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きょうのけんきゅう

noteを登録して6カ月、とくになにもしていないことにおどろいた。
え、いま9月!?

ということで、ちょっと記事を書いてみます。
ながいです。暇なときに気が向いたら読んでください。

さいきんのこと。
すいさいのけんきゅう をしています。

https://twitter.com/i/events/1302040396285882368?s=20

9/7のけんきゅう↓

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けんきゅうなので 資料となる食べ物のちゅうもんは けんきゅうひです。
もっとじょうずにかくには、もっと資料のちゅうもんがひつようです。

なんてたのしくやっております。


---以下が暇ならどうぞエリア---


投稿したときにちょっと触れたことなのですが…

おとながこどもに「ここは青じゃない!ここは黒じゃない!」
と言ってしまうやつについて。

絵を描かない(描けない)大人に多いのだと思うのですが、知らないがゆえに、「ここは当然こうだろう」と勝手に解釈し、こどもを傷つけてしまう事があるなーというお話です。

これは私が言われていた事なのです。
絵のここが青いわけがない とか この物体は黒じゃない とかは、
小学校3・4年生のときの図工の先生によく言われていました。

小学校なのでおそらく、ただ図工を担当していただけで、特に美術が得意なわけではない人だったのかな…と今は思います…

その人は、悪い意味でやばい人だった。
今だったらツイッターが数万RTされちゃうような人。
あんまり人に使いたくないけど「人間のクズ」みたいな人。

実名を出したらまずいだろうけど、先生とも認めていないので、
「奴」としましょう。

奴はすんごい太ってて、すんごい傲慢でした。
いつも不機嫌そうで、質問なんて絶対できない。
よく先生になれたな…?というほど酷かった。

とにかく気分屋。

忘れ物したり、気に入らない子の頭バチーンて叩いたり…

へいきで「へたくそ!」って言ったり…

机をバン!!って叩いたり…

泣いてる子に「泣け泣け!バケツ持ってきてやっから!」って言って、バケツを抱えさせ、授業中そのまま教室の隅に立たせたり…
(しかもその子が泣いた理由は「スカートが長すぎる、そんなの履かせてくる親はなんなんだ」みたいなこと言われて追い詰められて…でした。)

忘れ物したら死ぬ…着るものまで怒られるのか…?もしターゲットになったらどうしよう…と毎週悩んでいました。

みんなこわくてこわくて逆らえなかった。
大人にいじめられることの怖さはたまらなかった。

わたしは図工が嫌いになってしまって、学校も嫌いになってしまいました。

ちょうど同時期、3年生の時
「流行っている漫画を買ってもらえない」
などというどーーーーーーでもいい理由でいじめられていた私w

図工の時間の反動か、誰かが誰かを制するみたいなのが
流行ってしまっていました。

2年好きなことを奪われて、いやなこともされて、笑わなくなった日々が続きました。
家で学校の話をしなくなり、親に心配もされていたようでした。

どう考えてもおかしかったので、もしかしたら、誰かが学校に言ってくれたのでしょうか?

5年生の時に奴は学校からいなくなり、教頭が図工担当になって、授業の雰囲気は平和になりました。
教室でのいじわるも消えました。

ホッとはしたものの…教頭も図工を教えるのはへたくそでした。

わたしがパレットに白を出した瞬間に、
「水彩に白は使っちゃあいけない」なんてけっこう強めの口調で言ってきました。

(じゃあなんで白が作られているんだろう…と思いましたが、それまでの図工の恐怖が影響して、先生に意見を言うこと自体ができませんでした)

小さなころから色を混ぜるのが大好きだった私は
好きな色を混ぜられない事が苦しくて、またしばらく悩みました。
私が塗りたい色にはどうしても白が必要だった。

…ので、コッソリ白を混ぜて色を塗ってみましたw
教頭は生徒の様子をあんまり見ていなかったのです。
白を注意されたのはすごくたまたまだったのでしょう。

しれーーっと白を混ぜたその絵は校内の絵画展で賞をとりました。
しかも、白を使った部分を教頭に褒められるという爆笑案件でした。
(「ここの色が特にいい」じゃねーよ!)というのを飲み込み…
賞に全然価値を感じず、全く嬉しくなかったのを覚えています。

それまでは結構賞に固執しているほうで、絶対に褒められたかったのに。
あ、大人って見る目ないんだなーってさめてしまった瞬間でした。

これ、大人になった今は、能力のない人に何かを任せるとエラーが出るな、
と割り切れていますが…
なにかを制限されたり、ごまかして裏でやりくりしたり…あれは苦しい体験でした。

結局、学校で絵を描くのは嫌いなまま卒業しました。

絵がふたたび好きになれたのは中学に入って、
美術の先生が現れたときでした。

その先生は、人の作品を絶対にけなさなかった。
やり方に文句を言わなかった。
話や意図を聞いてくれた。

(ちょっと調べたら、小学校の図工は誰でもできるけど
中学校の美術はちゃんと専用の免許があるっぽいですね…?)

きちんと教えてくれる人に出会えて、
自分のやりかたを認めてもらえて、
やっと心が回復しました。

美術の本があるから、読むといいと言われ、市の図書館で
「個人の美術館をつくる本」
「色の塗り方を追った本」など
様々な本を読みました。

その中でも、色の塗り方を追った本の
「雪の塗り方」のページを読んだ時
”雪のベースに青を塗ります”と書かれていたのを読んで
衝撃が走りました。

いままで「白は白・塗り残す」みたいに言われていたのに
(そもそも白使っちゃダメとか言われたのに!)

詳細は覚えてないのですが、アクリル画の技法みたいなの解説した本だったのでしょうか。

青色をのせて、その上に白をのせて、さらに黄色を足す…
というような塗り方が描いてありました。

当時の私には信じられなかったけど、
完成図を見ると、確かに雪の積もったあとの晴れた日で…

ああ、そうか、見える色や感じる色をよーく捉えて、
その色を塗っていいんだ…と気づきました。


・・・それからうーんと時が過ぎて、今。

大気と色の関係を知り、
生き物ごとに見える色が違う事を知り、
視力や色の捉え方の特徴の事を知り、

「今見えている色は、地球に住んでる・人間・視力A判定の・私が見えている色に過ぎない」と思うようになりました。
ほかの、地球に住んでる人間も、近しい色は見ているのだろう‥と考えています。

他の作家さんが塗った色を見て、「わあ、ここにこの色を持ってくるのか!こんなのもありだなぁ!素敵だなぁ!」と感じるときや

「さがさんの色が好き!」と言ってもらうとき

こどもの頃の傷が、ちょっとずつ癒されていく気がします。

水彩を描くきっかけがあり、また色を混ぜる楽しみができた今
自分が見えている色を好きなように描けることはとても嬉しいです。

色は楽しい、絵は楽しい。
いつか、こどもたちに、自由に絵を描く楽しさを伝えるひとりになりたいなーという野望ができました。

現在は職業訓練校で、Webの作り方を伝えたり
休みの日には絵を描いて展示したり
野望に近しいことを出来ていると思います。
だから、いろいろがんばれるのだ。

めっちゃくちゃに長くなりましたが、
今、色をけんきゅうしている理由のひとつでした。

とはいえ、たのしいからやってるだけだけどね!

読んでくれてありがとうございました。

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