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福島に海軍大将が二人

 7月20日は海の日(だった。)
 明治9年(1876)7月20日,明治天皇が“賊軍“とされ戊辰戦争の戦場となった東北・函館を50日にもわたって巡幸され,海路,函館から横浜に還幸された日に由来するそうだ。

 明治に創設された日本海軍において,“賊軍“福島県から海軍大将にまで進級したのは2人。

 最初の一人は会津藩出身の出羽重遠。
 日本海海戦を中将でむかえ,第一艦隊の第三戦隊司令官を務め,対馬沖からバルチック艦隊に肉薄し,三笠が待つ“戦場“まで誘導する任務を果たす。
 戦後の明治45年(1912)海軍大将に進級する。それまでの日本海軍の海軍大将は,会津どころか,西郷従道からはじまって伊東祐亨,東郷平八郎,山本権兵衛など,皇族の有栖川宮親王を除く13人全てが薩摩藩出身だった。
 写真は青山霊園にある出羽大将の墓。

 二人目は,今の福島県いわき市四倉町出身で,私の高校の先輩,明治44年に陸軍兵学校を卒業した高木武雄。
 昭和17年(1942)2月,東南アジアから連合国海軍戦力の一掃を図ったスラバヤ沖海戦において,海軍少将・日本艦隊司令官として指揮をとる。この海戦のさなか,艦が撃沈されて海に漂流していた米兵多数を救助したことから,アメリカのスミソニアン戦争博物館でその功績が紹介さられている唯一の日本軍指揮官だそうだ。その年の5月,海軍中将に進級。
 昭和19年(1944)6月,サイパン島の戦いにおいて自決する。死後,特例で海軍大将に進級。

東京で弁護士をしています。ホーチミン市で日越関係強化のための会社を経営しています。日本のことベトナムのこと郷土福島県のこと,法律や歴史のこと,そしてそれらが関連し合うことを書いています。どうぞよろしくお願いいたします。