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つながる つなげる つらなる

こんにちは。

maruねえです。

忙しく日々を過ごしているうちに、すっかり12月。びっくりするほど1年が過ぎるのが早い。年を重ねるほど時間のすすみは加速するようです。

さて、ここのところいろんな研修を行ったり、参加したり。そんな中で、ふと耳にした「支援をしたいのではない」という発言について、ちょっと考えたことを書きたいと思います。

発言者の方は、長年女性の雇用環境や制度にに問題意識を持って団体を運営し活動をされていらっしゃる方でした。「支え合う」「みんなで声を挙げていく」というスタンスで活動してきた。相談も受けるけれど、与えるだけの一方通行の支援は、支援とは違う気がしている。しかし今は相談件数も増え、メンタル関連の相談もあり、なかなか相互的というわけにいかず、相談員が疲弊する状況もあるというような話をされていました。

私も、基本的には支援はこちらからの一方通行ではなく、お互いの相互関係のなかで円環的に出来るのがいいんじゃないかな、と思っています。
だから、例え支援職だからといって、相談者に一方的なアドバイスやサゼッション、ジャッジはあってはならないと考えています。
どんなに大変な状況にあっても、過酷な状況にあっても、それを乗り越えることが出来るのは本人だけです。支援者が肩代わりしてあげることはできません。
相談者は、自分で判断し、決断し、選択すること、行動することを支持し、伴走し、必要な情報提供や連携することしかできません。
しかし、それには時間がかかる。
今、目まぐるしく情報が変化し、効率化が求められる社会で、そういったゆっくり伴走できる制度や施設は決して多くなく、公的支援においても、期間限定や効率化などを求められる傾向もあります。もう少し、長い目で見守れるような制度設計にしてほしいなと切に願っています。

先日、とある施設の方とお話をしていたときに、若者で困難家庭で育ってきた場合、回復には数年単位でかかる場合が多いということをおっしゃっていました。長く困難(被虐待体験やDV体験など)を抱えた家庭で育った場合、自尊心を取り戻して就労までの過程には、まずは基本的欲求や安全の欲求が満たされていなければ、無理やり進んだとしてもうまくはいきません。そしてそういった支援現場では、相談者同士が支えあうにはあまりにも当人同士がエネルギーが不足していて、円環的というわけにはいかない場合が多い。お互い支えあえるまでには段階が必要で、そのステップを踏んでいくためには、年単位の長いスパンでの取り組みが必要だなあと思います。

そして、支援者向けの講座などで話をするときに、「横につながれない」というような声もよく耳にします。私もNPOでかなり全国的にその分野では横につながってはいますが、分野を超えてスムーズに連携が図れることもまだまだ足りないなあと考えています。例えば、子ども分野と女性分野と困窮者支援と就労支援は、実は同一線上にあるのに、お互いの連携が行政単位では分断されてしまっているなと感じることが多くあります。これが、お互いの枠をこえて、つながってつらなって本当の意味でのセーフティネットを形成できるためには、どんなソーシャルワークが理想なんだろうと、年の瀬になってふと考えてしましました。

つなげてつながってつらなっていく。

インドラネットというのが仏教の考え方にあります。インドラの神様が地球に張り巡らした網で、その結び目一つ一つはそれぞれの形、色、大きさの宝石が編み込まれており、とても美しい。その宝石をどれ一つとっても同じものはなく、またよく見ると形がゴツゴツしていたり、一片が欠けていたり、ヒビが入っていたりするものがあるけれど、それぞれの輝きでお互いが違う光を放ったり、輝き合えている。このことを大学で学んだときに、素敵な思想だなと思いました。私自身、とてもゴツゴツして凸凹が多い人間だと思うけれども、一方で役立てるところもあり、救われることもある。ひとりひとりがひとりじゃなく、つながれている、つらなっていける、と安心して考えて、次にすすんでいけるようなソーシャルワークの仕組みづくりができたらなあと思い、今日のタイトルになりました。

内閣府でも孤立化対策を考えてはいるようです。これはチャットボットで、自分で必要な項目を入力していくと、どの窓口に相談できるか案内してくれるものになっています。まだまだ不足している情報もありますが、いい取り組みなんじゃないかなあと思います。




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