今日も得がたい時間は過ごせたか?

GW最終日。
エンジニアの卵である私は、この4連休でPHPカリキュラムを全て終わらせるつもりで意気込んでいた。神社にも行って、買い物もして、カリキュラムも完遂。これは完璧だ。

と思って迎えた連休初日、3日の夜。喘息が出た。
翌日から体調を崩すときは決まって前日夜に喘息が出る私。
嫌な予感がしつつ、もしかして最近平気だからと2日連続でコーヒーを飲んでアレルギー反応でも出たのかと思い、翌日ノンカフェインを誓って就寝。

翌朝4日早朝。眩暈がする。そして喉がしこたま痛い。でもまあ…起きれなくはない。
起きてゆるゆる外出準備をし、異変に気づく。その日外は28度あったのに、薄手のニットを着ていて寒い。服が擦れると肌が痛い。
何を思ったのか一旦某市販風邪薬を飲もうと思いつき、飲み干したところ10秒後にとてつもない吐き気に襲われ朝食ごと全て嘔吐。

やってるな。

とりあえず急ピッチで自転車で出かけて最低限の用事を済ませ、30分前に施した化粧を綺麗さっぱりシャワーで洗い流し、布団に入る。

3時間くらい寝ただろうか。
起きたら38度を超えていた。

こんなときくらいお粥を宅配すればいいのに、重たい体を押して変な意地でなぜか家にあるもので調理してしまう。バカなのか。

結局最高値は39.4度を記録、その状態が丸2日続き、今日も満足に動くことができないまま、連休が終わった。嘘だろ。

本当に私は昔から全然良くない意味で真面目で、いや、クソ真面目で、力をかけなくていいところでしこたま頑張って、頑張るべきところで力が出なくて時間も金も無駄にする。
正直この手の体調の崩し方は身に覚えがありすぎる。
で、原因も思い当たる節がありすぎる。
本当に、何をやっているんだよ。

でもこうやって軌道修正してくださるんだから、本当に一生懸命指導してくださっているのだなとも思う。感謝。今日大好きな神様の神社にだけは行けたからよかった。

今回体調を崩した原因は仕事。
自分もそう振る舞っていたし、ぱっと見は大丈夫そうに見えてたと思うんだけど、自分も含め周りの人が思っていた以上に私自身には精神的にも肉体的にも負担がかかっていたらしい。
良い方に転べばいいが、そうじゃない方向に行くと自分を苦しめる無駄な責任感の強さ。就業3日目でPMからめちゃくちゃ信頼されたところを見ると悪いこととは言い切れないが、自分を毒するほどは明らかに問題。
塩もちょっとなら体にいいけど、摂りすぎたら毒になる。
精神的に死ぬ前に止めてくださってよかった。

話は少し変わるが、最近、人を送り出すということがあった。
薄々、わかってはいたことだった。応援をしていたからこそ、どの距離感が良いのかこちらも測りかねていて、切りどころがわかっていなかった。
それは相手も一緒で、半年間、悩み続けたことだろうと思う。ご縁が切れるというのは、どれだけポジティブなことでもやっぱり寂しい。
頑張っていればいつか繋がると恩師に言われたので、それを信じて努力し続けるしかない。

少し、趣味の話を。
突然だが、私はBLが大好きだ。某漫画サイトの閲覧履歴は将来家族ができても見せられないと思う。
それは置いておいて、この連休の発熱中に明治時代を舞台にした作品を読んだ。作品も終盤、どんどん視力が落ちていく攻め(エドワード)の言葉で印象に残った言葉があった。

「今日も得がたい時間を過ごした

(刺激が強すぎるので中略)

目に映る亮二さんを記憶に焼き付ける

目など 悪くしている場合じゃない」

明治従属タングステン(下)/たつもと みお

中略した部分は(大好物な)刺激が強い描写もあるが、描いているのは人が生きていたら本当に普通に過ごすような1日のシーン。ご飯食べたとか、一緒に歩いたとか、そんな感じ。それを、亮二さんと一緒に過ごしたエドワードは"得がたい時間"と表現していたことが印象に残った。
確かに、信じられないような境遇を乗り越えてきているエドワードが、最終的に最愛の亮二さんと一緒に過ごせているから、その差を考えるとありがたみが増すのだとは思うが、今生きていることがどれだけ軌跡なのかということは、命の重さという意味では明治も今も変わらないと思う。気づけるか気づけないか人間の深さの違いだと私は思う。思うことには、思う。

で、取り止めのない話が続いたが、結局私は送り出した人との時間を、自分と過ごす今を、どれくらい大切に過ごせているのだろうと思った、というのが書きたかったことだ。

どれだけ自分を大切にしているつもりだって、体は壊す。どれだけ愛していたって、お互いを思っていたって、切れる縁は切れる。切らなきゃいけないときが来る。いつも何を見て、何を思って過ごすか。会話する人も、通り過ぎる風も、目に見える草も、どれだけ感じて毎日過ごせているか。

無論、私は全然ダメだ。超素通り。
正直、病床でこれに気づけたとて、明日から急にマスターできるほど人生甘くないと思う。これをできるようにしていくのが努力らしい。

高熱のところにも書いたが、私はこのクソ体調が悪いときにも「あまり添加物が入った食事は食べるべきではない」という教えに従って、無理を押して自分でご飯を作った。
構ってほしい人みたいだから、自分が具合悪いことも人には言ってはいけないと思った。
迷惑をかけてはいけないから、一人で耐えなければいけないと思った。

ああしなきゃいけない
こうしなきゃいけない
あれはだめ
これもだめ
しっかりしなくちゃ
我慢しなくちゃ

何のためだよ。どこ向いて生きてんだって。

実はご飯作ってるときにふとバカらしくなって、たまたまシンク下の扉を開けたタイミングで以前父にもらっていたレトルトカレーを発見したから、調理をやめてそれを食べた。
具合悪いことも、父と、このGW中に2駅先に引っ越してくる親友に言った。マジでやばいときにはお願いしようと思って。だって、私がその親友や父に頼られたらいくつか体に良さそうなご飯作って持っていくだろって。
もちろん父と親友にそこまで期待をしていたわけではないけど、(感謝があることは大前提で)ピンチのときに頼ることの何が悪いのかと思ってしまった。
自分を追い込むということは、アザだらけで立てなくなってるのにさらに暴行加えるのと同じくらい酷い仕打ちを自分にしてる、という投稿をこの前Xで見てたのにまたやらかした。はあ〜学びがねえ。
きっともっとそういう「〇〇しなきゃいけない」を私は日常でしこたま繰り返してるんだと思う。気づいてよかったよね。

これ以外にも、「漫画読んでる場合じゃない」と恩師に言われたことがあって、漫画読むこと自体が悪いことだと思っていたことがあって(これは推し活も含む)。でも良くないのは時と場合によるんだなっていうことに、これも病床で気づいた。
自分が心に引っ掛かることがあったり、やるべき課題(今の私の場合はカリキュラム)を思いっきり放置してる状態で、漫画や推し活ばかりに向かうのは良くないという話で。多分恩師はこれを言っていたんだと思うんだけど、私は見事に思考力がないせいでそのこと自体がダメだと思い込んでいた。

最近、私はエッセイ読んで推し始めたYouTuberさんがいる。自分で考えて人生をものにしているところが尊敬できるなと思ったから。そういう学びだってある。だから全部が悪いわけではないけど、私は明らかにそっちに時間を使いすぎているのでもうちょっと戒めたい。
何でこう、バランスが悪いんだろうね私という人間は。

私は太陽星座が天秤座なのもあってか、物事のバランスをすごく気にするし、きっと自分のバランスも大切にしなくちゃいけないのに、どうにも自分のことだけ崩しがちというか、いい塩梅が自分のことだけよくわかっていないという感じがする。でもこれは、繰り返し失敗して学んでいくしかない。
ので、私は明日仕事を休みます。熱下がったけど、人を不快にさせるくらい咳出るので、無理しない、絶対安静でいきます。

最後に余談。
推し活等で応援メッセージを送る人はいると思うけど、純粋な応援は応援する側が思う以上に応援される方の力になるらしい。これは、この前送り出した人が言っていた。
私も実感湧かなかったんだけど、そういえば「カービィファイターズ」というゲームで「応援ポンポン」というアイテムがあって、拾って使うと仲間の攻撃力が上がるというアイテムだった。カービィは神作品なので、つまりそういうことでしょう。
あなたも心から応援する人がいたら、ぜひ想いは形にしてみてね。

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