グリーンハウス

第一回かぐやSFコンテスト

https://virtualgorillaplus.com/1st-kaguya-sf-contest/

に応募し、

Honorable Mention (選外佳作) リスト

https://virtualgorillaplus.com/nobel/1st-kaguya-comment-and-honorable-mention/

に選出いただいた作品です。


『未来の学校』をテーマとした4,000字程度のショートショートSFとなっております。ちょっとした暇つぶしにでも読んで頂けると幸いです。

以下、本文です。

どうぞ、お楽しみくださいませ。

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 始めに、先生は言った。
「あなたたちは大人になるために学ぶのです」

 今日も巨大な壁に向かって、深いクッションの椅子に座り、『マスク』デバイスを身につける。デバイスの表面から、真新しい情報が次々流れ込んでくる。この場に居るわたしたちが、それを取捨選択する必要はなかった。乾いたスポンジが液体を吸い上げるように、脳に組み込まれていく。社会の仕組み、世界の歴史、語学、数学や科学といった、ホモサピエンスが積み上げてきた知識と知恵とその研鑽。行政、役所の各種手続き、仕事、食事、生殖、娯楽。そういう生活に必要なこと全てをも、わたしたちは一息に学んでいく。
 初めて味わった孤独とノスタルジーは、次第に情報の波に掻き消されていった。デバイスからは情報だけでなく、脳内活動や身体活動に影響を及ぼす信号が発せられているらしかった。この国に生を受けた人間は6歳になると両親から離れ学校で暮らす。それがルールだった。聞いた話では3歳から学校へ行く国もあるそうだ。おそらく、彼の国の子供たちも、わたしたちと同じように、寂寥感も郷愁も忘れていくのだろう。皆、同じ境遇だった。だから同族意識も生まれたし、一体感も結束もあった。血縁や養育関係とは切り離された共同体、『こどもたち』という名の家族だった。
 そんな家族もだんだんと変わっていった。わたしと同じ頃に学校に来た子たちは、いつの間にか居なくなっていた。
 先生の言った『大人になるために学ぶ』、その言葉に間違いは無く、むしろ額面通りのものだった。
 学校の子供たちは『ペアレント』と『スコラ』のふたつの学習プログラムを修了すると、『マスク』デバイスが抽出した脳内活動や数値化された個人の能力からそれぞれの適正を『パッケージ』システムによって診断され、各々の進む道を決定される。画一的な教育の中にあっても、人間の個性というものは生まれるのだそうだ。そうしてカリキュラムという幼年期を終えた人間は、文字通り大人になる。子供であることを辞める。精神も、身体も。
 わたしの目の前の大人は先生だけだ。同性であるせいで、嫌でもその差が分かってしまう。二次性徴を迎える間際の貧弱で貧相な身体と、すらりと伸びた四肢に柔らかな曲線を描く肉付きの良い身体。見上げた先の顔はいつでもきりりと引き締まっている。
 学習プログラムを始めたばかりの子供と、それを終える間際の子供は、当然大人に近づいてはいる。傍目に見て、顔つきや目の色は先生のそれと比べても遜色ないほどだ。それでも身体的な部分はどう足掻いても敵いっこなかった。子供たちはそうやって大人への羨望を膨らませていく。わたしも例外ではなかった。
 代わる代わるやってくる子供たちは、わたしを置き去りにして次から次へと巣立っていった。餌を強請るでもない雛鳥だけが、沈黙してそこに居る。
 先生は言った。
「あなたはどうも難しいんです」
難しい……。適正のことだろうか。先生は困ったように「もう少しだけ待ってください」と付け加えた。
 今日も壁を目の前にデバイスをつける。履修済みのプログラムを延々と繰り返す。この時間に意味はあるのだろうか。疑ってはいない。これはきっとわたしの不完全が招いたことなのだ。流れ込む情報に集中するべく、固く瞼を閉じる。
 先生が初めて私に質問をした。理論上の正解を問われることはあっても、私個人の答えを聞かれることは初めてだった。
「何かやってみたいことはありますか?」
私は酷く困惑した。ついぞ考えたこともなかった。
「分かりません。何かやるべきことはありますか?」
私は質問に質問で返した。
「やるべきこと……はありません。言葉通りであれば。けれども、やった方が良いことはあるかもしれません」
「わたしには何を選んでいいか分からないんです。何か、何かを勧めて下さい。先生。お願いします」
「…………」
先生は沈黙した。空虚な時間が流れていく。
「分かりました。では明日は別のデバイスを使ってみましょう」
わたしは沈黙で応えた。そうするしかなかったとも言えるだろう。何もかもを吸収したはずの脳が知らない言葉が飛び込んできたのだから。
 翌朝、先生に連れられて辿り着いたのは校舎の裏手にある庭だった。
「こんな庭があるなんて、知りませんでした」
「ええ。ここを知っているこどもは居ませんからね」
「わたしは知ってしまいましたよ?」
「あなたにはそれが必要なんです」
未知の空間、またこれから行われるであろう未知の試みへの不信感も相まって、わたしには先生の言葉の意味を汲み取れなかった。
「さあ、いつも通りに座ってください」
促されて、腰を下ろす。想像以上に沈み込んだ身体に驚いてしまう。慣れ親しんだあの椅子とは別物の感覚だったが、不思議と悪い気はしなかった。
「それじゃあ、デバイスを下ろします」
「下ろす?ですか?」
「いつも使っているデバイスとは様式が違うんです」
身を乗り出して問うわたしに、幼子を宥めるように先生は答える。
 乖離した高低差を持つ動作音が頭上から降りてくる。眉でも顰めていたのだろうか。「すぐに慣れます」と先生は言った。
 デバイスは椅子とそれに身を預けるわたしを完全に取り囲む形になった。いつもの壁と同じに視界を塞いでいるが、息が詰まりそうな距離にそれがある。少しの明かりもなかったが、確かな圧迫感を肌は感じていた。先程からの耳を擦るような音も鳴り続けている。知らない体験の中で感じていたのは不安でも期待でも興味でも、ましてや恐怖でもなかった。『慣れる』という先生の言葉通り、閉塞感も今知ったばかりの肌触りも、気にならなくなっていた。むしろ安心感さえあった。おそらくは既知のデバイス同様、神経伝達物質への影響を及ぼす何かが作動しているのだろう。徐々に瞼が重たくなってくる。全身が湯に浸かったときのような柔らかな窮屈さと、エアー・ベッドの上にいるときのような軽やかさに身を委ね、わたしは眠りに落ちるように意識を手放した。
 夢を見ていると錯覚しそうだった。知識の上でも、実際の感覚としてもだ。あまりにも鮮明な五感。記憶や意識の中の出来事が体験になる。水面の波紋のように只あるがままでいると、渦潮の如く深部へと誘われる。わたしは女の腕の中に居た。そう五感はわたしに伝えた。朝日の曖昧で薄絹のような光と、四肢の末端から侵食する甘い暖かさ。どこまでも滑らかな優しい大気。プログラムが上書きしたはずのノスタルジー……剥がれた塗装の向こうに隠された絵画が発掘されるように……わたしは母を再発見した。
 わたしは本当に眠ってしまっていたようで、覚醒したときには、真上に開いたデバイスが陽を隠すほどの時刻になっていた。あれは夢ではない。そう確信していた。眠りの中の体験ではない。間違いなくわたし自身がこの身体と明瞭な意識で体験したものなのだと。
 これは未だかつてない感覚だった。今まで装着し続けてきた『マスク』デバイスは、何も情報だけを矢継ぎ早に送り込んでくるだけのものではない。経験も同様に脳に刻む。そう認識させる。わたしが今、先程の体験を反芻しているように、『マスク』デバイスが入力したものも同じく反復して思い出すことができる。だか決定的に何かが違っていた。その何かが、わたしには分からなかった。
 再び筐体のデバイスを使うことはなかった。同じ壁に向かって、同じ椅子に座って、『マスク』デバイスから垂れ流される情報を受け取るだけの日々。そんな時間の中にあっても、あの体験は風化することなく、また塗りつぶされることもなく、わたしの内に存った。この強烈な記憶の意味を、わたしは追求し続けた。
「先生。わたし、やりたいことが分かりました」
わたしから先生に話しかけるのは初めてだった。不意に声をかけられたからなのか、あるいはその発言の内容に驚いたのか、どちらにせよ酷く目を見開いてこちらを向いた。
「そうですか。聞かせてもらえますか?」
いつもの淡白な口調で促される。
「わたしは母になりたい。そうなんだと思います」
先生は沈黙した。
「間違っていますか?」
「先生?」
「……母親になるには、まずは大人にならなくてはいけません」
開いた口から発せられたのは、むしろわたしを閉め出すような言葉だった。
「大人には、どうすればなれますか?わたしにはないんですか?どんな適正でもいいんです。わたしには大人になる資格がないんですか!?」
声帯が跳ね上がる。ビリビリと喉が痛む。鈍い耳鳴りが頭蓋に響いている。
「適正は私たちが判断します。あなたはそれを待っていてください」
握り込んだ拳の熱は冷めなかった。

 あの庭は今はもうない。筐体型デバイスと共に焼き払われて、灰と骸だけが横たわっている。学舎の壁は塗り直され、ガラス窓も取り替えられた。宿舎もより快適に再建された。そこで暮らすこどもたちも幾度となく代替わりしていった。
 デバイスと、わたしだけが変わらない。
 わたしは未だ、大人になれないままでいる。



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最後までお読みいただき、有難うございました。


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