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宣言する奴はバカ

「明日からダイエットします!」

宣言するより先に痩せろと思う。

人はお腹が空くと「腹減った」しか口にしなくなる。

「腹減った」と言ったところでお腹は一向に満たされないし、そのことも承知で「腹減った」しか出なくなる。周りに誰もいなくても言う。

人は感情を口にしたくなる生き物だ。

疲れた。面倒くさい。ダルい。

痛い。暑い。寒い。

言ったところで問題はなにも解決しないのに、足をぶつければ「痛!」と叫び、8月になれば「暑!」と100回は言う。エアコンが効いている場所に入れば「涼しー!」とやっぱり言う。

感情を口にしないとストレスを感じるのかもしれない。インターネットはそのはけ口としてうってつけだ。だから今日もどこかで誰かが誰かを口撃し、それはやがて世論となった。

痛みや気温など、状況や環境から来る高まる感情ならまだしも、脳内で完結する感情は宣言になりやすく、人を白けさせる。

本を読み、テレビを見て、誰かと話して、感情が高まり、急に宣言する。

宣言することで、プレッシャーを自分にかけるというメリットはある。

しかし、付き合わされる方の身になれば面倒極まりない。面倒極まりない、と口にできないからストレスだ。

これをやろうと思うんだけど、どう思う?という相談ならまだいい。報告・連絡・相談なら、相手がありきのことなので許される。しかし、宣言は実に一方的だ。

「重大発表があります」

という釣りの一つや二つできる図々しさがないとYouTubeは続けていけないが、これも苦手だ。LIVE配信で酒を飲んで醜態を晒すことはできても、これはできない。

「アカウント開設しました!フォローしてね!」

これもできない。

例えばお店の新規オープンならすでに営業しているから有用な告知になるが、アカウント開設はそこにまだなにもないので、有用性を感じない。

履歴書も持たずに面接に来られたようなもので、君はなにをしてる人なのと人を和田アキ子化させる。アカウント解説は、ある程度のコンテンツを量産してはじめて伝えるべきことではないか。

有名人なら許される。

それは告知であり、報告であり、ファンとしては嬉しい便りになるからだ。あっ、まゆたんInstagram始めたんだ、フォローしよー、と。

そんな有名人でもいらないと思える宣言が、誕生日だ。

「今日は誕生日!親に感謝の気持を込めて」

そんな投稿する暇があったら親に感謝の弁を述べに行けと思う。お前がそんなキレイな姿形で偉そうに人生謳歌して一丁前に投稿できるのも親のおかげだろう。

誰かが亡くなるとこぞって有名人らは生前のその人との写真を添えて投稿するが、それは、今話題のあの人と俺は知り合いだったんだというアピールに見えてしまうのは、私の心が淀んでいるからに違いないが、しかし故人からすれば、線香の一つでも立てに来てほしいと思うのではないか。親指一つで完結させられるより。

人は感情が高まると声にする生き物だが、過程より結果を求める生き物でもある。

これから東大に行こうと思います!という人より、東大に行った人の話を聞く。これから金持ちになります!と言う人より、年収一億円の社長が語る~とついた見出しに飛びつく。

夢は大いに語るべきだが、結果が重要であり、例え失敗しても構わない。毎日これだけやったけど、全く痩せなかった、というのも立派な結果だ。

なにもしてない人間の宣言に価値はない。そこにはまだ、過程すらないから。

どうも私には宣言が不要に思えてならない。

という宣言である。

サポートしてくれたら今日は「麦とホップ」から「エビスビール」に変えます。本当にありがとうございます。