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林間学校の思い出

中学校の時、林間学校というものがあった。

山林の中の宿舎に泊まり様々な体験を通じて自然の大切さを知る、というようなお題目のやつだ。

毎日をコンクリートジャングルで送る大都会の生徒が林間学校へ行くのはわかる。

しかし、ド田舎に暮らし「日々是林間学校」である私たちが、なぜわざわざそんなものに行かねばならないのか。ちょっとあるけば、木も草も花もうっとおしいくらいに生えているのに。

自然に対して食傷気味で、なおかつ集団行動が嫌いな私は、このイベントに対してまったく乗り気ではなかった。

乗り気ではない理由がもうひとつあった。

キャンプファイヤーのときに歌う合唱だ。

私は音痴だった。(というか現在進行形で音痴だ。)

音痴なのを自覚せず歌うのが気にならない、というジャイアン型の音痴ならよかったのだが、私には音痴の強烈な自覚があった。

知覚過敏の歯よりも感じやすい自意過剰な中学生にとって、音痴を自覚しながらみんなの前で歌を歌うのは拷問に等しい。

乗り気になれるわけはなかった。

しかし、たいして目立ちもしない一生徒が乗り気だろうと乗り気じゃなかろうと、そんなものは学校には関係ない。

無慈悲な画一的教育機関である田舎の中学校は、無理やり私をバスに乗せて、周りの楽し気なやつらと一緒に(信じされないことに、多くの人間はこのイベントを本気で楽しみにしているようだった)、私を林間学校へと連れ去っていった。

現地につくと、「たぬきおじさん」とか「きつねおじさん」といったような森の動物達にちなんだ名前を持つスタッフさんたちがいろいろと面倒を見てくれる。

たぬきおじさん、といっても別にたぬきのコスプレをしているわけではない。見た目はただのおじさんである。40過ぎのただのおっさんが「たぬきおじさん」を自称しているのはいささかミスマッチだった。

イベントに対して斜め45度に構えていた私は「あんた達も大変だな。生活があるもんな。」と醒めた目でスタッフさんたちを見ていた。

日中は山林を歩き回り、「蛇紋岩」という中学生男子の心をくすぐる名前の岩石を拾ったりして、ささくれだった心を幾分癒した。

しかし、そんな安らぎは長くは続かない。

じき夜がやってきた。

ついに合唱の時間である。

中央にお決まりのキャンプファイヤーをたたえ、生徒がそれを囲むように円になって座る。

そして、各クラスが順番で曲を披露していくのだ。

私のクラスは3組なので3番目。

前の2クラスの曲は、今とはなっては覚えていない。「燃えろよ燃えろ」みたいなキャンプソングか、教科書に載っているような合奏曲だったと思う。

それに対して、我々の歌った曲はGLAYの「誘惑」だった。

クラスで発言力のあるヤンキーが、当時流行っていたこの曲が良いとか言い出し、そのまま決まってしまった結果だった。

澄んだ空気、満点の星空、煌めくキャンプファイヤー、そしてそこに30人からの生徒による「誘惑」の合唱である。

なんという食い合わせの悪さ。

うなぎと梅干、天ぷらとスイカどころの騒ぎではない。

あまりに不可解な組み合わせに時空がゆがみ、私の過剰な自意識も遠のいた。

気づけば私もトランス状態で、「誘惑」を熱唱していた。

時々、あの時のことを思い出しては、夢だったんじゃないかと思う。

林間学校でGLAYの「誘惑」なんてどう考えてもクレイジーだ。

担任は止めなかったのだろうか。周りの教師から反対はなかったのだろうか。誰か「さすがにそれはちょっと…」と冷静な声をあげなかったのか。

どうしてあんなことになってしまったのか。

きっと、人はみんな誘惑には逆らえない、ということなんだろうな。


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