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人生とは、自分色の上に誰かの色を重ねていくことかも

明けましておめでとうございます。
さて何ヶ月ぶりのnoteなんでしょうか・・・苦笑
今年こそもう少しコンスタントに綴っていこうと思ってます(ほんとに!)

しばらくの間いろんなことがあって、いろんな出会いがありました。
そんな中で、
「この人とは合う」「この人とは合わない」
「この場所は合う」「この場所は合わない」
と感じる機会がたくさんあったのですが
「合う」「合わない」の基準が自分にとってなんなのかはっきりわかりませんでした。

というのも、合わせようと思えば合わせにいけちゃうからなんですよね。

でもやっぱりそればっかりやってると自分がすり減って
本来の自分がどんなだったか忘れちゃうんですよね・・・。

そんな今日、昔の創作仲間(フォトグラファー・モデル)から連絡がありまして。私の東京行きをSNSで知って一度お茶しないか、と。
久しぶりに会いたい、と思いました。

しかしこの二人とはとても仲がよかったのにいつからか会わなくなってしまってたな。でも自然とまた会いたいと思っている、楽しみだなあ。

この二人だけじゃなく、人生の分岐点を重ねていくうちに「会う人」というのは変わっていく。
でもしばらく経ってからまたこうやって手繰り寄せられるように
「繋がる人」には
どんな共通点があるんだろう?

私の場合
それが
その人の持つ「色」が自分にとって心落ち着く色かどうかであるかどうかであることかも・・・
と気づきました。

「色」というのは肌色のことではなく
いわゆるオーラの色とかそういうことではなく(笑)

その人の感性、人格、知性が持つ、色。

それを感覚的に私は感じ取って、「会いたい」と思ったり
「今は会いたくない」と思ったりするんだろう。
なぜなら自分の色が人生を進むにあたって微妙に変化していくから。

でも根本的な「色」は変わらない。

奥底のその色が、似てる人ならば
きっと離れることがあっても
またどこかで会ったりするのだろう。

そして、その奥底から滲み出る色を
新しく出会う色たちと
馴染みそうにならなければ「合わない」

でも「合わせたい」と思うならば
例えば白色を入れて自分色を薄めたりしなければならない。
時には自分の色の上からその色を思いっきり上から重ねられる必要もある。

・・・・それは、別に悪いことなんかじゃない。
いや、むしろそうしないと、その場が美しくならない。

白で薄めるか、どちらかの色に被るか、その二択なんだろうな。

ここで大事なのは
自分の色が消えるわけではない、ということ。
自分の色はキャンバスの一番下層にしっかりと塗られていて
それは年月が経てば経つほど
上から色を重ねれば重ねられるほど
むしろ剥がすのは容易ではない。

でもそのうち上から塗られた色の方が劣化して自然と剥がれ落ちていく。

その頃にまたしっかりと塗り重ねるのか
自然と劣化していくのを待つのか
いや時間をかけてゆっくり自ら剥がしていくという選択もアリな気がする。

どれをとっても、美しいと思う。

最初に染まったキャンバスの色は
絶対に変わらない。

かつて同じ作品の中で互いの色を馴染ませようと切磋琢磨した友人たちとの再会を前に、そんなことを思ったのでありました。