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志の果てに #6

      
       二章

 
 心は不器用なくせに手先は器用だった修司は、以前務めていた工務店の親方に、アルバイトで働かさせて貰うよう人知れず頼み込んでいたのだった。
 少しの躊躇いを辞さないまでも、快く承諾してくれたその親方の好意は有り難かった。
 今更悔いても及ばない、退職した理由、原因を忘れる事なく、いざ鎌倉とまでは行かないまでも、それなりの自分と親方、その他の職人に対する贖いを以て仕事に勤しむ修司。その表情は相変わらずの辛辣極まりない、少なくとも垢抜けてはいない表情なれど、その内なる将来、未来を夢見る心意気だけは明らかに己が意識として存しており、僅かに残る悔しさや恥じらいといった心情は取るに足りない未練に過ぎなかった。
 工務店といってもその内情は決して潤ってはおらず、仕事内容も言うなれば何でも屋みたいな、建築から土木一式を請け負う極小さな零細、いや、個人企業で、給料などはアルバイトともなれば一ヶ月をギリギリの線で賄える程度の高校生のバイト同然の額であった。
 何故そのような仕事に舞い戻って来たかというと、それこそ修司の内にあった志に端を発する願望であって、銭金だけではものに出来ないであろう経験値を積みたいだけの話でもあった。
 昔務めていた頃の職人達は各々独立し、今では立派な親方へと出世していた。中には挫折し路頭に迷う者も居るらしいが。
 大工という職は元来そういうものでもあった。一人親方となって独立しなければ、生計を保つ事が難しい業界なのである。それは大工という職人の性は言うに及ばず、建築業界でいうシステム的な理が形づけている。
 大工界隈で言われる、皮肉という冗談を込めた大三。無論麻雀の大三元でも無ければ、材木として使う大三(一寸三分)の事を指す訳でもない。大工を大九と仮定した上での三までの技術、能力しか備わっていないという話で、それを冗談ながらに嘲笑する者は多かった。
 そして土方(土工)が器用に仕事を出来たとしても、それは土方大工や土方溶接、土方塗装などと揶揄されるのだった。無論専門でない限りはそう言われても仕方ないのかもしれない。どだい専門職には勝てないのは周知の事実でもある。
 ただ総体的に見た場合、それだけの能力を持している者が、髀肉の嘆をかこっているのも勿体ない話で、自惚れはしないまでも、何か特化した能力はないまでも、少なくともプロとして仕事を成す事ぐらいは出来るのではなかろうか。
 と、恣意的に判断する修司は、この場に於けるせめてもの挨拶をするのであった。
「出戻りの身ではありますが、これからも末永くお付き合いして頂きとう宜しくお願いしたく御座候」
 候を付けたのは彼なりのパフーマンスでもあった。大してウケてはいないまでも。
 それでも修司の表情は明るかった。数少ない職人達の優しい笑みに感化されるように、見返りは求めないまでも、吹く風に対する自然的な謝意、降る雨の恵みに対する衆生の喜びのように。
 修司は実際には無かった拍手を心の中で聴いていたのだった。あの人も、この人も、まして親方も、皆が表す表情は決して卑屈ではない。逆に自分の顔つきが引き攣っているのではと訝りたくもなるぐらいだ。そんな僅かな蟠りをも一掃してくれたのが、他ならぬ親方の言であった。
「ま、みんな宜しく頼むわ」
 至って当たり前に聴こえるこの文言も、その場その時で意味合いを変容する言葉、という表現の深い真意を物語っているように思える。これを形式的に親方以外の者から訊いたならば、大した感動は無かったに相違ない。でも親方という、謂わば一家の長であり、社長であり、人の上に立つ者の表す言葉にはそれなりの貫禄があり、それを訊く方も少なからず動じるのである。言うなれば、大袈裟ながらも一国の長である総理大臣が述べる挨拶や言説にも似た、他者を圧倒まではしないまでも、尤もらしく聞こえようとも、そこにある長たる、美しい風格や威厳を超越した、理屈抜きな心の髄が現存しているのである。
 それを明確に説明する事は至難の業であろうとも、人間という生命が生まれながらに備えていた情感を以てすれば容易に解釈出来得る事象であり、個人差もあろうとも、純粋無垢な赤子や幼子に立ち返って考えてみると、素直さだけを以てしても十分に理解出来る心境であったように思われる。
 内勤、デスクワークでもない職人達は颯爽と立ち上がり、仕事の段取りをし始める。それに続く修司の所作も素早かった。
 予め用意されていた大工道具と、倉庫に余っていた少量の木材、それを車に積んで親方に一礼してから現場へと赴く一行。肉体労働にありがちな、如何にもこれから仕事に行って来ます、といった修司が余り好きにはなれない光景がそこにはあった。
 そんな事を一々苦にせず、皆と一緒に車に乗り込む修司の姿は一応の誠実さを表してもいた。
 この暑い真夏の空の許、彼等はどういう物語を演じるのだろうか。現実社会に、その過程や結果を模索する事は出来なかった。

 何時ものように甥っ子をプールに送り迎えする咲樹は、晴天の許で暗躍する己が心の変容ぶりに苛まれ続けていたのだった。
 彼女は修司の事を気には掛けていても決して好きにはなっていない。健二の件以来はその事後報告を訊いただけでまだ一度も会っていない二人だった。修司からの連絡も全く無かったし、咲樹からもしなかった。
 修司から連絡先を訊かされた時は真っ先に連絡しようとさえ思っていた咲樹。それが何故ここに来て素直に出来ないのかは自分でも理解し難い。強いて言うなら、二人の間に出来てしまったかもしれない、目に見得ぬ互いの本心という障壁が、真夏にありがちな見る驟雨、いや秋の長雨のように、心に執拗に降り続けているようだった。
 負の連鎖とでも言おうか。如何な男勝りな咲樹も自分の暗澹たる心が夏の晴天を煩わしく感じている事に気付いてしまう。甥のあどけない笑みですら鬱陶しい。何故自分はこんな事ばかりしているのだ。いっそこの子供を返してしまおうか。
 そんな時、甥っ子は笑いながら言葉を発するのだった。
「さーちゃん、何か怒ってる?」
 子供の敏感な感覚は侮れなかった。確かに怒りかけていた。それをなるべく甥っ子に感じさせまいとしていた事が却って逆効果を表したのだろうか。今見ている甥っ子の表情は、自分達が幼い頃のそれより遙かに純粋に感じられる。穢れを知らない子供の表情は何時の時代も同じに思えるが、明らかに自分との差異を感じるのだった。
「......いいや、そんな事ないよ、ほらもう直ぐプールやで健ちゃん、今日も頑張って泳いで来てな」
「うん」
 瞬時に明るさを取り戻した子供の、健二の能力は羨ましく思えた。
 水泳教室を終えた夕方前、俄かに曇り始めて来た空模様が地上に薄暗い灰色を付け、樹々の黄緑を濃い緑へと変化させ、流れる風から風情を取り払っていた。
 車のエンジン音が虚しく聞こえる。アスファルトに刻まれる人々の足音は彫刻刀で削ぎ落とされた木片のように、或は足許に横たわる落ち葉のようにただ静かに、それでいて乱雑に地面に散らばって行く。
 美しくない情景に触れた時、人はどういう行動をとるのだろう。それが自分の描いた画や、造った物ならば忽ちにして破り、壊してしまうかもしれない。他者から与えられた物でもそうする可能性はある。
 ストレス解消法なる言葉の持つ真の意味が理解出来ない。たとえ何かをして多少なりともストレスを解消させたとしても、それはあくまでも誤魔化しているだけに過ぎず、その元凶を絶たない限りは真に問題を解決した事にはならないのである。しかしそれこそ幼子でもあるまいし、大の大人なそんな振る舞いに興じようものなら事件に発展してしまうだろう。
 咲樹はストレスを感じていたのだった。自分から発した、自己欺瞞ともととる事の出来る、八つ当たりのしようがないストレスを。

 初日の仕事は比較的楽であった。親方が修司に気を遣ってくれたのか、元々暇だったのかは分からないまでも。
 事務所に帰って来た職人達、といっても僅か三人の男達は、トラックから朝積んだ道具や材料を降ろし、汗を流し、お決まりの一杯を始める。
 仕事終わりの定番ともいえる酒の付き合い。それを付き合いを捉えている時点で修司はまだ幼かったのだろうか。この年にして未だ人に、世間に揉まれて来なかったであろう自分の人生の経験値を不甲斐なく思う。その必要性の多寡は解らないまでも。
 狭い事務所の椅子に坐り、見積書を作成していた親方は職人達に労いの声を掛ける。
「おう、お疲れ、どうや、もう終わるか?」
「はい、あと二日で終わります」
 小さな人家のリフォームは修司にとっても結構面白かった。だが返事をした年も、経験も修司より先輩の職人、勲は言うのだった。
「親方すいません、こんな仕事に何日も掛けてしまって」
 確かに職人気質な者はそう思っているだろう。でもそれを包み隠さず、素直に親方に告げる先輩の心意気に感服する修司。
 彼の想いとは常にこうだった。どのような職に就いていようとも、いくら年を重ねていても、莫迦正直な発言を試みる者の純心が好きで堪らない。普通ならわざわざ口に出さず、特に男同士ならその心だけで会話をするようなものだ。口に出す事自体が稚拙に思われるかもしれない。
 それをこうして言い放った勲という男も、或る意味修司とは同質の人物なのだろうか。
「乾杯!」
 缶ビールを一気に飲み上げる勲の頼もしさよ。好きではないビールの泡が勲の唇で白く佇んでいる様が滑稽に見える。
 ならばと半分を口に含む修司の顔は、その時点で些か赤く火照っていた。己が体温の上昇を恥ずかしがるように、はにかむように、慣れもしない言句を言い表す修司だった。
「勲さん、お見事です、まるで鯨が小魚を一気に食べてしまうような猛々しさですね」
 全くウケていなかった。失笑。いや笑い自体が起きていないのだ。でも修司はウケを狙ったのではなく、純粋に先輩の行いを褒めただけだった。
「まぁ~ええやん、ビールは豪快に飲むもんやでな、オラ健太よ、お前何ひとり済ましとんねん、何か言うたらんかいや」
 この健太という修司よりも五つ以上年下の青年は、大人しいというよりは自分を蚊帳の外に置く癖のある、物静かながらもそれなりの慧眼を持った、所謂イケメン風の男であった。
 彼が歩くと花も恥じらう。とまでは行かないまでも、女性なら振り返る事ぐらいはあるとも思える。
 大きく見開いた目に表情豊かな顔つき。修司が嫌う長髪ながらも、風に靡く髪が見せる麗らかな、波のような動きが何処か心を刺激する。その上、背も高く足腰もしっかりとしている。大袈裟に言えば作業服に依って台無しにされたファッションモデルという所か。
 だがその作業服さえも高級ブランド服のように、鮮やかに着熟してしまう彼の才能、いや、単なるセンスか、そこに見え隠れする自分には無い色につい見惚れてしまう修司でもあった。
 先輩から言われた事に少しの抗いを見せる健太の所作だけは頂けない。僅かながらも、その大きい眼を以て先輩を威嚇し、亦そこから逃れようとしている内心が見て取れる。実際健太の額には汗が流れていた。
 汗を敢えて拭わない彼の、元々白い顔は蒼白くさえ映る。
「先輩、自分は勝手に飲んで、勝手に話しますから、どうぞ放っといて下さい」
 この言自体には賛同する修司も、やはり先輩に対する態度ではないと、何も言えない心の慟哭が、自分の内なる精神と同化して行くのを覚えた。
 そんな若い衆達が演じる舞台を悠然と見下ろす親方。その鋭い眼光は何を見透かしているのか。この情景にある全てをか。それとも自分達の世代と対比しているのか。
 何れにしても親方は見守っていたのだった。この台本のない学芸会のような舞台を。
 健太の所業を全く咎めず、清々しい顔で言葉を告げる勲であった。
「ところで修司君よ、お前女わいや? 結構モテそうに見えるけどな」 
 絶句した修司を襲ったのは、世辞にもモテると言われた事と同時に巻き起こる、異性への関心度であった。
 無気力無関心な人間が何かに気付いた時に感じる戦慄。その詳細を直ぐ様説明する事は難しい。でも自分から発せられた事象に対し、自分が説明出来ないのもおかしな話で、是が非でも説明し、納得したい修司は、瞬間的に頭に浮かんだ或る女性の顔を、心だけで見つめるのだった。
 綺麗な顔で映る咲樹。まるで花園に咲く一輪の花のようだ。こんな女性がこの世に存在するのか。
 忘れていた訳ではない彼女の事が遠い昔話のように感じられる。
 イケメンな健太の表情は心なしか優しさを取り戻しているように見えた。





 



















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