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日越関係の濃淡

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朱印船貿易時代から現在に至るまでの淡く時により濃い日本とベトナムの関わり
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#若松連隊

若松連隊 奉天からサイゴンまで

若松連隊こと歩兵第二十九連隊 遡ること80年前,昭和16(1941)年12月8日に英米対戦を生起した因縁は,その10年前,昭和6(1931)年9月18日に起きた柳条湖事件と,それに続く満洲事変にまで遡る。  満洲事変は「関東軍」の仕業ではあるが,実際に軍事行動を取ったのは,たまたま満洲にいて関東軍の指揮下に入れられていた仙台を本拠とする第二師団である。  第二師団は,宮城,福島及び新潟の3県を師管とする。その隷下連隊の一つにして主力の歩兵第二十九連隊は,福島県の会津若松を衛戍

戦後なき”若松連隊”

若松連隊こと歩兵第29連隊ベトナム語のポスターを貼るのは日本兵  写真は,既に”戦後”となっていた昭和20年(1945)9月,ベトナム南部サイゴンに”戦勝国”として進駐してきたイギリス軍グレイシー少将の最初の声明を,英語,仏語及びベトナム語で記したポスターをサイゴン市内に掲示する日本兵の姿。  当時,グレイシー少将の命令を受け,サイゴン市内の治安維持にあたっていたのは,福島県出身者で編成されていた陸軍第二師団隷下の歩兵第29連隊だった。  戦後,歩兵第29連隊の中には,これ