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言葉で繋がらない生き物(日記)

4月22日

1ヶ月前に、引っ越しをした。公園の木漏れ日が我が家の壁にまで届くお気に入りの世田谷のマンションから、都心からすこし離れた場所に移動してきたのだ。事情はいろいろあるけれど、いちばんの理由は両親が山口県からこちらに引っ越ししてくること。父が一生懸命に働いて約20年前に買ったマイホームを捨て、ふたりと老犬2匹(しかも病気持ち)が東京へと越してくるなんて、ものすごい勇気。すでに東京で何年も暮らしている姉夫婦とわたしたち、そして両親で、できるだけ近くに住もうと話して、堅実な会社勤めをする姉夫婦の生活エリアに合わせることになったのだ。わたしたち夫婦はフリーランスだし、両親に無理させてまで都心に住まなくてはいけない理由もないし、そもそもわたしはほとんどリモートワークだし、子も産まれるのだから家賃も節約して広い家に住めるほうがいいし、子育てもしやすい綺麗なマンションがいいし…………と引っ越すべき理由は山ほどあったから、勢いでえいやと家を決めた。そのくせ、引っ越してわずか1週間で都心シックに陥り「世田谷に戻りたい」「わたしは高い家賃を払うことで、自由と自尊心を得ていたのだ」と気づいたのだけれど、まあその話はまた別でするとして。

犬の”月”が引っ越しをしてから、不安定になってしまった。

もともと甘えんぼではあったものの割と心は自立していて、わたしたちが構えない時間も十分に楽しく生きていると思っていたのだけど、急に「いっしょにいないとダメ」になった。どれだけ眠っていても少しの物音で番犬のように吠えたて、サークルと呼ばれる柵の中に入れてお留守番をさせると1時間でも吠え続けている。サークルにひとりで居られないとなれば、別々に眠ることができず(これまではわたしたちは寝室、彼女はリビングに置いてあるサークルで寝ていた)、わたしたちが眠るクイーンサイズのベッドの足元で丸まって眠るのが基本になった。

お留守番ができない。…つまり、わたしたち夫婦のどちらかが一緒にいなくてはいけない。すこしの外出(たとえばスーパーやカフェ、周辺散策なんか)もできない。夫の仕事中に気分転換にひとりでどこかへいくこともままならないし、必要があってコンビニに行くのも憚られる。「吠えても鳴いても放置すればいいのでは」「甘えているだけでは?」と色々とかんがえたけれど、散歩でどれだけ疲れさせていても1時間も吠え続けるのは、ただのわがまま泣きではなくて”分離不安症”と呼ばれる病状の一つなのだそう。前の家では一度も聞いたことのないような太い遠吠えでわたしたちを呼び続け、疲れて「はあはあ」と息を荒げても座ることもしない。ひとりになったとわかった途端、大好きなおやつもおもちゃも見向きもしない月。いずれは疲れ果てて眠るのだろうが、その繰り返しの先に留守を好きになるとは到底思えない。わたしたちの目的は今なんとしてでも出かけることではなくて、月がひとりでも落ち着いて留守番ができるようになることだから、これはゆっくり訓練し直さなくてはならない、と腹を括った。けれど、これがなかなか難しい。

「まずは5分から始めましょう」「サークルを好きにさせましょう」。色々な方法をはじめてみるものの大した効果は見られない。どの方法にも「焦らないことが大切です」とは書いてあるけど、焦ってしまう。だって1ヶ月後には子が生まれるから。わたしは1週間の入院をするし、いつまでも二人がつきっきりで月を見るわけにはいかない。今のうちに直しておきたい悪い癖は他にもある。悩んで、はじめて知恵袋にも投稿した。回答はひとつも付かなかったけど。育児は難しいだろうが、育犬も相当に難しい。何を考えているの、どうすればいいの、と頭を抱えて、眠るまえになんどもなんども検索をした。月にもきいてみた。首をかしげて、わたしをみていた。

それで先日、狂犬病の予防注射のために新しい病院を訪れた際にも相談してみた。先生は親身になって聞いて「そっかぁ…」とつぶやいたのち、わたしの大きく膨らんだお腹をみて「ああ〜〜〜そっかあ〜〜〜」と繰り返した。

「もちろん引っ越しも大きな理由のひとつだけど、ママがね妊娠をして、出産が近づいているのも敏感に感じ取っているのだと思うよ。犬はそういうところがあるから」。犬が敏感なのは知っている。月は、わたしの妊娠もわかっているだろう。けれどそれと分離不安症の何が関係があるというのか……?と思っていると、先生はこう言うのだ。

「いろんなことが不安定だし、きっと心配して、一人にさせないようにしてるのよ」。

ええ、そうなの? 月がわたしを心配している?
思えば、月は優しい。
つわりで辛かったころ、月は開け放したトイレの中までついてきて膝に顎を置いてくれたし、廊下で泣きじゃくっていたときには、おもちゃを持ってきて足元でまんまるくなって寄り添ってくれた。散歩中はわたしに合わせてのんびりと歩くし、夫と三人で散歩をしているときは必ず振り返ってわたしを待つ。「よーし、あっちまで走ろっか」とリードを持って小走りで促しても決して走らないのに、夫がリードを持てばものすごい勢いで走っていく。先日もマタニティブルーでソファで打ちひしがれていると、肉球を見せつけるようにしながら眠ってくれて、ただただ眠くてリラックスしているように見えるけれど、本当はこのゆるやかな雰囲気を伝染させようとしているのかもと思ったことも思い出す。

彼女の優しさは仄かな灯りのようにささやかで、けれどどこまでも深い。さりげなく、たのもしい。小さな身体のどこから、そんなに多くのまじりけのない愛が湧くの?と不思議に思うほどに。

この家に越してから「都心シック」に陥って、どこか落ち込んだ気持ちで過ごす時間も多かった。そのうえマタニティブルーに、妊娠後期のつわり、そして骨盤も恥骨も腰も痛くて、仕事が思うように進まなくてふがいなくて、すぐ横になっては鬱々としてしまう。月はきっとそれらを全部感じ取っているんだろう。「守らなければ」と思っているかどうかは知らない。というか、そんなにはっきりとした意識ではないんだろう。でも、本能的になにかがちがうこと、わたしが弱っていること、変わりゆくものを、しっかりと見ている。

わたしは人間で、言葉に頼って生きている。おもいは言葉に変換して、だれかを言葉で理解し、言葉でつながる。齟齬のないように何度も何度も紡ぎ直して、確認をして、知る。そういうふうに生きてきた。でも彼女はちがう。言葉を持たず、言葉以上に理解する。

最後に先生は「でも、この子はすごく落ち着いているから大丈夫。ゆっくり訓練をして、生活が落ち着いてくればきっと治るからね。無理になにもかもを変えようとしなくていいよ」と言ってくれた。いろいろな先生がいて、いろいろなアドバイスがあるから、なにが正しいのかわからない。でも今は、先生のはなしを信じて、月を愛することでこの不安な時期を越えていきたいと思ったのだった。


言葉ではないもので、繋がる。

それはぜんぜん簡単ではなくて、理解できないことも、理解してもらえないこともあって、お互いにもどかしい。でも、つながっている、信頼している。そのことにまったく疑問がないなんて、不思議なことだ。

大事にしている本「自閉症の僕が跳びはねる理由」が頭によぎる。著書の東田さんは重度の自閉症で、対面で誰かと会話をすることはできない。けれど、パソコンと文字盤ポインティングでコミュニケーションをとることができる。彼がどうして突然叫んでしまうのか。どうして飛び跳ねてしまうのか。その理由が、とても豊かな言葉で綴られているその本を読んだ時の衝撃はいまでも覚えている。コミュニケーションを取れない障がいをもつ人に対して、無意識に「深いおもいを持たない」と思い込んでいたのではないかと、自らの想像力を恥じた。たまたま東田さんにはパソコンという合うツールが存在したけれど、ツールを持たないだけで、おもいを抱えながら言葉に変換できない人たちがどれほどいるんだろう。人だけじゃない。動物も魚も、もしかしたら植物も。ことばがないからと言って、おもいがないとは言えないじゃないか。月にも、おもいがあるように。しかも、言葉にはならないところで、ふかく、ふかく、あるように。

先日も、月はなにか言いたげにわたしの枕で粗相をした。そんなの、はじめてだった。ぜったいになにかが不満なのだと確信したけれど、それがなになのかわからない。わからないから、かんがえる。だいすきだから。きっと月も、おなじようなおもいで、わたしをじっと見つめている。わかりもしない言葉を投げかけてくるわたしをじっと見つめ、首を傾げている。彼女との暮らしをつうじて、日々こころが更新されていく。とにもかくにも、はやく彼女が安心してこの家をたのしめるようになればいい。この春の記録。

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