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異なる時間・場所なのに、体験したことがいろいろ繋がることがある。備忘録であったとしても思い出しながら明文化しておく。(次のため)

#先日の余談

<脱稿:93%ぐらい(1049W)、Twitterからの転載>

2017年11月3日、何必館で行われてた #近藤高弘 さんの展覧会に行ってから2週間以上経ってたんだけど、昨日訪れた金沢で近しい臭いみたいなものに触れたんだ。こういうのは忘れないうちに何かに残しておいた方が良いねー。

何必館の名称は「何ぞ必ずしも」と定説を常に疑う自由な精神を持ち続ける意味らしく、まず良い。
おそらく常設である北大路魯山人の作品よりも、白髪一雄の隆々とした作品と近藤さんの白磁は同じような身体性に挑む熱量が帯びていたんだ。

ちょうどその日はトークイベントがあったのだけど、ゲストの評論家の方が交通事情で遅れるということから、小一時間ほど、近藤さんによるこれまでの経緯を振り返っていただいた。卓球の実業団で世界を相手された時の練習や試合を通して、日常であった身体性が繋がっていく。

ご実家は窯元、祖父は近藤悠三(人間国宝)という環境の中、陶芸家ではなく卓球選手として過ごされていた中、25歳で陶芸の道を決意。文化庁の派遣研修員としてイギリス留学、ご実家の世間体の見方もあってか、作品の媒体として「器」から離れ、オブジェを続けられている。

初期は近藤家の伝統的な染付作品を作る時期もあったらしいが、陶やガラスが結露しているような表情を残す「銀適彩」と呼ばれる技法は確かにカッコイイ!

311の震災。奥さんのご実家が東北(宮城だったか?)ということで、その土地から採取した土で粘土を作り、器に焼いて、被災された方に使ってもらうプロジェクトは継続的に実施されたり、福井県の原発だった...荒ぶれる炎...を宿したように乱れた器には圧倒される。

その作為を超えた直ぐ、その狭間にある現象や表現は、人知もたやすく超える。大きな白磁の1つの切れ込みが入った器がある。成形後の乾燥時の粘土の収縮によって入った切れ込みだというが、なるほど、ルーチョ・フォンタナの切り裂かれたキャンバスにも通ずる、確かに腑に落ちる。

改めて「器」に向き合うにあたり、様々な技法をひと通り再確認されたという、その過程を伝えるために、幾つもの茶碗が展示されていたのだけれど、「志野」や「曜変天目」などあった中、そこでも「銀適彩」は一際存在感を出している。

直径60cm以上はある「白磁大壺」は、ろくろを使って器を作る身体的な限界にある境目だという。手の内で完璧に仕上げられる手段ではなく、あわゆくば破綻してしまう手段にこそ、その作品づくりへの経緯の跡が残っていく。良いわ...そのような体温を感じる作品に巡り会える幸せ。

<言葉> #近藤高弘  

僕のnoteは自分自身の備忘録としての側面が強いですが、もしも誰かの役にたって、そのアクションの一つとしてサポートがあるなら、ただただ感謝です。