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悪夢映画はどう観たらいい? 新作『ボーはおそれている』と難解映画の世界(1)

『ヘレディタリー/継承』(2018年)、『ミッドサマー』(2019年)と、観る者の心を激しくざわめかせる作品を撮り続け、日本を含めた世界の映画ファンから、とにかく“気になる存在”として熱い支持を集めるアリ・アスター監督。その最新作ということで、しかも『ジョーカー』(2019年)でアカデミー賞に輝いたホアキン・フェニックスを主演に迎えたとあって、『ボーはおそれている』には大きな期待がかけられていた。

日本でも2月16日に公開がはじまり、多くのアリ・アスター・ファンが劇場に詰めかけているが、これまで以上に観た人の“ざわめき度”が半端ない……という印象。『ヘレディタリー』や『ミッドサマー』でも際立っていた悪夢や狂気の要素が、さらに加速。むしろ『ボーはおそれている』は悪夢や狂気そのものを描いていると言ってもいい。

『ボーはおそれている』のストーリー自体はシンプル。中年男の主人公ボーが、遠方に住む母親から「いつ帰ってくるの?」と電話で催促された後、その母親が事件に巻き込まれて死んだことを知らされる。一刻も早く母親の元に駆けつけようとするボーだが、アパートの外へ出ると街の様子が明らかにおかしくなっており、さまざまな事態が悪循環を起こして、彼はなかなか実家にたどり着けない。その“旅”が、179分という上映時間で、全4章+αの構成で展開していく。

ボーが母親の産道を通って、この世に生まれてくる。そんな冒頭のシーンからして、観ているこちらを挑発してくるのが、アリ・アスターらしい。『ヘレディタリー』も『ミッドサマー』もメインのキャラクターは、必ずと言っていいほど精神的に不安定だったが、今回のボーは不安定どころか、強迫観念の塊で、それをホアキンが神経過敏的に怪演するので、ひたすらこちらの不安も煽られる。これこそアリ・アスター作品の真骨頂で、今回はボーに襲いかかる出来事が、現実で起こっているのか、あるいは彼の妄想なのか、そのボーダーも曖昧なため、狂気のレベルがアップされた印象だ。

アリ・アスターの作品は、基本的に異様な緊張感とテンションが保たれ、ポイントとなるシーンで衝撃的な描写が唐突にぶっこまれるのも特徴的。『ヘレディタリー』の交通事故や、『ミッドサマー』の崖のシーンは、トラウマ的に脳裏に刻み込まれた人も多いはず。『ボーはおそれている』でも何度かそうした瞬間は用意されており、“頭のない死体”“屋根裏部屋”といった、アスター作品でトレードマーク的な描写もあるが、前2作に比べて主人公以外の人物の怪しさ、狂気がやけに目立っているのも事実。彼らの言動が観ているこちらの神経を逆撫でするのだ。そのためか、悪夢の世界を旅する主人公のボーに共感してしまう時間も多く、ここはアスター作品の新境地かもしれない。

そして、『ボーはおそれている』の前2作との違いに、観る人によって大きく分かれる反応も挙げられる。アリ・アスター監督が作品の肝に置くのは“家族”で、今回も母と息子の関係が作品全体を支配しているのだが、この関係にどれくらいシンパシーを感じるかで、作品への没入度も変わっていくようだ。アリ・アスターは「家族とは?」と聞かれ、「煩わしいもの。終わりのない義務感」と答えており、その意識が『ボーはおそれている』に表出したのだろう。

『ヘレディタリー』『ミッドサマー』の成功もあって、製作費も潤沢だったためか(『ミッドサマー』の約4倍の3500万ドル)、アスターはこれまでやりたかったイメージを全編に注ぎ込み、アニメーションの挿入などビジュアル的にもこだわり、過去の名作へのオマージュも入れ込んだ結果、何を観させられているのか混乱が深まり、カオス状態になっていくのも事実。ゆえに、そのカオスを好意的に楽しめるかどうかが、本作への評価にかかわってくる。観る人それぞれの感覚、考察、推理が試されるうえで、“映画的”ではある。

『ヘレディタリー』や『ミッドサマー』には、カルト的な宗教、教祖が出てきて、それらに巻き込まれ、洗脳される恐怖が描かれた。このあたりもアリ・アスターの志向のひとつだが、この前2作は、われわれ観客は「洗脳されなければ大丈夫」という、どこか客観的な安心感で作品に向き合うことができた。だから他人事として映画の恐怖を楽しんだ。

『ボーはおそれている』は宗教観はあるにせよ、教団や教祖めいたものは登場しない。しかしボーの母親が所有する巨大企業グルームMWが教団的イメージも喚起したりして、日常に張り巡らされた“何かによる支配”を感じさせ、そこがちょっと怖かったりもする。そんな風に観る者の潜在的な不安を刺激することで、ボーが巻き込まれる不条理な悪夢や狂気的事件を、“もしかして明日は我が身に起こるかも”と感じさせる。それこそが『ボーはおそれている』の本質で、アリ・アスターの狙いなのではないか。

文/斉藤博昭  text:Hiroaki Saito
Photo by AFLO

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