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「日本のいちばん長い日」への序章

昭和20年8月10日「聖断」

序章の一節

 「日本のいちばん長い日」
 令和3年1月12日亡くなった半藤一利氏の,言わずもがなの代表作。
 昭和20(1945)年8月14日から翌15日にかけた1日を「いちばん長い日」とする同作。そのプロローグにて下記のごとく数行で描かれている,同月10日,ポツダム宣言受諾の第一報が敵国アメリカやイギリスに伝達されていく様が,本稿のテーマ。

(昭和20年)8月10日午前7時,国民がようやく寝床をはなれはじめるころ,一条件ともいえる「天皇の大権に変更を加うるがごとき要求は,これを包含しおらざる了解のもとに」ポツダム宣言を受諾する旨の電報が,中立国のスイスとスウェーデンの日本公使に送られていった。スイス公使の加瀬俊一がアメリカと中国へ,スウェーデン公使の岡本季正すえまさがソ連とイギリスへの通告をうけもっている。
半藤一利「日本のいちばん長い日」32頁

ポツダム宣言

 「序章」に至るまでの簡単な経緯。
 昭和20(1945)年7月26日,アメリカ,イギリス及び中華民国の3国によりポツダム宣言(三国宣言)が発せられる。
 同年8月6日08時15分,広島に原爆投下。
 同月8日23時(日本時間),ソ連が対日宣戦布告,同時にポツダム宣言に加わり,翌9日未明から満州国等への侵攻を始める。
 同月9日11時02分,長崎に原爆投下。

聖断

 日付が変わった同月10日0時03分,いわゆる御前会議が開催されるが,以下「昭和天皇実録」を引用する。
 なお,「昭和天皇実録」は,宮内庁が平成2年から24年間の歳月をかけて編纂した昭和天皇の伝記であり,平成26年8月に(当時の)天皇皇后両陛下に奉呈された。これを,平成29年一般向けに東京書籍が発刊したもの。

最高戦争指導会議に臨御
10日 金曜日 午前零時3分,御文庫附属室に開催の最高戦争指導会議に臨御される。出席者は,内閣総理大臣鈴木貫太郎・枢密院議長平沼騏一郎・海軍大臣米内光政・陸軍大臣阿南惟幾・外務大臣東郷茂徳・参謀総長梅津美治郎・軍令部総長豊田副武,及び陸軍省軍務局長吉積正雄・海軍省軍務局長保科善四郎・綜合計画局長池田純久・内閣書記官長迫水久常にて,侍従武官長蓮沼蕃が陪席する。
受諾条件をめぐる外相案と陸相案の対立
会議ではポツダム宣言の受諾につき,天皇の国法上の地位存続のみを条件とする外務大臣案(原案)と,天皇の国法上の地位存続,在外軍隊の自主的撤兵及び内地における武装解除,戦争責任者の自国における処理,保障占領の拒否の4点を条件とする陸軍大臣案とが対立して決定を見ず。
首相より聖断を仰ぐ
午前2時過ぎ,議長の首相より聖断を仰ぎたき旨の奏請を受けられる。
外相案を御採用
天皇は,外務大臣案(原案)を採用され,その理由として,従来勝利獲得の自信ありと聞くも,計画と実行が一致しないこと,防備並びに兵器の不足の現状に鑑みれば,機械力を誇る米英軍に対する勝利の見込みはないことを挙げられる。ついで,股肱の軍人から武器を取り上げ,臣下を戦争責任者として引き渡すことは忍びなきも,大局上三国干渉時の明治天皇の御決断の例に倣い,人民を破局より救い,世界人類の幸福のために外務大臣案にてポツダム宣言を受諾することを決心した旨を決心した旨を仰せになる。
午前2時25分入御される。
終わって内大臣木戸幸一をお召しになり,聖断の要旨を御内話になる。
3時,御格子になる。
閣議決定
御前における最高戦争指導会議の決定案は,枢密院議長の主張により「天皇の国法上の地位」の部分が「天皇の国家統治の大権」へと修正された後,午前3時より開催の閣議において正式に決定される。
東京書籍「昭和天皇実録」第9冊754頁

戦時の外交関係

「聖断」をもって決定されたポツダム宣言受諾に関する「一条件」の申入れが,外交関係が断たれていたアメリカやイギリスに如何なる過程で伝達され,その後,交渉されたか。
 昭和16(1941)年12月8日,英米との戦端を開いた日本が,昭和19(1944)年まで外交関係を維持していた国は,以下のとおり。
 それ以下のアメリカやイギリスなどの国とは,開戦直後から国交断絶または宣戦布告による戦争状態にあり,直接的な外交関係は閉ざされていた。これらの国々の在東京大使館ないし公使館は閉鎖され,大使その他外交官は交換船により引き上げていた。
 断交の結果として,戦時中の日本には,アメリカやイギリスと直接コンタクトを取る術がなかった。
 このような状況において,ポツダム宣言受諾の意思を日本に代わりアメリカ,イギリス,中華民国及びソ連に伝達したのが,中立国として日本との外交関係を維持していたスイス連邦(瑞西)スウェーデン王国(瑞典)である。

《同盟国(アジア)》
満洲国
中華民国
タイ王国
ビルマ国(昭和18年8月1日に独立して以降)
フィリピン共和国(昭和18年10月14日に独立して以降)

《同盟国(欧州)》
ドイツ国
イタリア社会共和国
フランス国(昭和20年3月9日の明号作戦まで)

《枢軸国(自国の敗戦・滅亡まで国交維持した国)》
ハンガリー王国(昭和20年5月8日の敗戦まで継続)
スロバキア共和国(昭和20年5月8日の敗戦まで継続)
クロアチア独立国(昭和20年5月8日の敗戦まで継続)

《枢軸国(終戦近くに国交断絶した国)》
フィンランド共和国(昭和19年9月22日国交断絶)
ルーマニア王国(昭和19年10月31日国交断絶)
ブルガリア王国(昭和19年11月7日国交断絶)
デンマーク王国(昭和20年5月23日国交断絶)

《中立国(終戦近くに国交断絶した国》
アルゼンチン共和国(昭和19年1月26日国交断絶)
トルコ共和国(昭和20年1月6日国交断絶)
スペイン国(昭和20年4月12日国交断絶)

《中立国として終戦まで国交維持した国》
スイス連邦
スウェーデン王国
ポルトガル共和国
バチカン市国
アイレ共和国(アイルランド)
アフガニスタン王国

《不可侵条約を一方的に破棄に宣戦布告した国》
ソビエト社会主義共和国連邦(昭和20年8月9日宣戦布告)

日本とスイス・スウェーデン間の電信

 当時,東京と在外公館との通信手段は,有線あるいは無線の「電信(テレグラフ)」。
 東京の外務省と在スイス公使館及び在スウェーデン公使館の間を行き来した主な電信のうち,本稿で取り上げるものは以下のとおり。
 日付はいずれも昭和20(1945)年8月。

東郷外相→在スイス加瀬公使及び在スウェーデン岡本公使
合第647号 10日06時45分発
合第648号 10日07時15分発
合第649号 10日09時00分発
合第651号 10日10時15分発
合第652号 10日10時15分発
合第650号 10日14時00分発(推定)

在スウェーデン岡本公使→東郷外相
第519号 11日02時30分東京着
第520号 11日09時10分東京着
第522号 12日13時30分東京着

在スイス加瀬公使→東郷外相
第868号 11日14時15分東京着

合第647号(10日06時45分東京発)

 前述のように,昭和20年8月10日02時,「天皇の国法上の地位存続」一条件のみを付す外相案にて「聖断」,同日03時,閣議にて一条件を「天皇の国家統治の大権の存続」と修正して正式に決定する。
 閣議決定を受け,東郷茂徳外務大臣は,在瑞西(スイス)加瀬俊一公使と在(瑞典)スウェーデン岡本季正すえまさ公使に対し,下記の電信(合第647号)を発した。
 これがポツダム宣言受諾の第一報。
 発信時刻は同日06時45分。

合第647号①
合第647号②
戦争の惨禍より人類を救わんとする大御心に副い奉らんがため,帝国政府は,スイス国政府及びスウェーデン国政府に対し,別電合第648号(右英訳文別電合第649号)のとおり,帝国政府の意図を主要交戦国に対し伝達方依頼する一方,在京ソ連大使を通じ直接ソ連政府に対し右趣旨を伝達することに決定せり。
就いては在スイス国公使よりは米国政府及び支那政府に対し,在スウェーデン国公使よりは英国政府及びソ連政府に対し,最も速やかに右伝達方ならびに相手方の速答を得るよう斡旋方,それぞれ任国政府に対し申入れられ,結果大至急御回電相成りたし。
本電及び別電宛先 在スイス国公使,在スウェーデン公使
合第647号(内容)

 この合第647号は,前記閣議決定に基づくもので,在スイス加瀬公使に対してはアメリカと中華民国(重慶の蒋介石政府)への伝達をスイス政府に依頼すること,在スウェーデン岡本公使に対してはイギリスとソ連への伝達をスウェーデン政府へ依頼することを,外務大臣として命じたもの。
 スイス政府とスウェーデン政府から米,英,中及びソに伝達すべき内容については,この合第647合の後に発信する合第648号(日本語)とその英訳文たる合第649号のとおりとしている。

合第648号(10日07時15分 東京発)

 スイス政府とスウェーデン政府を介して,アメリカ,イギリス,中華民国及びソ連に対する伝達すべき内容を示した電信が,合第648号である。
 発信時刻は10日07時15分。
 合第647号の約30分後である。
 やはり東郷茂徳外務大臣から,在スイス加瀬俊一公使と在スウェーデン岡本季正すえまさ公使宛に発信されている。

合第648号①
合第648号②
帝国政府においては人類を戦争の惨禍より免れしめんがため,速かに平和を招来せんことを祈念し給う天皇陛下の大御心に従い,先に大東亜戦争に対して中立関係にあるソヴィエト連邦政府に対し斡旋を依賴するが,不幸にして右帝国政府の平和招来に対する努力は,結実を見ず。ここにおいて帝国政府は,前掲天皇陛下の平和に対する御祈念に基き,即時戦争の惨禍を除き平和を招来せんことを欲し,左のとおり決定せり。
帝国政府は昭和20年7月26日米英支三国首脳により共同に決定発表せられ,爾後ソ連邦政府の参加を見たる対本邦共同宣言に挙げられたる条件中には,天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に,帝国政府は右宣言を受諾す。
帝国政府は右の了解に誤なく貴国政府がその旨,明確なる意思を速かに表明せられんことを切望す。
帝国政府は,スイス国政府,スウェーデン国政府に対し,速かに右の次第を,米国政府及び支那政府,英国政府及びソ連政府に伝達方を要請するの光栄を有す。
合第648号(内容)

 合第648号に記載された「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に」が,いわゆる一条件である。
 合第648号の英訳版が次の合第649号である。
 なお,この合第648号(日本語版)については,後の合第652号にて若干の修正が加わる。

合第649号(10日09時 東京発) 

合第648号の英訳文(後に「正文」)

 合第648号の英訳版が合第649号
 これが東郷外務大臣から発信されたのは,10日の09時。
 これは,双方宛だった合第648号までと異なり,スイスとスウェーデンに個別に送信している。ただ,その内容は末尾の4行について,依頼する政府名と送達すべき国名が違うだけ。
 いわゆる一条件は英文では「with the understanding that the said Declaration does not comprise any demand which prejudices the prerogatives of His Majesty as a sovereign ruler.」となっている。
 なお,後の合第651号によって,この合第649号による英訳版が「正文」とされ,合第648号合第652号で修正後のもの)による日本語版が「訳文」と位置付けが変更されている。

在スイス加瀬公使宛て

合第649号スイス宛て①
合第649号スイス宛て②
In obedience to the gracious command of His Majesty the Emperor who, ever anxious to enhance the cause of world peace, desires earnestly to bring about an early termination of hostilities with a view to saving mankind from the calamities to be imposed upon them by further continuation of the war, the Japanese Government asked several weeks ago the Soviet Government, with which neutral relations then prevailed, to render good offices in restoring peace vis-a-vis the enemy Powers. Unfortunately, these efforts in the interest of peace having failed, the Japanese Government, in conformity with the august wish of His Majesty to restore the general peace and desiring to put an end to the untold sufferings entailed by war as quickly as possible, have decided upon the following :
The Japanese Government are ready to accept the terms enumerated in the Joint Declaration which was issued at Potsdam on July 26th, 1945 by the heads of the Governments of the United States, Great Britain and China, and later subscribed by the Soviet Government, with the understanding that the said Declaration does not comprise any demand which prejudices the prerogatives of His Majesty as a sovereign ruler.
The Japanese Government hope sincerely that this understanding is warranted and desire keenly that an explicit indication to that effect will be speedily forthcoming.
The Japanese Government have the honor to request the Government of Switzerland to be good enough to forward immediately the above communications to the Governments of the United States and China.
合第649号スイス宛て(内容)

在スウェーデン岡本公使宛て

合第649号スウェーデン宛て①
合第649号スウェーデン宛て②
(スイス宛て文と末尾3行のみが異なり,以下のとおり。)
The Japanese Government have the honor to request the Royal Swedish Government to be good enough to forward immediately the above communications to the Governments of the Soviet Union and Great Britain.
合第649号スウェーデン宛て(内容)

合第651号(10日10時15分 東京発)

 東郷茂徳外務大臣が,在スイス加瀬公使と在スウェーデン岡本公使に対し発信した合第651号は,前述のとおり,合第649号の英訳文を「正文」とし,合第648号を「訳文」とし,同時に合第648号(日本語による「訳文」)を合第652号のとおりに訂正することを求めたもの。
 発信時刻は10日10時15分。

合第651号
貴任地政府に対する申入は,往電合第649号英訳文をもって為されたるものと思料するところ,右は正文として取扱われたり,また往電合第648号日本文は訳文として取扱い,かつ(別電)合第652号のとおり訂正するに付き右に応じ所要の措置を満たせられたし。
合第651号(内容)

合第652号(10日10時15分 東京発)

 前述の合第652号は,合第651号と同時に10日10時15分に発信されている。
合第648号の日本語による「訳文」の訂正版であるが,文法に由来する微修正がなされているが,いわゆる一条件に変更はない。
 これが日本語としては正式なポツダム宣言受諾に関する申入文となる。

合第652号①
合第652号②
帝国政府に於ては常に世界平和の促進を希求し給い今次戦争の継続に依りもたらさるべき惨禍より人類を免がれしめんがため,速んる戦闘の終結を祈念し給う。
天皇陛下の大御心に従い数週間前当時中立関係に在りたるソヴィエト聯邦政府に対し敵国との平和恢復のため斡旋を依頼せるが,不幸にして右帝国政府の平和招来に対する努力は結実を見ず。ここに於て帝国政府は天皇陛下の一般的平和克服に対する御祈念に基き戦争の惨禍を出来得る限り速に終止せしめんことを欲し左の通り決定せり。
帝国政府は1945年7月26日,ポツダムに於て米,英,支三国政府首脳者に依り発表せられ,爾後,ソ聯政府の参加を見たる共同宣言に挙られたる条件を,右宣言は天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に受諾す。
帝国政府は右了解にして誤りなきを信じ本件に関する明確なる意向が速に表示せられんことを切望す。
合第652号(内容)

★東郷外相マリク大使会談(10日11時15分〜同日12時40分) 

 10日10時15分に第合652号を発することでスイスとスウェーデンへの発信を終えた東郷外務大臣は,同日11時15分から,ソ連のマリク駐日大使と会談している。
 昭和16年12月8日から断交していたイギリスやアメリカと異なり,ソ連の駐日大使は,まだ東京(箱根の強羅ホテルに疎開)にいた。
 この会談で,モスクワ時間の8月8日17時(日本時間同日23時),モスクワにてソ連のヴャチェスラフ・モロトフ外務大臣から日本の佐藤尚武駐ソ連大使に宣告された内容と同じもの(ただし日本はこれをラジオで知った。)。東郷外相とマリク大使の会談が10日にも関わらず「明日すなわち8月9日より」と述べているのは,その表れ。
 東郷・マリク会談は,10日11時15分から同日12時40分まで行われた。
 日本はソ連の仲介による和平を模索していた。そのため,在日ソ連大使館の職員や家族に対しては配給品など,かなり優遇していた。それを裏切るどころか,逆に戦争を仕掛けてきた。この時の会談録(下掲)にも東郷外相の悔しさと怒りが滲み出ていはり。

マリク大使
政府の訓令に依りソ連政府の日本政府に対する左の宣言を伝達すべし
ヒトラードイツの壊滅及び降伏後においては日本のみが引続き戦争を継続しつつある唯一の大国となれり。日本兵力の無条件降伏に関する本年7月26日付けのアメリカ合衆国,英国及び支那三国の要求は,日本により拒否せられたり。これがため極東戦争に関し日本政府よりソ連邦に対しなされたる調停方の提案は,総ての根拠を喪失するものなり。
日本が降伏を拒否せるに鑑み,連合国は,戦争終結の時期を短縮し,犠牲の数を減縮し,かつ全世界に於ける速やかなる平和の確立に貢献するため,ソ連政府に対し日本侵略者との戦争に参加するよう申出たり。
総ての同盟の義務に忠実なるソ連政府は,連合国の提案を受理し,本年7月26日付けの連合国宣言に加入せり。
斯くとの如きソ連政府の政策は,平和の到来を早からしめ今後の犠牲及び苦難より諸国民を解放せしめ,かつドイツが無条件降伏拒否後体験せる如き危険と破壊より日本国民を免るることを得せしむる唯一の方法なりと,ソ連政府は思考するものなり。
右の次第なるをもってソ連政府は明日すなわち8月9日よりソ連邦は日本と戦争状態にあるものと思考することを宣言す。

東郷外務大臣
只今の宣言を了承せり。
日本側に於いてはソ連邦との間に長き期間に互り友好なる関係を設定する目的をもって進み来たり,最近に於いても5月初より廣田元首相をして貴大使との間に話合を進めしめたるが,右に対し未だソ連側より回答に接し居らず。なお6月中旬,人類を戦争の惨禍より救うため成るべく速やかに戦争を終結せしめんとの陛下の大御心により右をソ連側に伝達し,日ソ間の関係強化及び戦争終結に関する話合をなすため,特使の派遣方を申入れたるか,右に対しても未だ回答なかりし次第なり。
貴方に於いては三国の共同宣言は拒否せられたりとなされ居るところ,右が如何なるソースによりて知り得られたるものなりや承知せざるが,前述の事実に鑑み日本に何らの返事をすることなく突如として国交を断たれ戦争に入らるるは不可解のことなり。東洋に於ける将来の事態よりも甚だ遺憾なりと言わざるを得ず。

マリク大使
大臣の述べられたる総てのことに対する回答は,只今述べたる宣言の中に含まれ居れり。右以外に何らの附言すべきことなし。

東郷外務大臣
貴方の述べられたることは当方に於いては不可解なりと申上げたる次第にして,今もって不可解かつ遺憾とするものなり。
右はやがて世界の歴史が之を裁判すべく今本問題に付話すことは差控えたし。
只一つ申上げたきことあり。

マリク大使
歴史は公平なる審判者なり歴史的必要は不可避なり。

東郷外務大臣
歴史は長き間に作り上げらるるものなり。何にするも今,ここに付話することを欲せざるは既に申述べたる通りなり。
日本政府に於いては人類を戦争の惨禍より免れしめ,なるべく速やかに平和を招来せんことを御祈念し給う天皇陛下の大御心に従い,ソ連政府に対し斡旋を依頼せるも不幸にして平和を招来せんとする帝国政府の努力が実を結ぶに至らざりしはご承知のとおりなり。しかし帝国政府は天皇陛下の平和に対する御祈念に基づき一般平和を回復し戦争の惨禍を速やかに除去せんことを欲し左の通り決定せり。
帝国政府は去月26日,米英支三国首脳者に依り決定せられ其の後ソ連政府の参加せる対本邦共同宣言に挙げられたる条件中には,天皇の統治者としての大権を返還せんとする要求を包含し居らざることの了解の下に右宣言を受諾す。従いて帝国政府はソ連政府が右の了解に誤りなき旨,速やかに正確なる意思を表明せられんことを希望す。
右に関しては既にスウェーデン国を通じ通告の手筈を執れり。
日本に於ける天皇の御地位が日本国民と不可分のものなること等,日本皇族の地位に付きては克く御了解のことと思考す。依りて我方のこの了解は,絶対のものなり。従いて連合国政府に於いても右を了解せられ右に同意せらるることに困難なかるべきを信ずるものなり。世界の平和の速やかに克服せらるる見地より此の申し入れにある通り,速やかに明確なる意思を表示せられ戦争を終結すること望まし。
貴方に於いて御異存なくば本国政府に電報せられんことを希望す。貴方に於いて御異存なければのことなり。

マリク大使
右申入を受理する権限なし。然れども自分の個人的責任に於いて,而も右を本国政府に伝達することのために何らの困難なきことを条件として,右伝達に同意す。

東郷外務大臣
スウェーデン経由に比し,当地に於いて貴方を経由する方,迅速なるべく,また貴大使の方が当地の事情により一層明るきことにもあり,貴方に御異存なくば御願したしと申上げたる訳なり。御異存なしとのことなるに付き,伝達方取計ありたし,ここに英文にて申入分を作成し置きたるに付き差上ぐべし。
附言すべきが英,米,重慶,ソ連各政府に伝達方,下命済みなり。

マリク大使
念のため明かに致し置きたきが,日本側の提案文中には平和の招来に対する日本政府の努力は実を結ばざりし旨,述べあり。また貴大臣は只今の御話中にもソ連は如何なる根拠に基づき日本が三国共同宣言を拒否せりとなり居るや,承知せずと述べられたるが,我方宣言中にも日本が降伏を拒否せることに鑑みと述べたり,またアトミック爆弾使用に関し,米大統領トルーマンのなしたる声明の中にも日本は拒否せりと述べ居れり。
貴大臣の御申出に従い政府に伝達すべし。

東郷外務大臣
先程も触れたる通り,日本とソ連との間には友好関係存続し,それぞれ大使を相手国内に駐在せしめあり,戦争終結に関する交渉も継続中なりし次第なれば,ソ連が第三国との斯くの如き重大なる決定をなすに当たりては,前もって日本政府に何らかの話合ありて,しかるべきものなりしと思考す。右も歴史上の問題の一部に関するものなり。もしソ連政府に於いて日本の申出に従い斡旋を進め,之に依り大なる戦争を終結せしめ得ば,如何にソ連は世界歴史の前に,また現在の国際政局の前に愉快かつ有利なる地位を占められたるものならん。然るに今度執られたるソ連の態度は遺憾なり。右の意味にて申述べたる次第にして,これ以上は申上げず。

マリク大使
歴史は如何にソ連が平和の強化に貢献し居るものなるかを立証すべし。
東郷外務大臣・マリク大使会談録

合第650号(10日14時頃 東京発)

 スイス公使からの回答もスウェーデン公使からの回答も未だ東京には届いていないが,東郷外相は,マリク大使との会談後,「御参考まで」として会談概要を記した合第650号を両公使宛てに発信している。
 時間は不明ながら,会談が12時40分まで続いていたことから同日14時頃に発信したものと思われる。

合第650号①
合第650号②

10日,在京ソ連大使,本大臣を来訪し,ソ連のポツダム宣言加入及び日本との戦争状態に関する声明(ラジオにて放送せられたるモロトフの佐藤大使に対する声明と同文)を政府の訓令による趣をもって読上げたり。
右に対し,本大臣よりソ連が平和回復のための斡旋に関する我方よりの申入れに回答することなく,突如として戦争状態を宣言せるは不可解なる趣を述べたるところ,大使はソ連の立場,明かなり云々と答えたり。

次いて本大臣より,往電合第648号帝国政府通牒の趣旨を述べ,その英訳文を手交するとともに本通牒はスウェーデン政府を経てソ連政府に伝達方,取計い済みなるも,貴大使において御異存なくば,これを本国政府に電報せらるることを希望する旨を申入れ,かつ日本における天皇の御地位が日本国民と不可分のものなること等,日本皇室の地位については貴大使において,よく御承知の通りに,この点に関する我方の解は絶対のものなり。したがって,連合国政府においては,これに同意せらるることに困難なきを便する旨述べたるところ,大使は申入れを受理する権限なきも,自分の個人的責任において,かつ本国政府に伝達上,何らの困難なきことを条件として右伝達に同意する旨を答えたり。
以上,御参考まで。
合第650号(内容)

在スウェーデン岡本公使からの返信

第519号(11日02時30分東京着)

 10日06時45分に発信された合第647号以下の東京からの電信に対し,その最初の返信が東京に届くのは,日付が変わった11日02時30分(日本時間)である。通知から回答まで20時間程度要するのが,当時の通信技術
 返信の第一報は,スイスではなく,スェーデン岡本公使から。
 岡本公使は,スウェーデン時間10日12時45分(日本時間同日20時45分),第519号をストックホルムから発信し,これが翌11日02時30分に東京に着信している。

在スウェーデン公使から第519号
貴電合第647号に関し
英文本文は未だ接到せざるところ,本件は一刻も遅疑すべき場合にあらざるにつき,とりあえず当館において貴殿合第648号に基づき,仮訳を作成し,本8月10日午前11時45分,スウェーデン外務大臣に手交せり。
委細後報。
スイスへ転電せり。
在スウェーデン公使から第519号(内容)

 東京からの合第647号合第648号(日本時間10日07時15分発信)を受けた在スウェーデン岡本公使は,その重要かつ緊急性から自らの判断で,合第647号にて予告された英訳文(合第649号)の到着を待たず,日本語で書かれた合第648号に基づいて英訳文を作成し,スウェーデン時間10日11時45分(日本時間同日19時45分),これをスウェーデン国外務大臣に手交している。
 その意味で,ポツダム宣言受諾の意思が連合国に伝達される目的で中立国に最初に申入れされたのは,日本時間で昭和20(1945)年8月10日19時45分である。これは,合第647号による第一報(同日06時45分)の13時間後であって,聖断(同日02時)から約18時間後であった。
 この顛末を,岡本公使が東郷外務大臣に宛てに,スウェーデン時間10日12時45分(日本時間同日20時45分)に発し,日本時間翌11日02時30分に着信したものが,第519号なのである。

第520号(11日09時10分東京着)

 上記第519号にて「詳細後報」とされている「詳細」を,在スウェーデン岡本公使から東郷外相に電信したものが第520号である。
 発信時刻は10日15時20分(日本10日23時20分)。第519号発信の約3時間後。
 第520号は,翌11日09時10分,東京に着信している。

在スウェーデン公使から第520号
在スウェーデン公使から第519号往電第519号に関し
10日朝,スウェーデン外務大臣に会見,大至急措置方依頼申し入れたるところ,大臣は仮訳文を一読の上,参考のために承知したしと前置きした上,天皇の国家統治の大権を変更せず云々の点は,国家の統治地域を意味するものなりや,または天皇陛下の御一身上の地位に変更なきを意味するものなりやと問えるにつき,本使はこの点に関しては,本使の受けたる訓令中に何ら説明なきも,両者を共に意味するものと考うと答え,スウェーデンが中立国として,好意的斡旋をなされんことを望むと述べたるところ,大臣はスウェーデンは微力なるも斯くの依頼を受けたるを光栄とし,早速斡旋を試み,出来得る限り速やかに結果を御報告すべしと答えたり。
スイスへ転電せり。
在スウェーデン公使から第519号(内容)

 岡本公使からイギリスとソ連に対する伝達を依頼されたスウェーデン国の外務大臣は,「スウェーデンは微力なるも斯くの依頼を受けたるを光栄とし,早速斡旋を試み,出来得る限り速やかに結果を御報告すべし」と回答し快諾した,ようだ。

第522号(12日13時30分東京着)

 上記第520号のとおり,在スウェーデン岡本公使は,10日午前11時45分(日本同日19時45分)にスウェーデン外務大臣に対し,合第648号に基づく仮英訳文書を手交している。
 その後,同日夕刻(スウェーデン時間)になって,東京からの合第649号による英訳文が在スウェーデン日本公使館に届いた(ようだ)。
 岡本公使は,これを「正文」とすべきとする合第651号を受け,同日20時(スウェーデン時間),スウェーデン外務省に対し,この英訳正文を手交している。その際,スェーデン王国外務省は,同日20時30分,これを在スウェーデンのイギリス公使及びソ連公使に伝達する旨を述べた。
 以上の経緯を,岡本公使は,翌11日10時20分(日本時間同日18時20分)にスウェーデンから発信,翌12日13時30分,東京に着信している。

在スウェーデン公使から第522号
往電519号に関し
その後10日夕刻,貴電合第649号接到せるをもって直ちに同日午後8時之を正文として本使よりスウェーデン外務省に手交せり。その際,同8時半,スウェーデン側より之を英ソ公使へ伝達する旨を述べたり。
スイスへ転電せり。
在スウェーデン公使から第522号(内容)

在スイス加瀬公使からの返信

第865号(11日02時30分東京着)

 驚いて対応したかのような在スウェーデン岡本公使と比べ,アメリカと中華民国に対する伝達を依頼された在スイス加瀬公使の対応は落ち着いていたようにみえる。
 それは加瀬大使自身が東郷外相の旧知の腹心であり,ポツダム宣言受諾について事前に東郷外相から相談を受けていたからでもある。
 下掲は,加瀬大使がスイス時間8月9日23時30分に発した,さながら私信のような電信であるが,二人の関係を伺わせる。
 ただし,この電信が東京に着信するのは,御前会議における「聖断」によりポツダム宣言受諾が決まった後となった。在スウェーデン岡本公使による最初の返信である第519号と同じ,日本時間の翌11日02時30分だった。
 インターネットも国際電話もない時代の意思疎通は,難しい。

在スイス公使から第865号
かねて伺われたることながら,ソ連の参戦を見るに至り政府の御苦心察するに余りあるところ,結局,7月26日の三国宣言を捉え大決心に出られ,最悪事態を回避しつつ,拾収を計るること,悠久なる国運のため絶体必要事と確信す。
在スイス公使から第865号(内容)

第868号(11日14時15分東京着)

 こうした経緯もあり,スイスの加瀬大使は,慌てず合第647号に記載された合第649号英訳文の到達を待った。
 スイスとスウェーデンに時差はないが,在スイス加瀬大使は,スイス時間10日18時(日本時間翌11日02時),スイス国外務次官に面談,合第649号英訳文「正文」を手交している。スウェーデン王国外務大臣には同日11時45分に手交されていることから,アメリカ担当のスイスでは7時間遅れたことにはなる。
 以上の経緯を,在フランス加瀬公使は,スイス時間10日21時(日本時間翌11日05時)に発信し,日本時間11日14時15分に東京に着信した電信が,下掲の第868号である。

在スイス公使から第868号
貴電合第647号に関し,
10日午後6時,本使,外務次官に面会(大臣は休暇不在),貴電合第649号英訳文を手交し,最も速やかに米国政府及び支那政府へ伝達方ならびに回答入手斡旋方,申入れたり。
在スイス公使から第868号(内容)

 この後,スイス政府とスウェーデン政府を介したポツダム宣言受諾に際しての条件が交渉されることになるが,その対象国はアメリカであり,必然的にスイス政府を介する形で,在スイス日本公使が担うことになった。




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