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日越関係の濃淡

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朱印船貿易時代から現在に至るまでの淡く時により濃い日本とベトナムの関わり
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#サンフランシスコ講和条約

南沙諸島(Trường Sa) 日本の元最西端

南シナ海と南沙諸島 「新南群島」と呼んだ日本  南シナ海(South China Sea,ベトナムでは「Biển Đông・東海 」と呼ぶ。)に浮かぶこの島嶼を南沙諸島と表記するのは中国風。国際的には英語のSpratly Islands が一般的で,領有権を主張するベトナムではQuần Đảo Trường Sa(チュオンサ群島)と呼ばれる。戦前の日本では新南群島という名がつけられていた。 西沙諸島の現状と過去  同じ南シナ海の島嶼でも,中華人民共和国の海南島,ベトナム

西沙諸島(Hoàng Sa)にあった日越の共棲

西沙諸島の価値ベトナム語でHoàng Sa(ホアンサ/黄沙)  西沙諸島。  英語で「Paracel Irands」,ベトナムでは「Hoàng Sa(ホアンサ/黄沙)」と呼ばれている。  その島々自体に価値は低く,1930年頃までは,いずれの国も実効支配することはなく,フランス(ベトナム)と中華民国が領有権を潜在的に主張していた程度で,国家間で問題・紛争が生じるほどの接触すらなかったと言っていい。 「航行の自由」の要  アメリカのバイデン政権は,令和3年2月5日,政権下