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満ち足りた感覚

Safeology研究所の山川です。

前回のnoteでは、田中さんが、食の時に安心と感謝を感じると書かれていました。自分はどういうときに「それ」を感じるのか観てみました。

私も、食に関しては、もちろん美味しいものは美味しいと楽しめるのですが、もともと修行好きの性格もあり、修行者が草の根などを食べながら修行しているという話を聞くと、キュンとなってあこがれるようなタイプの人間です。なので、粗食はあまり気になりません。

では、どういうときに、安心や感謝、さらに言えば畏敬の念などを感じるかというと、1つは、山登りで、通常では見られないような景色をみたときです。

一つ記憶に残っているのは、冬山で友人2人と、あまり人が行かない尾根を登って、途中でテント泊をした際のことです。1日の行動も一段落し、テントを張り外にいた際、周りは一面の雪、我々2人以外は誰もいない世界で、風もなく、音もない世界がそこにありました。そして、しばらくその世界に浸っていたことを覚えています。

もう一つは、山ではありませんが、理屈の世界にどっぷりと入りこみ、そこで遊んでいるときです。

そのことで記憶に残っているのは、数学の圏論(関係性をモデル化した理論)という分野を題材に研究者仲間で研究会をしていた際、自分の担当が数日後に回ってくるので、朝早く起き、圏論の本の担当箇所を、あーでもない、こーでもない、と考えていた時です。

朝早くなので、どこからもじゃまは入らず、また、圏論という抽象数学の世界に入り込み、世間の様々なしがらみからも離れ、至福を感じたことを思い出します。

この2つの体験は、まったく状況は違い、特に後者の体験は「なんじゃそれ」と思われる方も多いとは思いますが、私にとっては同様の体験でした。

それは、安心という感じではありませんが、畏敬の念も入った、至福体験というのが今のところ、一番近いように思います。

文/山川 修(Safeology研究所代表)

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