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日越関係の濃淡

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朱印船貿易時代から現在に至るまでの淡く時により濃い日本とベトナムの関わり
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#ダナン

西沙諸島(Hoàng Sa)にあった日越の共棲

西沙諸島の価値ベトナム語でHoàng Sa(ホアンサ/黄沙)  西沙諸島。  英語で「Paracel Irands」,ベトナムでは「Hoàng Sa(ホアンサ/黄沙)」と呼ばれている。  その島々自体に価値は低く,1930年頃までは,いずれの国も実効支配することはなく,フランス(ベトナム)と中華民国が領有権を潜在的に主張していた程度で,国家間で問題・紛争が生じるほどの接触すらなかったと言っていい。 「航行の自由」の要  アメリカのバイデン政権は,令和3年2月5日,政権下

磐越の海道

 あの大震災から令和3年3月11日で10年になる。  ”原発事故”の陰に消されてしまったが,ここ福島県いわき市でも450名以上の津波の犠牲者が出ている。  その犠牲者の鎮魂と復興を祈願し,ベトナムのダナン市にある五行山観世音寺(Chùa Quan Thế Âm Ngũ Hành Sơn Đà Nẵng)から,いわき市の小さな港町”江名”にある「真福寺」に寄贈されたのが,ダナン市の名産でもある大理石で彫られた観音像「龍越観音」。  ベトナムの仏像は肌色に着色されていたり生々し