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自分を変え続けた人〜デ・キリコ〜

エッシャー展と同じような世界観と思ったら

こんばんは。
今日は、がっつりオフモードのせいたです。
久しぶりのオフということで、東京都美術館で「デ・キリコ展」を見てきました。
みなさんは、デ・キリコ、イメージがつきますでしょうか。

あるよく晴れた日に、影がくっきり地面に刻まれるほど、むらなく平面的に日射が降り注ぐそんな日に、
ヨーロッパ風の街、どちらかというと、南欧色の強い街の路地に、誰もいない。
遠くにと塔が見えて、こんなにお天気なのに誰もいない、交差する路地を走りながら遠ざかる、誰かの影だけが黒い。

そんな絵の人です。

芸術界隈でシュールレアリスムに影響を与えたという形而上学絵画派の元祖と言われています。

こんな説明を聞くと、
・技巧派で小難しい
・技術オタクで頑固
そんなイメージが湧きませんか?

作者の性格はともかくとして、騙し絵で有名なエッシャーみたいな、ザ・技巧派のような画家だと思ってしまうではないですか。
全然そんなことなかった。そんなお話です。

まず、自画像のおでまし。

美術館につき、歩を進めます。
ご挨拶を読み、さあ、どんな不思議な世界が待っているのか、と足を踏み入れるとまず、自画像が現れます。
自画像?そんなに自分を見つめるタイプ?就活ちゃんと自己分析するタイプ?
まず、意外な一面を目にします。

しかも、精悍な表情をしています。
何も言わずに見せられたら、軍人かパイロット、大型船の船長、有名店のシェフ。のような幾つもの荒波を乗り越えてきた自負と数多くの部下を支えている一城主のような、自信に満ちた表情をしています。
なんだ、イケメンなおじさんだ。そう感じました。

そして次に驚いたその生涯の年数。なんと90歳まで生きたんだとか。
かつての芸術家は勝手に短命なイメージを抱いていた私からすると、
ちゃんと自分も大事にしていた人なんだなあ、と。
もうその時点で、あんな幾何学的で無機質な絵を描く、キリコの姿は想像がつきませんでした。

形而上学的絵画は習作?

さて、お待ちかね、形而上学的絵画の登場です。
不安定な時間の、始まりです。
まず、冒頭でもお話しした、とてつもなく暑そうな広場に、中心には何もなく、影だけが映る、そんな作品。
続いて、室内に分度器の山、1対のf字孔。窮屈な室内でさまざまな位置関係で置かれたモチーフたち。
そして、マヌカン。マネキンと同じような意味で、描かれる人形(ひとがた)たち。まず、顔がありません。頭部があるのに表情がない。その代わりに、トルソーの部分にはモチーフが豊富で、精神性を表しているみたい。この時の彼は、考えや魂が顔ではなく、心(心臓・臓器類)に宿ると思ったのでしょうか。
そして、彼らは異常に胴が長い。詳細は履修前ですが、シュルレアリスムは、実際の写実ではなく、精神的なものも含めて目に映る姿や実存をそのまま表現しようとした手法であると聞いたことがある。目の前の人の顔を見て、正面からの姿はもちろん、横からのアングルも実存する物として表現する。正面の顔と横顔を両方キャンバスに表現し切る。つまり、目に映るそのままが表現されているとしたら、我々が人を見るときに、いかに顔やトルソーから受け取る情報が多いか、それを自裁に表現したのではないでしょうか。

古典的なテーマへの回帰

そんな実験的な手法が目立つキリコですが、衝撃的な事実が発覚します。

普通の絵も描いている!

しかもとても写実的で素敵!

いや、これでええやないか、キリコ。と思わず言葉が出るくらい。
普通の風景画や人物画がクオリティが高いのです。
形而上学的な絵ばかり描いていると思いきや、こんな王道の絵も描けるのか。
そして、その作風を見ていると、どこかで見たことがあるような。
この構図や配置は、もしかしてさっきの形而上学的絵画ではないか。
あの作品はやはり習作で、構図やモチーフの配置を事前に確認・練習していたのではないか。

素敵な絵の数点は売れていたらしく、しっかりと価値を提供して対価を得る、ということをやっていた。評価される準備のために、習作を積み重ねていたとしたら、この人はだいぶ想像していた人と違うぞ。
単なる理論派のオタクではなく、図太い体育会系かもしれない。
求められている自分像に合わせて、自分を変えられる人だ、この人は。

あらゆる経緯を経て、描きたいものを描く

最後に、今までの作品の集大成とも言える作品群が立ち並びます。
描きたいモチーフ、部屋の中、形而上学的な絵画そのものも一つのモチーフとして絵の中に登場します。
今までは、必要とされる絵を書いてきて、その経験を集約させて自分の描きたい世界を描く。
まずは自分流、ではなく、うまくいっている人の方法をまずは真似て、そして少しずつ崩しながら自分のものにしていく、そんな作品が多いのかもしれません。

人との間に描いていた絵

展覧会を見るまでは、理論に忠実で自分の世界に入り込んで絵を描いている画家さんなのかと思いきや、周りの友人や家族から大きく影響を受けて作風のトライ&エラーを繰り返し、自分を変化させ続ける。
弟の演劇の衣装などにも携わり、既存の枠に囚われず、自分の幅を広げ続けた。そんな人だったんだなと、混じたのでした。




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