"本物の思いやり"

今日は朝から自分の浅はかさに気づいて泣いた。
「相手の立場を思いやる」言葉で言うのは簡単だけど、ようやくその意味を理解した気がする。
私は責めるばかりで、相手がどういう状況でそのような事態に陥っていたのか、全く配慮していなかった。どうして自分ばかりがこんな目に遭うのかと、自分にばかり視点が向いていた(自己承認の土台ができていないからそうなっているのだけど…でもこれも環境のせいにしてるうちはガキ)。
うちの両親だって、聞けば信じられないほどヤバい家庭環境である。よく生き抜いてきたなと思う。息すらできなかったんじゃないかと思う。
ちなみに妹は私のせいで本当にしんどかったはず。気遣いなのに繊細なのに地獄に引き摺り込んでしまって申し訳ない。

国公立に行くはずが高校から全部私立だったけど、奨学金を借りることなく入学できたし、食べ物ももちろん困らず、何不自由ない健康な学生生活を送れていた。何なら太ってたし。

つくづく浅いなあと思う。あまりの自分の思いやりのなさに号泣した。本当に情けない。
そんな人間として当たり前にできるようなことが全くできない、いい歳こいた娘のくせに本当にいろんな人から応援してもらっていると思う。全部持ってるのに何を欲しがるんだろうって思っちゃった。

相手の心根を読むってさ、能力と思ってたけど、まあ能力もあるけどあれが本当にできる人は”本物の思いやり”を知ってる人なんだろうなと思う。
知らないで相手を見てジャッジしているということは、その判断基準は”自分にとって都合がいいかどうか”だから、心根を読んでいるとは言わないんじゃないか。
てか本物を会得していないのにそういう態度、傲慢と分類される気がする。
私には嫌いな上司がいたけれど、まさに都合のいい悪いで判断してたから嫌いになったんだと思う。相手がどんな想いでそれを伝えていたかなんて全く知ろうともしてなかったしね。今度忘年会で聞いてみようと思う。

“本物の思いやり”の修行を絶賛させてもらってるけど、文面なら一度立ち止まれるから慮る余裕があるけど、対面で話すとなるとやっぱりそこの思考の瞬発力はまだないんだよねえ。
話した後に「ああ、あれってああいうことか…」とか、「あー何であそこでああ言っちゃったんだろう」とか、そんなんばっかり。
一朝一夕にできるんだったら苦労しないけどね。30年分のペナルティってみっちゃん先生に教えていただいたし、まあ本当そういうこと…

ASAMIさんが発信してくださる高龗様の話も”自己満”というワードが出ていて心に刺さった。
ここは私と父親よく似ているんだけど、独善的なんだよね、本当に。
優しくないとは言わないけど、自分がやってあげたい気持ちばっかり先行するから、受け手のこと何も考えられてないのよ。
本当は放っておくことが思いやりだったとしても、自分がやってあげる思いやりを無自覚で優先する。ああもう。

あと今日頭から雷打たれたかと思ったくらい驚いたのが「使命=Should」ではなくて、「使命=Should=Want」だということ。
え、みんな知ってた?知ってたか。すごいびっくりしたよ私。
気づいたきっかけは、これまたASAMIさんが発信していた「ミラベルと魔法の家」の話。
「ミラベルが自分の使命(人を励ます、応援する)に気づいていく」とASAMIさんが書かれていたけど、私の目にはミラベルは心からそうしてあげたい(し、寄り添う力がある)と思っているように見えたから、少し見え方に違いがあるなと思っていて。
お風呂で頭洗いながら「え、そういうこと!?」ってなった。
確かにみっちゃん先生に「使命は心からやりたいと思うはず」と教えていただいていたことと繋がって確信した。私はやりたいけどまだ想い浅いなあ。旅は続く。

ミラベル関連で「鬼滅隊は皆様からの応援が力になります」とASAMIさんが書かれていて、最初は文面だけ(表面だけ)受け取ってたけど、よく考えれば目に見えない世界の話理解できる人なんてこの世になんぼいるんよって話よね。
世の中の仕組みの根本部分に向き合って戦っているけど、何より目に見えないからめちゃくちゃ貢献しているのに言わないと誰にも気づかれない。
「すずめの戸締り」で草太さんは「大事な仕事は人からは見えない方がいいんだ」って言ってたけど(かっこいい)、そうかもしれないけど共感して応援して感謝してくれる人がいたら、これ以上力になることもはないよね。
心からの応援の力ってすごいね。

いろいろ考える機会をいただいているけど、この思いやりの原点として「本音に触れる」っていうのが結構重要なんだなと思った。
本音を言う機会がないと、相手のことは聞き出せない。
本音を聞く機会がないと、目に見えているものでしか判断しない(できない)。
思いやりが芽生えない。
そしてうちの家族はこの本音というのが全員あんまり上手じゃないメンバーだったなと思う。
だから投稿見てびっくりしちゃうし、泣いて怒ってびっくりされちゃう。「まず自分」っていうのは自分を認めたり可愛がることもそうだけど、まず自分から行動すると言う意味もあるのだろうなと思う。じっと待ってたって何も変わらない。行動すればよかったなって、今更思うけど…これから頑張るしかないよねえ。

よくこうやって打ちのめされる日々が続いてるんだけど、最後に少し自分のことを褒めておくと、諦めない力だけはめちゃくちゃ強いなと思う。
打たれ弱いしすぐ泣くし地獄の底まで凹むけど、絶対できるようになるまで諦めない。
そしてそこに向かうまでの行動力(挑戦力?)。
ここはお姉ちゃんだから。
自分で何とかしないと誰も助けてくれないから(笑)お姉ちゃんでよかったポイントです。
今日も時間が限られている中であと2時間で仕上げてほしいと言われた資料を、苦手なスライド資料だったけどちゃんと仕上げた。
一瞬怯んだけど、「いや、私ならできるな」ってすぐ思い直せたんだ。期待に添えるアウトプットだったようで安心した。

おかしな不安が最近起こらなくなってきた。
もっといけるなって自分では思ってるんだけど、受験のときみたいに「もう自分ができる努力は120%やったので、これで落ちたらご縁がなかったということで」と割り切っていた自分に少しでも近づけるように頑張ってます。
ここまで行けたら私は自分自身をつかみ取れると思う。
一度この状態知ってるのって大きいな。受験頑張ってよかった。

日々気づかせていただく材料があることに感謝です。
超絶思いの丈を書き綴っただけですが、何かのヒントになったら嬉しいです。 おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?