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年をあけてみたら「ただのハゲたおっさん」になっていた、2021年1月コロナ禍の中の話

 神戸にあったセイデンで買ったバリカンで自ら坊主にしたのは、26歳で2002年頃の話である。20代半ばの若いうちに髪の毛が薄くなり、いずれなくなることが予め定められた人生だったから、まがいなりにもファッション好きとして、坊主ならファッション的にどの路線でもいけるのだからと自分からその結果を「迎えにいった」のだ。「みじめな「ただのハゲ」になるくらいなら『デザインされたハゲ』に!」なるスローガンを胸の内において。(CD屋の視聴動画で繰り返しSKAバンドの動画をみて、俺はルーディーズだ、スキンズだ、パンクスだと言い聞かせるような気持ちだったのを思い出す…)

そういう能動的姿勢が功を奏したのか、それとも、そこまで開き直れば多少の苦悩などは想定内だったのか、頭髪について大きな問題などなく日々を過ごした12年程(2005年頃、坊主からスキンヘッドにランクがあがったが)。

 転機があったのは、2018年だったか。いい加減もう、スキンヘッドに飽きてしまった・・でも、一般社会の技術と僕の経済力では、ナイものをどうすることもできないし…、生えることが許された一部だけ伸ばしてみたり、また、やめてみたりを繰り返して、大まかにエクステによる辮髪(いわゆるラーメンマンみたいな感じ)を目指していた時期が直近の3年間程。スキンヘッドには飽きたとはいえ、「デザインされたハゲ」街道に居た、足掛け15年間。

さて、コロナが躍りに踊った2020年はせわしなく閉まり、せわしなく新年が開ける。

 2021年が明けた正月にいきなり、ガラガラと音を立てるように体調を崩した僕はコロナウィルス感染/陽性を言い渡され20日弱の闘病生活を経て、今現在、無事自宅での生活に復帰できているわけなのだけど、結論として「ただのハゲたおっさん」になってしまった。

 15年も「デザインされたハゲ」でやってきたのに、干支を一周と少しまわったら、デザインされていない「ただのハゲたおっさん」になっていた世界は僕の眼前にある。

 物心ついてはじめての入院生活は上がり下がりしてヒタヒタと付いてくる熱や、熱があがってもなお続くストーカーのような悪寒と関節痛と倦怠感、軽度だけどしつこい空咳、そして熱からくるのかわからないが、妄想が延々終わらないという状態に彩られていた。死ぬほどのしんどさはないけれど、そういった状況から同世代でも亡くなっているらしいという現実が重苦しく広がっていたし、そうか、この減圧ブースのコッチ側の世界で、このまま死ぬのかなぁと考えてみたりした。あまり心配されたくもないし、そこまでの余裕もないしで、最初は本当に身の回りの人にだけ病状を伝えていたけれど、皆が、すごく心配してくれて、本当にどこまでも心の支えでいてくれた。

 しんどさが軽減してからも、周りの人達の心配は途絶えることがなかったから、「ここまで心配させてしまったか」「ここまで迷惑をかけてしまうのか」ということに対しての申し訳なさと人の存在の有難さをベッドの上で感じる日々。自由に動けない隔離病棟の中の不自由は「精神と時の部屋」然としていて、減圧しててもなお、重苦しい気持ちと同時に自分の2020年を顧みるいい機会にもなったし、2021年以降、世の中の人達を苦しめる後遺症が自分の身にも現れる可能性も含めて、働き方、在り方を考える時間をもらえた気がする。

 それは「できることはたくさんは無いのだから、生きてるうちに、楽しめることだけをしっかりやること。大切にしたいものだけを大切にすること。そして、まず休養をとること」といった当たり前のことをヒシヒシと考える時間で、「生産・稼働する力」「デザインする力」「維持する力」「発信する力」等のエネルギーをどう『集中』し、どこを『選択』するのかということを考えた時間。

 物理的に閉鎖された環境ではあるけれど、ギリギリのところで沸き起こったさり気ない自己愛と他者の存在への感謝と温もりとにまみれた、それはそれは、深い深い拡がりのある空間。

 そうした「精神と時の部屋」を経て、少しずつ元気になり、食事の時間を待ち望み、病院でシャワーを浴びたりすることが楽しみになり、(僕はウィルスじゃなく細菌による二次感染が疑われたのでステロイドと抗生物質を数日いれた上での)11日経過後、退院の日を迎えたわけだけど、剃髪をするカミソリや髭剃り、そういったものを一切持ち込んでいなかったから、結局、なんのデザインもすることなく、あるものはヒゲとハゲという状況で外界に出るに至る。

あれあれあれあれ。デザインを大切にしてきたはずの僕はいつのまにか 、単なるハゲ散らかした、40半ばの体力と免疫の落ちた、仕事にも穴をあけた基礎疾患はないがメタボリックで、今すぐに何か外の食べ物を食べたい・・・・と飢えた「ただのハゲたおっさん」に過ぎなかった。

なんたることだ・・・・・。

まぁ、しかし、まぁこれで、いいかと思ったわけ。  

そして、退院して約一週間が経ち、

今もヒゲはそるがハゲ散らかしたままで過ごしているわけ。

ずっと勇気づける言葉だけをくれたり、僕が死ぬことを勝手に考えて泣いてくれたり、頭の中で僕を殺して葬儀のことまで考えてくれたり、2日開けることなく連絡くれて心配してくれたりした、僕の身の回りの皆さんは、多分「デザインされたハゲ」の僕を愛してくれているのではないのだ。そして今、僕が大切にすべきものはそこにはなく、ただただ、いずれ放つべきエネルギーを貯めないといけないのだ。と思えたからである。

だから今はそのままでいいよね。そう思っている。(また近々、コレにも飽きたらその時。考えるでしょ)

というわけで、これが僕の
「年を明けてみたら、「デザインしたハゲ」として過ごしてた干支一周半廻って「ただのハゲたおっさん」になっていたという2021年1月コロナ禍の中の話」であり、

また新しく生きる道を探し出し、したいことだけ、大切にしたいものを大切にする為だけに、さぁ何をしてやろうか、と中年のただのハゲたおっさんが世界をいじくっていく日々に連なる話である。







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