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短編小説 後妻業の女

 三十畳はあるリビングに置かれたソファーに身を沈めながら倉林孝は真向いに座っている義理の母をにらみつけていた。
 五十半ばの孝の頭にはチラホラ白い物が目立っている。普段ならば行きつけの美容室で染めてそのような姿を人目にさらす事はないのだが、このあわただしい三週間がそうさせたのである。

 三週間前、父が倒れた。
 脳梗塞で病院に運ばれた時にすでに意識はなく結局、翌日に亡くなるまで意識が戻る事はなかった。

 父、倉林昌夫は街の小さい弁当屋を一代で店舗数五十のチェーン店にしたやり手だった。
 そして偉大な父を失った今、息子の孝は孤軍奮闘しているのであった。

 その忙しい孝が平日の昼間に会社を抜けて実家にわざわざ足を運んだのには訳がある。会社と同じくらい大切な事、亡き父の遺言書が開示されるのだ。

 つまり遺産相続の全容が明らかになろうとしていた。

 なまじ財産があると一悶着ひともんちゃくありそうなものだが一悶着どころか修羅場となってもおかしくない火種ひだねが倉林家にはあった。

 それは孝の真向いに座っている義理の母の倉林ミカであった。

 三十歳だったミカが七十九歳の昌夫と結婚したのは三年前。
 そしてわずか三年前に家族になった彼女に孝は父の財産を全部、奪われるかもしれないのだ。

 ちくしょう、後妻業の女め

 孝がミカを心の中でののしった時だった。お手伝いに案内され弁護士がリビングに入って来た。
「皆さん、おそろいですね」若いが優秀な顧問弁護士は一同を見渡すとうなずき遺言書を開き読み上げた。

 『全財産を妻である倉林ミカにのこす』

 孝は天を仰いだ。恐れていた事が起きたのだ。

 彼の隣に座っていた孝の妻が立ち上がり声を荒げた。
「おかしいでしょ、そんなの。血をわけた息子に一銭も遺さないなんて。こんな遺言書、無効よ」
 弁護士は咳払いすると言った。
「この遺言書は私が立ち合いのもと作成されたもので効力があります」
「でもこの女にそそのかされたのかもしれないし」
「その場には昌夫氏と私、二人しかいませんでした」
 頭を抱えていた孝がかすれた声で弁護士に尋ねた。
「不服申し立ての手続きをするしかないですか?」
「そうですね」
 その時だった。
「そんなのダメよ」ミカが言った。
「いや、早急に手続きを始めさせてもらう」孝は断固たる態度を示した。
「だからそんな事しなくていいのよ」
 喪に服してノーメイクでも人目をひく美しい顔を険しくしてミカは続けた。
「半分に分ければそんな事しなくてもいいじゃない」
「えっ、半分に分ける?」
「イヤ?」
「本当にそれでいいのか?」
「ええ」

 一時間後、孝たち夫婦と弁護士は帰り一人には広すぎるリビングのソファーでミカはほくそ笑んだ。

 これで後腐あとくされなく三億円が懐に入った。

 『後腐れなく』をミカは大事にしている。
 その為になら六億の遺産を半分の三億にする事もいとわないのだ。

 彼女には苦い経験があった。

 それは一番目の夫、小林茂夫の遺産相続の席であった。
 夫は財産の全て五億をミカに遺す旨の遺言書を作ってくれていた。
 茂夫の一人娘の由紀子は怒り遺言書は無効だとわめきたてたがミカは突っぱねた。
 自分には五億全額貰う権利があると主張した。

 突如、右肩が熱くなった。

 由紀子が湯飲み茶わんのお茶をミカに浴びせたのだ。
 幸い火傷はしなかったがその後何年も由紀子からは嫌がらせの電話や手紙が届いた。
 引っ越ししても電話を変えても興信所を使って調べているのか執拗に嫌がらせは続く。
 本来なら警察に相談しに行くべきなのだろうがミカ自身が後妻業で生計を立てている事もあり相談に行けず、甘んじてその状況を今でも受け入れている。

 だから二番目の夫の時からは遺産は親族で均等に分ける様にした。
 結果、問題も起きずスムーズに相続を終え次のターゲット探しに取り掛かる事ができた。
 そして次のターゲットとして見初みそめた倉林昌夫との結婚生活も三年で終わり今、頂くものをキチンと頂いたミカはほくそ笑んで言うのだった。

「さあ、引っ越しの準備をしなくちゃ。面倒だけどそれが終われば……自由だわ」

 一年後、オープンカフェのウッドデッキでランチを食べながらミカはつぶやいた。
「さてと、どうしようかしら」
 今までならうに次のターゲットを物色している頃だったが今回は手付かずの状態だった。
 ミカは決めかねていた。

 一番目の夫は五億、二番目は三億、三番目の夫も三億円のこしてくれたから手元には十一億円ある。
 一生働かなくても暮らせる金額だ。
 だからこそ決めかねていた。

 どうしよう、もう一回、後妻業する? それとも何かお店でもしようかしら、でも働かないっていう選択もありなのよね

 考えあぐねていたミカの耳に隣の席の二人組の女性客の話し声が聞こえた。

「ねぇ、千春の話、聞いた?」
「ええ、加賀さんとの婚約が無しになったんでしょ」
「わからないものよね、出世頭でイケメンの加賀さんがまさか横領で懲戒解雇なんて」
「千春はある意味、ついてたよね。結婚前に分かったから。もし結婚後だったらもっと大変じゃない」
「それが千春はすぐに結婚したくて籍を入れようとしてたの。そしたら彼女の両親がまず見てもらってからだって、心酔している占い師の所に千春を無理やり連れて行ったんだって。ところがその占い師が『結婚はやめた方がいい』と言ったもんだから結婚に反対する両親と千春がもめていた所に加賀さんの不祥事が発覚したの」
「ふーん、占いで人生決めるのもどうかと思うけど、結果良かったからいいんじゃない」
「……」
「どうしたの?」
「私、占ってもらおうかと思っているの」
「そうなの?」
「会社辞めようか悩んでいて、親はせっかく入った大手企業を辞めるのはもったいないって言うし……」
「なら試しにちょっと見てもらったら」
「ちょっとなんてダメよ、しっかり見てもらわないと。五万円もするんだから」
「五万? 高すぎるでしょ。止めたら? 悩んでいる人間の足元みてぼったくりしてるのよ」
「でも当たるんだって。絶対にはずさないって」
「うーん、めちゃくちゃ怪しい感じだけど、どこにあるの?」
「駅の向こう側の商店街に古本屋があるでしょ、そのビルの二階」

 そこまで聞いていたミカは席をたった。

 駅の向こう側を目指してごった返している構内をミカは歩いていた。
 いつもの事だが男達の視線がまとわりつく。
 後妻業を十年して三十四になる彼女だが見た目には二十代に見える。そのせいか学生服姿の男子高校生までが見つめてくる。
 いたずらに見つめ返すと彼は慌てて視線をそらした。

 ふふ、かわいい

 そう思う自分の変化、それが迷いの原因なのだ。
 今まではターゲットとなり得る年配の男性の視線が気になった。若い男性の視線などわずらわしいだけだったが、近頃は妙に気になる。

 やっぱり後妻業は無しかしら

 駅を抜けて駅前ターミナルに隣接している商店街を歩く。昨今はシャッター街となり閑散としている商店街も多いがここは駅近でアーケードもあり雨の日でも傘をささずに買い物ができる利便性のお陰で賑わっていた。
 お目当ての古本屋はすぐに見つかった。間口一店舗分しかない小さいテナントビルの一階にあった。
 開店休業のような古本屋の横の細い階段を二階に上がる。
 すると味気ないアルミドアがいきなりミカの目の前に現れた。

 こんな所で五万円とるの? 本当にぼったくりなんじゃない?

 驚きを隠せないままミカはドア横の呼び鈴を押した。

 世良涼介という若い男はミニキッチンでコーヒーをれていた。
 ミカはソファーに座りながらビルの外観からは想像できない洒落しゃれた室内を見回した。
 部屋には一人掛けのひじ付きソファーが四脚置かれ、それぞれのソファーの横には小さいカフェテーブルが置かれている。
 男はコーヒーを運んで来るとミカのソファー横のテーブルに置いた。
「……いい香りね」
 コーヒーの香りを楽しみながらカップを口元に運ぶと柄にもなく緊張してこわばっていた肩から力が抜けた。
 そんなミカを見ながら涼介は尋ねた。
「次の予約が入っているので時間をあまりとれませんが手相と人相、どちらを見ますか?」
「……」
「どうかしましたか?」
「占いっていうからタロットか何かだと……」
「……止めにしましょうか?」彼は彼女を見つめた。
「み、見てちょうだい。手相でいいわ」ミカは顔を赤らめながら言った。
 彼は頷くとミカの座っているソファーの前にスツールを置き腰かけると彼女の右手をとった。
 ミカは頬が熱くなって自分の顔が赤くなっているであろう事が分かったが、どうする事も出来ない。
 彼女はもう長い間、忘れていた感情に戸惑っていた。

 一目見た時から彼に心奪われていたのだ。

 もはや後妻業やその他もろもろの事などどうでもよかった。
 望みは彼の心を射止めたい、ただそれだけだ。

 落ち着くのよ、私には後妻業でつちかったノウハウがあるわ。男を思いのままに操れるわ

 そう自分を鼓舞こぶしている彼女に涼介は言った。
「結婚線が複数ありますね、しかもどれもはっきりしている」
「えっ、何?」
「……」
「何て言ったの?」
 彼はミカの手を放しスツールから立ち上がった。
「やはり止めておきましょう」
「何故? お金ならちゃんと払うわ」
「お金の問題ではありません、先程から上の空ですよね。気乗りしないのに無理に見る事もないでしょう」
「お願い見てちょうだい」
 涼介は頭を振ると背を向けた。
 焦り余裕が無くなったミカは本音をぶちまけてしまった。

「私と結婚して」

「えっ、結婚? え?」
「もちろん交際からでいいの、出来れば結婚を前提にして。私と結婚すればこんな生活にサヨナラ出来るわよ」
「何を言っているのか分かりませんが僕は今の生活に不満を感じていません」
「私、後妻業をずっとやってきて今、十一億円持っているの。占いを続けたければ続けてもいいわ、でも私と結婚すれば生活の為に客から五万もとる様なあこぎな真似はもうしなくてもいいのよ」
「五万円という金額はそれに見合ったものを提供出来ているという自負があるからです」
「でも占いよ、当たるか分からない不確かなものに五万は高すぎよ」
 不快感をあらわにしてミカを見ていた彼は言った。
「お引き取り下さい」
「貴方にとっても悪い話じゃないと思うの、冷静にもう一度考えてみて」
 彼はカフェテーブルのコーヒーカップをミニキッチンに運ぶと洗い始めた。彼女の事は完全に無視である。
 取り付く島もない涼介の態度にミカは肩を落とすと自分の電話番号を書いたメモと五万円をカフェテーブルに置いて退室した。

 ビルの階段を下りながら思わずぼやいた。
「ああ、失敗しちゃった。どうも調子が狂って……」
 男を手玉に取るはずの後妻業の女が形無しだった。
「あんな事、言わなければよかった」
 後ろ髪を引かれる思いでトボトボと商店街のアーケードを歩いていた。

 翌日、オープンカフェのウッドデッキには完全復活したミカがいた。

 彼女はコーヒーを飲みながら彼を待っていた。
 帰り際に電話番号を置いたとはいえ最悪な出会いに半ば諦めていただけに昨晩、連絡があった時は嬉しかった。
 時間通りに姿を現した彼にミカはまるで少女の様にはにかんで話し掛けようとしたが涼介はそれを制した。
 そして五万円を彼女に差し出し「これを返しに来ただけです」と言うと足早に立ち去ろうとした。
「待って、昨日は悪かったわ。お願い、話を聞いて」
 彼は背を向けた。
「待って、美味しいコーヒーでも飲みながら話を聞いて」
「美味しいコーヒー」
 涼介はオウム返しに言うと振り返ってミカが飲んでいるコーヒーカップに視線を落とした。
 昨日、彼が淹れたコーヒーを飲んでコーヒーにこだわりがある事は分かっていた。だから待ち合わせをこのカフェにしたのだ。

 ミカの読みは当たった。そしてここからが腕の見せ所なのだ。

「私、後妻業を続けるか悩んでいるの。昨日はあんな事を言ったけど手相を見てほしいの」
 たたみかける様に言うと座って右手を差し出した。
「ここで?」
「だって貴方、評判いいんでしょ。相談に乗ってほしいのよ、悩んでいるの」
 後妻業はもう廃業するつもりなのだが彼を引き止める為のウソだった。

 ミカは甘える様に上目遣いに涼介を見ながら彼の手を握った。
 この必殺技で男性を落とせなかった事は今まで一度も無い。

 驚いて彼女を見つめていた彼だったが、やがて大人しく席についた。

「確かに悪くない」味わいながらコーヒーを飲み干し涼介は言った。
「じゃあ、見て頂戴」
「分かりました」
 差し出された彼女の右手を注視する。
「結婚線は四本です」
「四本……あと一回、結婚するのね」
「財運線もはっきりと表れてお金の苦労も無いようですね。ただ……運命線の一部に横線が多く入っている箇所があります、以前に何かトラブルがありましたか?」
「ええ……でも少しだけよ」
 彼は眉間にしわを寄せて考え始めた。
「大丈夫、大丈夫よ。それより私、やっぱり貴方と結婚するわ」
「昨日もそうでしたが何故そういう話になるのです? 僕達は出会って間もないし互いの事も知らないのに」
「でもあと一回しか結婚出来ないなら相手は貴方しか考えられない」
「僕は金持ちじゃないですよ」
「お金なんか関係ないわ。貴方がいればいいの」ミカは殺し文句を言った。

 それから十か月後、喫茶店のサンドイッチを頬張りながら由紀子は興信所の報告書に目を通していた。
 向かいの席にはなじみの調査員の男が座っていた。
 三か月前にまたミカが引っ越しをしたので依頼して行方を探してもらっていたのである。
 男は言った。
「あの女、結婚してT市に引っ越していましたよ」
「また? で今度の相手は何歳のおじいさんなの?」
「それが今回は違うんですよ、相手は三十二歳で彼女より二歳年下」
「え? 若い金持ちの男を捕まえたって事?」
「いえ、金持ちではないでしょう。客の手相や人相を見て生活しているんですから」
「それって……」
「ええ、後妻業はもう止めにして『普通の幸せ』ってやつを手に入れたんでしょう。相手の男は中々のイケメンですよ」
 由紀子は報告書と一緒に渡された写真を見つめた。
 背の高い若い男の横で微笑むミカが写っている。 

 由紀子はサンドイッチが急に喉を通らなくなった。

 喫茶店を出た由紀子はフラフラとあてもなく街を歩いた。もう昼の休憩時間も終わり会社に戻らなくてはならない時間だが歩き続ける。

 彼女はこの六年間を思い出していた。

 六年前、ミカに亡き父の財産を全て奪われ一文無しになり由紀子は働きに出る事になった。それまで『深窓の令嬢』で働いた事など無かった彼女が五十を過ぎてから社会にほっぽり出されたのである。
 いい歳をして電話の応対も満足に出来ないと、若い二十代の女性社員にあきれられながら必死に仕事を覚えた。
 辛い毎日だった。
 今では上司や同僚に一目置かれるまでになったが年齢の為に待遇は契約社員のままで安月給に気苦労が絶えない。
 お金が欲しい。
 高望みはしていない、ただ月末に口座の残高を心配しなくていいだけの給料が欲しいだけなのだ。

 それなのにミカは好きな男と結婚して裕福な暮らしをしている、私がもらう筈だった父のお金で。許せない、絶対に許せない。
 仕返ししてやる。
 嫌がらせの電話や手紙じゃ生温なまぬるい。
 すごい仕返しをしてやる、目にもの見せてやる。

 由紀子は街をフラフラ歩き、会社に戻る事はなかった。

 その六時間後。
 涼介は自宅のソファーで読書をしていた。
「兄さん、ミカさんは?」キッチンにいる弟の彰吾が訊いた。
「もう、そろそろじゃないかな」涼介は顔を上げると読みかけの本を閉じてソファーの前のローテーブルに置いた。
「僕は兄さんがうらやましいよ。ミカさんのような人と結婚できて」彰吾は笑顔で言うと果物ナイフで器用にリンゴの皮をむきだした。

 同じ頃、閑静な住宅街の夜道にミカのハイヒールの靴音が響いていた。

 すっかり遅くなっちゃったわ、涼介さん、待ちくたびれているかしら

 案じながらも彼女は夫である涼介の顔を思い浮かべ頬を緩めた。
 彼は整った顔立ちをしている。
 でも彼女をこれ程に夢中にさせるのは彼の浮き世離れした雰囲気にあった。

 涼介には男臭さがない。
 そして人間臭さもない。

 彼と交際を始めてからミカは涼介が物事に執着するという事があまり無いのに気付いた。
 物欲や金銭欲といった誰もが持っている欲も無い。

 だからかれるのだ。
 後妻業で欲深く生きて来た彼女の心をとらえて離さないのだ。

 そんな涼介が大切にしているのは
 仕事、コーヒーそして弟。

 付き合っている頃から弟と同居している事は知っていた。家事が出来ない涼介に代わり家の事は全て弟がしている事も知っていたが、その流れからか結婚して三か月が過ぎようというのに弟に家を出て行く素振りは見えない。
 そして長年連れ添った恋女房の様に涼介の世話を焼くのだ。

 彼女にはそれが腹立たしくてたまらない。

 しびれを切らしてミカはやんわりと弟の彰吾に言った。
「彰吾さんも若いから一人暮らしをして自由を満喫したら?」
「僕が出ていったら家の事はどうするの?」
 ミカは料理が苦手でリンゴの皮むきすら、たどたどしいのだ。
「大丈夫よ、お手伝いさんを雇うから」
 今まで金持ちの妻しかした事がないミカにとって家政婦が家にいるのはごく普通の事だった。
「そんなのもったいないよ。いいよ、僕がやればいいんだから」
「……」

 彼女は料理教室に通い始めた。料理をマスターして彰吾を家から追い出す魂胆だった。
 そして今、教室からの帰りなのだ。
 ミカのハイヒールの靴音は一段と速くなった。

 キッチンから出た弟の彰吾はリンゴを盛った皿を涼介に手渡すとソファーに腰掛けた。
「さっきも言ったけど僕は兄さんがうらやましいよ、ミカさんのような女性と結婚できて」  
 彰吾は意味ありげに笑うと続けた。 

「あんな女性、滅多にいない。美人で金持ちでしかも……顔に死相が現れている、なんて」

「しかも日増しに色濃くなっている」涼介は言った。

「じゃあ、やっぱり、そろそろなんだね」
「ああ、そろそろだ。気の毒だがこればかりは運命だからどうしようもない」
「それにしても兄さんが結婚したのは驚いたよ」彰吾は笑いながら言った。
「そうかい?」
「兄さんはお金に興味が無いのかと思っていたけど、さすがに十一億には心が動いた?」
「違うよ、お金の為じゃない」
「え? じゃあ何故?」
「彼女は僕の仕事を見下しているんだ。表向きは応援しているように見せているが心の中じゃ馬鹿にしている。僕たちは半年間交際していたがずっと彼女は変わらなかった。だから別れを告げようとしていた矢先に彼女に死相が現れた……そこで僕は彼女と結婚することにしたんだ」
「別れようとしていたのに?」

 涼介は頷いて言った。
「彼女は僕の仕事を見下した。だから僕は後妻業の彼女から遺産を相続してやろうと思ったのさ。彼女も自分が金をのこす側になるとは思いもしなかったろう。しかも彼女は三人の夫から十一億円もらうのに十年もかかってしまったが僕はわずか半年足らずでやってのけるんだ」
「それって、もしかして……」

「ああ、仕返しさ」


 ミカは夜道を歩いていた。
「涼介さん、待ちくたびれているかしら」
 今日は教室で八宝菜を作る予定だったので持って帰って来るから夕食はそれまで待っていてほしいと朝、言っておいたのだ。
「でも美味しく出来たから喜ぶわ、きっと」
 彼女は嬉しそうにつぶやいた。自宅のマンションはもうすぐそこだった。

 彼女は知らなかった。

 愛しい涼介はいささかも彼女の帰りを待っていない事を……
 代わりにマンション前には今か、今かと彼女の帰りを待ちわびている由紀子がいる事を。


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