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自己と、何者か

結論から言えば、自己はそのまま出すべきではない。
どこまで普段人が自己を外部の為に使うする形で使っているか?
それはつまり自己の特性を何か他者の為に演じさせ、外の何かに投じているだろうか?

例として、根本からの性格が優しい人であれば優しくした見返りを求めるような生き方、自己承認が中心、言い換えれば自分が感情的に好かれたい事がメインで優しくすることは自己的に生きている。
そうでなく、優しくすることで自分が損する場合であっても他人に元気を与えようという生き方がメインの場合は異なる。
損できる優しさとできない優しさには大部分が見せかけかどうかに大きな差がある。
もちろんその優しさが無用に自己犠牲的になっても相手と自分の負担になるのでダメだ。
本当に優しい人間を演じれるということはそういう事だと私は考える。
役割というものに通じもする。
そしてこれは、「何者かとして生きる」ということであると個人的には思う。

本来の自分に従って自己中心的に生きたいように生きるのは、動物のそれと変わらない。

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