昭和有耶無耶事件録 毒性菌類の発生
1976年・秋。気候の良いある日の朝。
中学校の校門に守衛さんが立っていて、登校してきた私たちに
「あ〜……今日は学校は休みじゃけん、すぐに帰りなさい」
と言うのだ。
なんだかわからないが、校内で事件が起こり、今日は臨時休校となったらしい。
「ラッキー。帰ろうぜ」
どうせ不良生徒がまた問題を起こしたのだろう。以前も深夜の校庭で、不良生徒十数人の大喧嘩があり(重傷者も出た)休校になったことがあったから、そんなところではないか?
ところが、これは思った以上の怪事件だったのだ。
帰宅して暫くすると県民チャンネルで臨時ニュースが流れた。
「〇〇中学に毒性菌類が発生した」
というのだ。
映像では防毒マスクを被った自衛隊が、続々と校門をくぐっていくのだが、なんと映画でしか見たことがない武器を持っている。火炎放射器だ。
「今、県立〇〇中学に自衛隊員8人が突入しました!これより火炎放射器による猛毒菌類「毒マッタケ」の焼灼処置が行われます。毒マッタケはフグ毒テトロドトキシンの数百倍の毒性を持っているとされますが、焼灼によって毒性はなくなるとのことです。しかし念の為に、近隣の皆さんはただちに家に入り、窓を閉めてください。また焼灼処理後6時間は、念の為……念の為に〇〇中学は立ち入り禁止となります!」
直後に級友のKから電話があった。
「おいユーシン(私のあだ名)!県民ニュース見たか?」
「見たよ。怖いなぁ毒マッタケ。そんなのどこに生えてたのかな?」
「俺、昨日、見たんだよ。毒マッタケ」
「え?」
「体育館の裏の、ほら、不良がタバコ吸ったりする隙間があるだろ?あそこが、真っ赤になってたんだよ」
「な、なんでお前、そんなとこに行ったんだよ?まさかお前もタバコか?」
「馬鹿!違うよ。バレーボールが入ったんだよ。見るからに毒っぽい赤いのが一面に生えてるから、ボールをとらずに先生に報告したんだよ。ボールをとりに踏み込んでたら、俺、毒に当たって死んでたかもしれないよなぁ。あぁ怖い」
「でも、お前ヒーローじゃん。未然に猛毒菌類「毒マッタケ」の被害から学校を救った第一発見者のK君です!……って明日ぐらい全国ニュースのインタビューが来るんじゃない?人命救助の表彰状も貰えるんじゃない?ヒーローじゃん!スターじゃん!」
「あ!そうか。俺、散髪、行っとこうかなぁ……」
しかし、この猛毒菌類事件には続報が無かったのだ。
翌日の新聞にもニュースにも取り上げられることはなく
「どうやら、何かの間違いだった」
と有耶無耶になってしまった。
校長が父兄の代表に「生徒のいたずらだった。指導不足で申し訳ない」と語ったともされるが、これも真実かどうかわからない。
体育館裏の隙間はただちにコンクリートの塀が積まれたが、これは喫煙や桃色遊戯といった非行を防止する処置として以前から計画されていたこと……とされた。
(翌日は文化の日で休みだったが、学校は翌々日から何事も無かったように再開され、我々は普通に登校したのだ)
Kは「俺は嘘は言ってないぞ!いたずらじゃないぞ!」と怒るのだが、処分もされない代わりに相手にもされない。そのうち、この話をしなくなってしまった。
あれだけ大々的に臨時ニュースが流れ、自衛隊が入る映像も確かに見た。近隣に住む生徒は、家の窓から体育館の辺りから黒煙が上がるのを見たというのだが、そんなことも全部、黙殺されてしまったのだった。
今、学研の「キノコ菌類の図鑑」を開いても「毒マッタケ」という名は見当たらない。
フグ毒の数百倍の毒性を持ち、火炎放射器で焼き尽くさないと危険なキノコってあるのだろうか?
旧日本軍の極秘の生物兵器とか……そんな幼稚なことも考えてしまうが……この時期、稀にあった「有耶無耶事件」の一つとして記録しておく。
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