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ドを超えた感受性の高さと人生のメリットデメリット。

私の感受性は非常に優れているらしく、恐らくそのおかげで二歳の頃からの記憶もあるのだと思う。
HSPの方との大きな違いは顔が見えなくてもリアルタイムにその人の感性が見えてしまうことやスレ違いざまに相手の考えが分かることにある。生まれつきな点もあれば、生育環境上その特性に頼らないと生きていけなかった部分も影響している。
とにかく感受性の高さが度を超えているのだ。

そういう点で行けば、乗り移ったように人の真似が出来てしまうし、感覚的に大体のバランス、絶妙なタイミングや微弱な生体電流の送受も分かってしまう。
だから、芸事で言えば特段何をしたわけでもないのに書写が上手かったり、模写が上手かったり、ダンスで言うところの音ハメが上手かったりする。
或いは、感覚だけで作詩で賞も獲っていた。
ただし、感覚だけで創作しているので、どれも本気な人に勝てる訳ではない(笑)

この特性のおかげで人を見ると初見で大体相手の情報が分かる。経験からの統計と直感で最高九割程の情報を得る。
一を聞いて十ならぬ九を知る…まさにそんな世界。
メリットは騙されないこと。相手が望んでいる言葉をかけられること。
デメリットは知らなくてもいいことまで知ってしまうこと。別に相手が悪いわけでもないと分かってはいるが、一度見たことを見なかったことにはできない。その為、身の危険を感じた私は統計的に自ら距離を置くしかない。まさかあなたの考えが読めるからなんて言えないし、結局一人で抱えるしかないからだ。
だから周りからすれば、フェードアウトする私に対し「あの子いきなり付き合い悪くなった」「何考えているか分からない」と感じるのは当たり前のことだと思う。
しかし、特に十代の頃はそうでなくても過敏な時期に当たるので、非常に生きづらかった。
その頃の私はまさか自分の特性とも知らず、なぜこの人はこんなに攻撃的なんだろう?とまるで喧嘩をふっかけられたようにキレていた。
例えば、ちょっとした言葉の言い回しの違い。「は」ではなく「が」であったことに、そういう意図があるだろうと咄嗟に思うし、僅かに目が泳いだり、口角が下がったりしたことに「は?」と思うことがかなりあった。
でもそれは、相手にとって意識していない潜在意識の部分であり、表に出そうと思ってしていることではないと、その頃の私には理解ができなかったのだ。

それは今でもスイッチの切り替えが出来ず、苦しむ部分でもある。
大人になってそれが私の特性であると知ってからは余計に口に出せなくなり、抱え込むことも多くなった。
それでIBSが酷くなったり、メンタルブレイクを起こしたりしている。

業種的にはUXの部分で非常に役立つが、心身の負荷を考えるとメリットよりデメリットの方が大きいように思う。

しかし、自分の人生を振り返りこの感受性には感謝している。
その特性で救えた命もあるからだ。
決して私が特別なのではなく、誰しもが特性というものを持っている。その特性を活かして、いかに社会に還元できるかが人生そのものなんじゃないかと私は考える。

そして自分もまた、この特性によって誰かを悲しませるのではなく、誰かを笑顔にできたら、この上なく幸せだ。




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