あなたと話したい
再びコロナの感染者数が増えている中ではあるが、所用のため都心部に出かけた。昼食をとるため店に入ると、注文はすべてタブレットで入力する方式、水・お茶はセルフサービス。
コロナに警戒し、発話を最小限にとどめる。
店員が一人ひとりの顧客に掛ける時間を最小限にとどめる(待ち時間を作らない)。
よく仕組化されていると思う。
注文した定食が配膳される。
一言一句正確に覚えてはいないが「xx定食です、ドレッシングが足りなければおっしゃってください」のようなものだった。
フロアを担当する店員さんが日本語を母語としないことがわかり、同時にとても丁寧に発声されている印象を受けた。
私は「ありがとうございます」と返した。
もやっとした。
これは違うのではないか。
接客業に耐えうるレベルの日本語習得に、どれほどの手間をかけたことだろう。頭が下がる。
だからこそ、その素晴らしい土台があればこそ、実地で更なる経験を積み、磨きをかける場となりうる現場で、私(達)は効率化の名のもとに自動化することで、彼/彼女たちの貴重な機会を奪っているのではないか。「道具」として扱ってしまってはいないか。
それは、俯瞰で観れば、私たち自身の首を絞めてはいないか。
自分たちの未熟を横に置き、『流暢でないから』と機会から遠ざける。
企業組織の中でも、『今、一人で完璧に対応できる状態ではないから』と機会を作らず、『人手が足りない』だの『忙しい』だのという。
機会を共有することを「<教える>自分の手間」とする誤解。
「ともに<学びあう>場」と認識できていない。
余裕もなさすぎるし、意識も浅すぎる。
定食をおいしくいただきながら、反省しきりの時間となった。
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