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幻の憧憬  #13


#創作大賞2022


     三章


 神戸は比較的雨量が少ない地域だった。ちゃんと調べた訳でもなく、単なる英昭の感覚的思考に寄るものかもしれないが、梅雨時でもそこまでの悪天候に悩まされる事がなかったのは確かで、傘を持つ習慣がなかった彼には好都合にも思える。
 ただ一見有難く思いがちな雨量の少なさも農作物の実りや植物全般の事を考えると決して楽観視は出来ず、人間生命との関係性からも手放しで喜べるものでもないだろう。
 英昭の眼前には一面の大海原が拡がっていた。大空や大草原、何も物を置いていない殺風景な部屋と同じで、シンプル好きな彼はこういう景色が大好きだった。
 そんな空間の中に居ると何も考えなくて済むという事と、考え事をするにも卑屈になる事なく、大らかな気持ちで落ち着いて物思いに耽られるといった二つのメリットを感じる。
 知り合いの漁師が昔言っていた事が思い出される。
「ま~海の仕事は丘と違って面倒くさい人間関係なんかはないしな」
 その事は言われるまでもなく理解する英昭だった。だが漁師になど全く関心がなかった彼はそれを訊き流していた。
 それが今になってしみじみと感じるのは元々の彼の性分がそうであったように、無意識裡にそんな環境を求めていた欲求や意志的な性格、そして年をとった事で他人の言動に耳を傾ける必要性に気付いたからこそだろう。
 どう考えても工場の仕事など自分に合わないと惰性的な毎日を送っていた英昭は僅か三年で会社を退職し、小型船舶の免許と取って警戒船の乗務員という生業に就いていたのだった。
 だがこの仕事も決して楽ではなく、初めは辞めたいと思いながら仕事に従事する英昭であった。
 それがいつの間にか慣れて来て、今では天職と言わんばかりに意気揚々とした姿を見せる彼ももはや32歳。約十年の年月、その経歴は彼を一回り大きくさせたようにも見える。
 小さな船ながらも既に船長となって躍進する彼は上司に褒められこそすれ、貶されるような事はなかった。他の先輩や親からも同じく。何故もっと早くにこの仕事を見つけられなかったのかと悔やまれるぐらいだった。
 この日も彼は朝早くに家を出て神戸港まで車を走らせ、そこで船に乗り込み、現場である灘浜へと向かう。
 神戸港から灘までは20分ほどで着く。操縦する19トンのタグボートが波を切って進む海面は珍しく降った雨の影響で少し時化ていたが、穏やかな大阪湾で転覆するという危険性などはほぼ無かった。
 灘浜では建物と岸壁補修の工事が行われ数々の職人達がひしめき合っていたが、港湾工事の際に出航しなければならない警戒船の業務には理屈抜きに余裕が感じられる。
 その理由も多々あったが、最たるは作業という作業がない事に尽きるだろう。それに引き換え職人達の姿は他のゼネコンの建設現場や工場と同じく、如何にもこれから頑張って仕事をするのだというような、英昭が余り好きにはなれない形式的な熱気に包まれていた。
 中には柄の悪そうな、見るからにヤンキー上がりみたいな鳶職人も結構居る。彼等に対し事務的な口調で朝礼を仕切る監督の様子は冷静にも見えるが何処か上から目線な雰囲気があり、それはそれで意に介さない英昭だった。
 ラジオ体操と朝礼は工場と全く同じだった。でも広い屋外でするそれは暗い工場の中でする、目には見えない人間関係などを考慮する必要も無いに等しく、伸び伸びと身体を動かす英昭。
 朝礼が終わると監督と今更言うまでもない、それこそ形式的な話を済ませてから、ボラード(係船柱)からロープを外し沖へと船を進ませる。この瞬間に自由を手にしたような気持ちになる。それは錯覚ではない真の自由に思われた。
 約1.5海里(300m足らず)沖に出て、アンカー(碇)を下ろし、後はじっと海上を見張る仕事が始まるのである。傍から見れば確かに楽に見えるかもしれない。これが英昭が最初に感じた錯覚だったのだった。
 肉体的には楽であった。でも物事には行き過ぎれば逆効果もあり、楽過ぎるのが却って苦痛に感じられる。海上警備と言っても事件事故などそう頻繁に起きる筈もなく、大事件大事故ともなれば当然海上保安庁が真っ先に出て来るので、警戒船などは所詮海上の警備員で、その補助的な業務を担っているに過ぎない。
 実際英昭がまだ見習い時分、口癖のように船長は言っていた。
「まず大事故なんかないから、わしも数える程度しか経験ないし、そやから昼寝するなり本読むなり勝手にしとったらええで、ただ釣りはちょっとヤバいかもな」
 と。それを真に受けていた英昭も年期を重ねるに連れ船長の言に信憑性を感じる。
 約8時間の勤務に何もする事がないのは余りにも厳しく暇で仕方ない。極端な話苦行とも思える。
 そんな考え方を払拭出来たのが彼の先天的な性格であった。もはや自称思想家とも言える英昭は思う存分物思いに耽る事が出来るのだ。人前ではどう見られるとも分からないそんな自分の様子も、海の上なら誰にも気兼ねなく遂行出来る。
 魚釣りが出来ないまでも有り余る時間の中でやれる事は多々あろう。例えば資格取得の為に勉強するとか、筋力トレーニングをするとか、亦はネットを駆使して金を稼ぐとか。
 繊細で神経質な割に優柔不断な英昭はそれを行動に移すまでに一年近くも掛かった。でも何かを始めるのに遅いという事はないといったポジティブな思考を以てすれば悔恨にも及ばないだろう。
 それをモットーにして色んな事を試みたが現実は甘くはなかった。
 まずは筋力トレーニング。これは如何にも簡単に思えるが揺れる船の上でそれをするには相当な覚悟がいる。大した波はなかったが腕立て伏せ一つするにも身体の平衡感覚を保つのに四苦八苦する。でもこれには過去の経験が役に立った。
 嘗てサウナでヤクザの男に言われたように足を上げてまで腕立て伏せする事を思えばその苦労もたかが知れていた。
 ギャンブルが好きな割に金に執着心がなかった彼はITにも然程関心がなかった。次いで資格の勉強は捗る一方で、今まで取得した資格は優に10個を超えていたのだった。
 宅建、2級建築士、ペン字等々。俊子に倣って空手もしたかったのだが、通信教育では笑い種にしかならないと思い断念するのだった。
 それをした所でも一日は長い。何とか午前をやり過ごした英昭は昼食を摂った後、ボケーっと海を眺めながら思う。別れた俊子はどうしているのだろうかと。
 別れた原因も実に単純なものだった。英昭と俊子は正に相思相愛の間柄にあったが、如何せん神経質な性格だけは変わる事がなく、それに愛想を尽かした俊子はこう言って別れを告げたのだった。
「あんたがもうちょっとでも大人になったら一生付き合えるやろな」
 この言葉は最もだった。それは知り合った高校時代から感じていた事で、自分のような気の小さい男が人に好かれる訳がない。仮に添い遂げる事が出来たとしても今のままでは互いに苦労するだけだ。
 その憂慮は年々増すばかりで俊子には悪い事をしたと悔やむ英昭。ただ彼女の言った大人になるという言葉を、妥協して自分を殺す必要があると大袈裟に解釈していた英昭は、そこまで無理をしてまで変わろうとも思わなかったし、その信念も決して恥じる事でもないように思われる。
 何故ならその一貫性を保つ事こそが彼の矜持であり、生きている証でもあったからだ。百歩譲って自分が変わったとして俊子と一緒に真の倖せを掴めただろうか。下世話な話だが、早くに身を固めても直ぐ離婚してしまう者も結構多い。ならばもっともっと深く互いの心を確かめ、酸いも甘いも経験した上で契りを交わしても良いのではなかろうか。そこまでして急いで結婚する必要性があるのか。
 自分を正当化する為の言い訳と取られるかもしれない。だが所詮は同じ人間であり、天には天の地には地の悩みがあるとすれば是非にも及ばぬ事で、そこまで悲観する必要もないと思われる。
 考え事をしていると時間の経過が早く感じる。やはりこの仕事は天職だと信じる英昭は午後5時過ぎに監督からサインを貰い、自分が好きな夕暮れ時の海にその姿を消して行く。
 遠ざかる灘浜の景色などはどうでも良かった。この眼前に拡がる一面の海景色。これこそが彼の心を掴んで離さない。ただ眺めているだけでも心が洗われるようだ。そして勇気も湧いて来る。
 彼方に佇む水平線は静かに、それでいて勇ましく美しく、哀愁の情を漂わせていた。

 今の所英昭には大した悩みはなかった。この上ない喜びに思える。探せばいくらでもある訳だがそんなものは数の内に入らない。内外共にスッキリした気分で生活出来る事こそが彼の本分だったのだろう。
 でも逆に言えば何処か物足りなくも感じる。シンプル好きと同時に刺激を求めてしまうその性格にはやはり矛盾があるのだろうか。彼の人生は言うに及ばず、たとえば物語などが良い例だろう。
 起承転結と言うストーリーが一応は基本となっている物語。それは漫画やアニメ、ドラマ、映画等全てのメディアに共通する話の流れとして存在している。コメディータッチで描かれたものや感動路線に恋愛もの。それはそれで面白いとも思うが、英昭の主観からは是非にも及ばないといった感じで関心度は低かった。
 次いで2時間ドラマにありがちな事件。決まって誰かが亡くなって犯人をつきとめて、その犯行理由に涙して終わるのがオチになっている。ここにどうしても疑問が残る。何故誰かが死ななければならないのだ。何故同じようなストーリーばかりなのかと。
 たまには事件など起きずに心の葛藤や人間関係だけを描写した物語があっても良いのではないか。実際稀にはあったがその数は実に少ない。それが当たり前と言う者もいるだろう。何もなければそれこそクソ下らない物語になってしまう。
 まずこの時点で疑いを深める英昭はその物語の構成を自分なりに考える事が結構あった。
 その手段としては空想、妄想だけではどうしても足りず、己が人生を引き合いに出す必要性に迫られる。何の変哲もない彼の人生にも規模は違えどそれなりの抑揚があり、面白味も無くはなかった。
 それは無論彼自身が経験して来た事で、彼の心と身体を媒介し、その感受性に依って導き出された一瞬の出来事を一瞬の感覚で現実的に解釈し、読み解いて行くといった物語であった。
 その結果が今に当たり、幼い頃彼が見ていた将来像なのである。それを昔から予知する事などは出来る筈もない。ならば現状が全く違ったものに成っているのかと言えばそれも違うような気がする。つまりは生まれた時に敷かれたレールの上を歩んで来たとまでは言わないまでも、一定の路線というものは予め用意されてあり、そこを全う出来たのかという想いは既にして彼の心に内在されていた。
 その路線というものも別に型に収まった面白味のないものとは限らず、人生、果てはこの世の中自体を一つの路線と考えれば察しがつくかもしれない。要は大人しく収まろうが食み出そうが、路線の上を行くしか道は無いのである。大袈裟に言えば食み出してしまえば死なのである。
 30過ぎの英昭は余り生に対する執着心はなかったが、現時点で死ぬ事を考えていた訳でもなかった。ただ生死も所詮は表裏一体、二極一対の理の中にあるもので、決して別ものだとも考えてはいない。
 そこで彼の人生物語の話だが、死に向かって歩き続ける人生の中にはどんな者であろうと物語が存在しない道理がない。その人生自体が既に物語であり、物語=人生でもあるのだ。
 それを単に起承転結や事件性、エンタメ性だけで論じるのは如何にも早計に思われる。しかし何もなくてはやはりつまらない。すると自ずと出来事が必要になって来る。その出来事とはそれこそ規模は違えど生きている事そのものなのである。
 小説で言うならば自伝的な物語という事になる訳だが、同じ人間として生きている以上は広義では全ての物語が自伝的という見方も出来るのではなかろうか。然るにいくら飛躍した、現実離れした物語であっても所詮は世の中に現存する一人間、一事物であり、その枠を超えて描写したとしても感覚的意識というものがどうしても自分を基準にして物事を判断し、解釈してしまうのである。
 そこに主観客観の関係性を以てしても真に他者に成り切る事は出来ないだろう。ならば結局は自我に執着するしか他はなく、自分から目を逸らして物語を作る事など不可能とも思える。
 このような屁理屈とも捉えられる恐れのある英昭の思考も所詮は主観であり煩悩でもある。自他不二には到達し切れていないだろう。だが立派な高僧であっても生きたまま煩悩を捨て去り解脱し切ってはいないとも思われる。
 その辺の小難しい事を考えてしまうのも相変わらずな英昭の性質だった。そして彼は今の警戒船の仕事をするようになってから日記をつけ始めていた。それも大した面白味のない単なる日常生活を記しただけの日記に過ぎなかった。その為彼は高校生時代に図書室からカリパチしたままの小説に少し準えて、脚色して執筆していたのだった。
 その物語ももう直ぐ終わる。この彼の世捨て人のような面白味のない人生に、あと一点の色を付け足す事で。






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