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志の果てに #11

       終章
 

 全てのものを失った時、人はどういう行動に出るだろう。泣きながら発狂する者、他者に危害を加える者、無理に笑って莫迦になる者、ただ茫然自失となり死を願う者、実際に死んでしまう者。
 最後の死ぬ事以外は一通り経験した修司であった。
 33歳になった彼はこの三年の間に様々な経験をしながら、自我を捨てる修行に励んでいた。
 まずは工務店を辞め、また無職の身となって人生を彷徨い、改めて自分という存在を見つめ直す為に数ヶ月間の旅をしていた。
 主に西日本を中心とした旅で、中国地方から九州に渡り、四国を経由して関西に帰って来る。その道中にあった最大の苦難は、やはり人間であった。何処へ行っても何をしていても、人間として生まれた以上は人間と関わりながら生きて行くしか道はない。それは即ち一社会人としての当たり前の行動をとっているだけの話で、別段怖れたり、嫌がったり、卑屈になったり、狼狽えたりする必要もない訳で、毅然とした態度で接していれば良いだけの話でもある。
 しかし、それを煩わしく思い死を選んでしまう者が多いのも事実で、動物や植物等、他の生命体と比べれば人間の生存本能とはそこまで弱いのかと首を傾げたくなる。
 一生のうちただの一度も死にたいと思った事がない人間など居るのだろうか。居ないと思いつつも、もし居るとすれば、どのような者が当てはまるのだろうか。その者は強い人間なのか。逆に言えば弱い人間ばかりが死にたいという衝動に駆られるのか。
 やはり修司は根が暗い男なのだろう。自分自身でもそう感じる所で、その人間の暗い部分に目を当てていなければ気が済まないのだ。明るく振舞っている者を見ると、その人間の本質から、自分から逃げているように、或は誤魔化しているだけのように思えて来る。
 旅では幾つかの寺を訪れ、そこで人生について僧に意見を訊いた事もあった。彼は本来、好きな仏教をこういった駆け込み寺のように扱いたくはなかったが、俗世から離れたであろう僧達の、一人間としての本心をどうしても訊きたかった。要するに自分では想像もつかないほどの、何か気の利いた言説に与りたいと企んでいたのである。結局は駆け込み寺として使っていたと言われても仕方ない話であった。
 殆どの僧は相手にもしてくれなかった。時には本堂の前で坐り込んで直訴した事もあった。何をそこまで苦しんでいたのだろうか。それも自分では解らない。ただ己が純粋な気持ちを駄々をこねる子供のように訴えていたのだろう。
 一応出家する方法もあるとか、空海の十住心論を読めだとか、我々は死者の魂を成仏させるのが仕事だからとか、想定内の事ばかりを訊かされるだけだった。
 さもあろう。如何に仏門に帰依し、厳しい苦行に耐えて来た僧とはいえ、そのような修司の漠然とした深い問いに即答出来る筈もない。それを極めようと勤める事が彼等の本分なのかもしれない。
 正にあてのない旅だった。帰って来た今となっても、何かを掴んだという実感は全く無い。それどころか悩みは増すばかりだ。わざわざ悩みの種を増やしに旅していたのかとさえ思ってしまう。そうなれば益々自分が嫌になって来る。負の連鎖は留まる所を知らなかった。
 今の修司に友人や恋人は一人も居なかった。気まぐれにも嘗て契りを交わした咲樹は、いつの間にか姿を消していた。元々修司には関心が無かったのだろうか。あれから一二ヶ月交際しただけで、互いに連絡もとらなくなり、自然消滅という終焉を迎えるに至っていた。
 修司も修司で咲樹に対する思いが恋心でない事を知ったのだった。そんな状態で男女の仲が長続きする道理はないだろう。一概には言えなくとも。
 唯一の有人義久も全く姿を現さない。前の一件で修司に懲りたのだろうか。三年経った今でもまだ金は返して貰っていない。カッコをつける訳でもなく、僅か数千円の貸金などはどうでも良い修司だった。
 実家には母が一人居るだけで、相変わらず出張が忙しい父の存在などは無いに等しい。兄弟は皆自立し、所帯を持ち遠方に住んでいる。子供に頃から変わらないのは修司だけだった。
 それを淋しいと感じられない所も、修司の欠点だろう。彼にとっては一人で居る事が何より倖せなのだ。せいせいするぐらいだ。
 以前親や知り合いから言われた事があった。
「まだ若いからからや、もうちょっと年行ったら淋しくて堪らんようになるわ、老後なんかは地獄やど、孤独死しとう人もようけおるやろ」
 そんな事すら修司には戯言にしか聞こえない。そんな年まで生きるつもりは無かったからである。
 ならば何時死ぬのかという話になって来る。自殺者の中には二十代も沢山居る。33という年は世辞にも一応若い部類と見做されるかもしれないが、もう立派な大人で、中年なのである。謂わば若者と中年のちょうど狭間ぐらいだろうか。
 やたらノスタルジックに耽る癖のある修司も、十代や二十代の頃を懐かしむ事は意外と少なかった。真に懐かしいのは自分史の中では神話の時代とも言える幼年期だけだ。
 あの頃は良かった。目に映るもの全てが新しく感じられる。無気力無関心な修司にもそれなりの感激というものがあった。正に純粋無垢な心を持っていたのだろう。
 でも何が良かったのかと突き詰めて考察すると、やはり答えは出て来ない。楽しかったのか、余りそうは思えない。幼い頃から常に何かに疑念を抱かずにはいられなかった。
 彼が目にする事物、事象は当然ながら彼自身の心を介して感じられ、考えられ、咀嚼され、表現される。するとどのようなものでも、それ自体が持つ本来の美しさや醜さ、面白さとは別の解釈をなされ、形容されてしまう可能性が出て来るのである。
 それは特に人間社会に於いては往々にある事で、自分の価値などは所詮他人が決めるものかもしれない。そう考えると自分を知る、悟り切るという願いなども所詮は自惚れた考え方で、人間という生命自体がそもそも不遜で邪な生き物であるといった極論にも到達してしまう。
 だが性善説や性悪説といった二元論が嫌いな修司は、その割り切るという免疫の脆弱さからも、いっそ知りたくない、悟りたくないといった逆説的な思考が込み上げて来るのを感じる。
 結局は莫迦になったもの勝ちなのだろうか。それを世の不条理と言って憚らなかった彼の心は、未だして形を持たない。
 迷える無能な人。無智、無能だからこそ迷ってしまうのか。逡巡と戯れる修司の心を浚うように、吹き飛ばすように強く巻き上がって行く秋風。その渦の真ん中にあるであろう風の真意は、自然界の美しくも峻厳な心意気としてだけ表現されていた。

 長々と書き綴って来た修司の自伝ともいえる作文。これを小説と呼ぶには程遠く、物語としても成立はしていないだろう。
 彼は己が迷いをただ遮二無二書いて来ただけだった。そこに登場する人物などは、はっきり言ってどうでも良い。咲樹が他の女性でも、義久が他の友人でも、親や知り合った者全てが人間として機能している者なら誰でも良いのである。
 何故そこまで人間という生命に拘るのかと言えば、それこそ彼にとってはごく当たり前の事で、自分が人間として正を受けたからという答えに他ならなかった。
 もし動物なら、もし植物なら、或は雨や風、雲、星、光といった天為ならどうしたろうか。天の声でも鳴り響かせたのだろうか。
 彼は他者から何時も言われていた。
「何をそんな難しい事ばっかり考えとんや? もっと楽に生きて行ったらんかいや、お前もアホやねんから」
 これは自明の事実でもあり、有り難くも悲しい謗言でもあった。莫迦正直に言われる悪口には慣れていたが、少しでも腐肉を込めた褒め言葉には虫酸が走るし吐き気がする。
 何故正直な言葉を告げないのか。何故心で話さないのか。それが大人の会話なのか。面白おかしく繕えすればそれで良いのか。その中にある真実などはどうでも良いというのか。
 まるでガラスのハートを持つような思春期の発想である。彼はそこから全く成長して来なかったのか。精神年齢の幼い現代人が目立つ昨今、修司とてそのうちの一人と見做されてもおかしくはない。実際親から発達障害と揶揄された事もある。
 たとえ人に莫迦にされようとも、己が思いを莫迦正直に表現する事が発達障害というのなら、本音を隠し通す事が健常者の素行なのか。この極論こそ二元論であって、そこから生まれる新たなる世界観は見い出せない。
 保育所時代に先生に言われた、
「綺麗なものを素直に綺麗と言っても良い」
 という言葉が今でも鮮明に残っていて、修司の心を刺す。
 あの時、修司は在り来たりな表現をした同級生達を非難した。それも正直な気持ちの表れだったのか。そうとすれば、今感じている莫迦正直な表現法を自らが否定する事になる。一貫性の欠片もない話だ。
 一々真剣に考える修司は、今にしてその同級生達に詫びたい気持ちになっていた。いくら幼児とはいえ、何故あのような突発的な妄言を吐いてしまったのかと自省に駆られてしまう。
 過ぎたるは猶及ばざるが如し。道を究めんとする、拘り抜いて行く事自体が不遜で道理に適わないというのなら、何事もほどほどに、適当に熟して行く事が正しいのか。いや是非にも及ばない話だろう。
 彼とて何も白黒はっきりつけたい融通の利かない男ではなかった。寧ろ融通の利かなくなった現代社会を憂い、哀れんでもいたぐらいで、四角四面で物事を捉える者を忌み嫌ってもいた。
 言うなれば内面的に頑なであり、外面的には融通の利く柔らかい為人であったのかもしれない。
 そんな彼が見る社会、この世の中という事象がとてもじゃないが耐えられないほどの醜いものに思えるのだった。何処が醜いのかと言えば全てである。
 嘗て神話の時代に神々がしていた事とは何か。様々なものを生み、育み、素晴らしい文明の力をこの世に齎した。それは尊敬どころか言葉では言い尽くせぬ謝意があり、改めて人間の非力を痛感する所でもある。
 でも他方神々はそれこそ言い尽くせぬ醜い争いを繰り返してもいた。数知れぬ不倫に生殺与奪。そのような行為を咎める者は一体誰なのか。神仏以外には考えられないのではなかろうか。
 それを一括りに醜いと感じる修司の情感は脆弱で貧相で稚拙なのだろうか。美醜という二極性や多面性を大らかに受け取る必要があるのなら、今の修司の頑なな心では歯が立たない。彼ならその乏しい知性や感性ながらも、それを細分化し、一つ一つを噛み砕いて分析せねば気が収まらないだろう。いや、それすらも出来ないかもしれない。
 物事を悲観的にしか捉える事が出来ない彼の精神性を保つ術は、死を意識する事以外にはなかった。死というものがあればこそ覚悟が生まれ、今まで生きて来れたようなものだ。もし未来永劫生きたままなら、何も出来なかっただろうし、そもそも生まれて来なかったようにも思える。
 死を迎える為に生まれて来た? その言葉を額面通りに受取れば自分は生まれながらに死を覚悟し、死期を悟っていたのか。
 ならば今がその死期なのか。まだそこまでの腹は括り切れていない。やり残した事などいくらでもあろうが、そんな事はどうでも良い。心が死期を感じていない気がする。
 死にたい気持ちの中にもある一定数の生への執着。単に根性がない、意気地がないだけの事なのか。それも何処か違うような気がする。しかし、死にも当惑し、自分がとるべき道に躊躇っているようでは、この先生き続けていてもどうせろくな事はないとも思えて来る。
 考え出せばきりのない話で、その迷路にはゴールが見当たらない。
 街を行き交う人々の笑顔が嘘に思える。何故そんな作り笑いを浮かべるのだ。たとえ人と交わっている時でも、たまには真剣になってみろよ。修司のそんな干渉は己の心をも感傷的にし、本来彼が愛する孤独という暗闇に求めもしない捌け口を求めたくなって来る。
 やはり、どうあっても人というものは一人では生きて行けないものなのか。他者と関わる事でしか発展は遂げられないのか。いや違う、古の賢人、それも仙人や上人と謳われた者達は、その類まれ無い才能と壮絶な努力の末、何百年という人生を生き、天寿を全うしたのではないか。彼等こそ尊敬に値する者なのだ。
 それに引き換え神々は何を後世に伝えたのか。人類は全くといって良いほど進化していないではないか。美醜のうち、醜ばかりが目立って感じられる。それも自分の目が曇っているからなのか。
 そう思う修司は仙人や上人と言われた者を心から愛した。あの世捨て人のような風采こそが人の真の姿であり、真人間の象徴なのだ。自分もあういう風に成りたい。いや、成らなければならない。
 またしてもこのような飛躍した思考に傾倒してしまう修司だった。
 でももう遅い。33歳という年齢は自分でも受け入れたくないぐらいに切ない。年輩者に怒られようとも、殴られようとも、殺されようとも、動じるものではない。若い者や幼い童に対しても同じだ。これこそが自分の紛う事なき本心なのだ。
 死ぬ時は自刃しか無いと決めていた修司は、母が居ない合間を縫って、台所から包丁を取り出し、己が腹に突き付けた。
 鋭い刃の尖端が禍々しい光を悄然と放っていた。一度でも失敗すれば、二度目は無いだろう。後は自殺の真似ごとが続くだけである。躊躇すれば終わりだ。俺は生きたまま死んでしまう。そんな生き方だけは御免だ。一気に事を終えるしか無い。
 そういう邪心を捨て去るよう目を瞑り、無心になって息を整える。力む手先の震えが邪魔で仕方ない。更なる無心へと己が精神を誘(いざな)う。
 宅配便か何かの呼び鈴が遠くに聞こえた。その瞬間彼の手は刃を迅速に腹へと突き刺した。
 痛みが全身を駆け巡り、顔が蒼褪めて行く。修司は夢想の裡に感じるのだった。己が儚い夢を、今書いている自分の筆先が動いている様を、その真意が全て幻であった事を。

                             完
 
 
 









 
 

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