【男の自画像-2】「感謝」という曲
僕は、中学生からフォークギターに興味を持ち、高校生の頃には、ザ・フォーク・クルセダーズに憧れていた。吉田拓郎やかぐや姫等も好きだったが、ザ・フォーク・クルセダーズの北山修さんの詩に感銘を受けた。反戦歌的でもあったが、世の中の出来事や悲しみ、苦しみ、特に若い人の苦しみをテーマにした詩が好きだった。
1965年、大学生だった加藤和彦さんが、雑誌「MEN'S CLUB」の読書欄で一緒にフォークをやってくれるメンバーを募集したところ、京都の医大生だった北山修さんと、浪人生の井村幹夫さん、芦田雅喜さん、そして高校3年生だった平沼義男さんの5人が集まり、アメリカの「ジャズ・クルセイダーズ」から名前を取って「世界中の民謡を紹介する」というコンセプトのザ・フォーク・クルセダーズを結成したらしい。その後、いろいろメンバーが入れ替わり、坂崎幸之助さん(THE ALFEE)が参加した。
「感謝」の詩は、医師でもあった北山修さんが、死の床についた患者にホスピスの一環としてこの詞を書いたともいわれている。北山修さんのこの素晴らしい詞に坂崎幸之助さんが優しく唄う「感謝」を初めて聴いたとき、涙が止まらなかった。祖母を亡くし、父を亡くし、幼い頃からお世話になった親戚の皆さんも亡くなった。そして。優しかった義母を亡くした。人が亡くなるときにいつしか聴いていた曲だった。
2023年4月、自分に癌が見つかった。女房に伝えたいことは何だろうとひとり人静かに考えた。「ありがとう」を百万回言っても言葉が足りない。どんなに抱きしめても、何をしても足りそうにない。高校生の時からの付き合いと言ってしまえば簡単だが、ふたりが歩んできた人生の価値は、ふたりにしかわからない。
女房は、本を読むのが好きだった。そして、僕は書くことが好きだった。
終活のさいに、30年前に下書きのままだったエッセイをたまたま見つけた。米国は、ニューヨークに行ったときに思いつくままに書き留めたメモをエッセーにしようと思っていた。でもいつしかパソコンに眠ったままだった。
このエッセーを加筆修正して女房に捧げよう。このエッセーを書いている時間は、ふたりが歩んできた思い出の時間であり、僕がすみよに心から感謝しながら書いている時間なのだから。
そう、残された僕の人生で一番大切な時間である。
「感謝」
作詞:きたやまおさむ/作曲:加藤和彦
長い橋を渡るときは あの人は帰らぬ
流れ星のふりそそぐ 白い夜の船で
消える御霊 見送りながら
心からの感謝を
深い川を越えたならば わたくしも戻らぬ
だから今が 大事すぎて 幕が降りるまでは
恨みつらみ 語りつくして
心からの感謝を
怖がらないで 顔を上げて 見守っているから
日はまた昇る 昨日のことは 振り返らないで
次第次第 うすれる意識
さらば愛しき者よ