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藤井聡太のいる時代

愛知県瀬戸市は私の母の地元だ。
幼少期の頃から年に数回、母に連れられ名古屋から名鉄に揺られて新瀬戸駅に降り立った。
高校生くらいになってからは、隣の無人駅の瀬戸市役所前駅から、ゆるゆると続く坂道を歩いて1人で祖父母の家に行った。25年前の記憶では、陶器で有名な、のどかな田舎町だ。

年老いた母にとっては、自分の地元で生まれ育った若くて品の良い青年は、自分の息子同然、誇りでしかない。
半年前に姉の同級生が宇宙飛行士候補生に選ばれた時の嬉しそうな様子も思い出して、
母と喜びを共有しようと、図書館でこの本を借りて読んでみた。

雰囲気の素敵な若者だなとは思っていたけど、将棋については恥ずかしいほど何も知らないし、この本も2018年のものだから、先日の偉業はまだよくわからない。
しかし、幼稚園から高校生になるまでのエピソードが興味深く、子育てをする親の視点から夢中で読んだ。
感想を添えて母にLINEしたら、今朝の新聞で羽生さんの記事を読んだところだったらしく、図書館で借りて読んでみますと返事が来た。

藤井さんは、小さな頃から言葉が秀逸だ。端的でわかりやすく、それなのに時に情緒的な側面もあり、過不足ないとはまさにこういう話し方なのだと思う。
漢字からなんとなく意味はわかるけど用いたことすらない語彙が頻繁に登場して、簡潔な会話の中に込められた語彙の正しい意味を知りたく、都度意味を調べてしまった。

将棋の茫洋さについて話される学生時代の藤井さんを想像しながら、若い人の力に改めて勇気を貰ったし、若い人を育てていく世代になっている自分に焦りを感じた。





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