会場へ連れてってくれたっけ、、、


高校進学の時は、県外の私立バスケ強豪校の願書を持ってハンコをもらいに行くと「誰が金払うんや!」と言われ、苦し紛れに「バイトする!」と言い放つも「そんな時間はない!」と即却下。


それでも毎試合、会場へ来てくれてたっけ、、、


大学辞める時は、朝方バイト先から帰宅すると毎日のように「なに考えとるんじゃ、ボケー!」と留守電に残されていた。


それでもシカトしてやめた。

映画創る時、まだ帯のついた百万円の札束を腹巻や靴下から出してきたのを生でみたのは、後にも先にも父だけである。


合鍵を使って、息子の家に侵入し、息子の服を着て登場したり、、、


毎日、誰よりも早く現場へ登場したり、、、


公開の時は、軽バンを購入し、スピーカーとポスターを貼り付け県内中を巡回したり、、、


それも、車輌許可を取得せず、警察に検挙されたり。


なぜか、毎日映画館へ登場し、掃除してたっけ、、、

なぜかいきなり、お客さんにまな板とまな板立て配り出したり、、、


己の仕事、ぜーんぶ投げ出して。


後で、兄がぜーんぶケツ拭いたらしいけど、、、


そんな訳のわからん父が、鬱でアル中になったのは、その数年後、、、


べろべろに酔っ払って「離婚する!」と電話かかってきたから「息子のせいであれば、やめてくれ!」と父に嘆願したのはこの時くらい。


で、毎日、父が死ぬ夢を見るようになり、さすがにムナクソ悪くなって帰郷した。


この頃、父は、トイレにも行けなくなり、本当にクソまみれになっていた、らしい、、、



母と兄が、大変だったことは容易に想像できる。


なぜか、兄が父の通う精神科クリニックで働き出したことには度肝を抜かれた。


そんな、兄が父になり、、、


母が脳梗塞で倒れ、、、


甥っ子や姪っ子が生まれて、じーちゃんになったのが転機だったのかもしれない。


海外から数年ぶりに帰国すると、、、


家の中は、カオスな動物園だったけど、、、



ぜーんぜん笑わなかった父が笑ってた。


トイレトレーニングを始めた、甥っ子。

今日も、、、


「うんち出た〜」

と聞こえたので、ドアを開けると、、、


そこには、変な歩き方をした、父がいた。


そんないつも、体を張った本気ネタを提供してくれる父が、大学紛争で1日も大学に通えずに退学を余儀なくされたことを初めて知った。


早くウイルスが収束して、フツーの日常が戻りますように、、、



#キナリ杯

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