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「神を恐れる」と「神に従う」

「神を畏れる」と「神に従う」

今日(2021年9月3日)のローズンゲン

旧約聖書 出エジプト記 1章17節

助産婦たちは神を畏れていたので、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子たちを生かしておいた。

新約聖書 使徒言行録 5章29節

πειθαρχεῖν δεῖ θεῷ μᾶλλον ἢ ἀνθρώποις.

(ペイサルケオー デイ セオー マロン へー アンソローポイス)

人に従うより、神に従うべきです。(聖書協会共同訳)

人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。(新共同訳)

人に従はんよりは神に従ふべきなり (文語訳)

人間に従うよりも神に従わなければなりません。(フランシスコ会訳)

We must obey God, not men.(CJSB)

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πειθαρχεῖν(ペイサルケイン)
πειθαρχέω(ペイサルケオー)
(権威に)従う、(従順に人の言を)聞き入れる
〜に従順である。

μᾶλλον ἢ 
rather than 〜よりむしろ

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「神を畏れて」

エジプトの助産婦なのでヤハウェの神ではなく、エジプトの神々なのかも知れない。
しかし、命(いのち)の誕生に携わる彼女たちには、自ずと命(いのち)とその背後にある尊いものへの畏敬が備わっていたに違いない。

その畏敬ゆえに、
「生まれてくる男子を殺害せよ」との王の命令に逆らうことができた。

命(いのち)への畏敬というと、アルベルト・シュヴァイツァーを思い起こす。

普遍的な倫理規範として彼は考えた。

今、新型ウィルスによるパンデミックで、多くの命が危機に瀕している。

その最中、この助産婦たちのように、
命と命を支えるものへの畏敬からくる内面の声に従い、
命を守るため、
命を懸けている方々がいる。

神に従うとは、何かを考えさせられる。

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