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精神的うんこを流せ。

こちらの記事は、「心動く」をテーマに、2019年に創刊したフリーペーパー「ムービング.」に掲載し、好評だったものを転載しています。


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心身探求論


小さい頃から今に至るまで、自分の心と身体の探求を続けてきました。
「良い人になりたい」と「良い体でいたい」という2大欲求を叶えるための、やや強欲な旅路です。

意識が体に向きすぎて心が置き去りになったり、心に振り切って現実が見えなくなったりしながら、ちょうどいいところを探して30年。最近ようやく、心と身体の真ん中が見えてきたような気がしています。ちょうどいい塩梅な気になっています。

無論、道の途中ではありますが、ここまでの探究結果をしたためてみたいと思います。楽しんでいただければこれ幸いです。
今回は心、Mind編です。

Mind編 1

唐突ではありますが、みなさまはどのような死生観をお持ちでしょうか。私はこの類のトークテーマが大好物なので、「いけそう」と思えばわりと初対面に近い人にもこの話を振ってしまいます。
20代後半の頃は、定期的に遺書を書いて自身の死に際に想いを馳せていたこともありました。

今はどちらかといえば人類全体の死に際について考えていて、ある一つの仮説を検証中です。それは、生きている間に溜め込んで抑えてきた感情が、寿命を迎える前に炸裂するのでは?という説であります。

この話を友人にしたら、あ〜死ぬ間際に「裏切り者ぉぉぉ!!!!」とか言う人いるって言うもんね。と言っていて笑いました。ギリギリまでその感情を持っていたらさぞロックな旅立ちであろう。

それは極端な例ですが、とにかく我々、肚に一物抱えてはいけないなぁと思うのです。

数年前、良い年の取り方について研究を重ねていた時に、とある僧侶の方が太鼓の話をしてくれました。太鼓は中が「空(くう)」でないと鳴らないでしょう。中にものが入っていたら鳴らないんです。人間も同じで、肚に一物抱えてたら成らないんですよ、と。

成る、は大成と捉えてもいいし、成仏としてもいいと思いますが、ものすごく膝を打ったのを覚えています。一物抱えていたら成らない…。

先に謝っておきますが、私はこの僧侶の方が教えてくださった一物を「精神的うんこ」と呼称しております。過去に見ないふりして抑え込んだ負の感情が、出口もなく腐って腐って、心の奥の方でうんことなっているのです。(真面目)

生きていれば誰しもこの精神的うんこを抱えていて、時にそれが怒りのトリガーとなったり、人間関係のトラブルを呼んだりするわけです。あの時見ないふりした感情に、今の生き様まで支配され、
しまいには死に際の「裏切り者ぉぉぉ!!!」に繋がっていくわけです、えぇ。

本誌にもよく出てくる私の祖母(92歳)も、今年に入ってから、過去に誰も聞いたことがないほどブチギレておりました。いつも祖父や息子を立ててきた、控えめな祖母からは想像のつかない、文字通りの「ブチギレ」です。その姿を嫁いで以来初めて見た母は、大変衝撃を受けたと言っておりました。(祖母はとっても可愛くて忍耐強くて素敵な女性です、名誉のために)

たしかに、いい歳の取り方しているなーと思う方は皆さん「スコーン」としていらっしゃる。裏も表も一気通貫するような、清々しいほどの笑顔が共通項。

もちろん実際にお話を聞くと、とってもとっても経験豊富でたくさんご苦労もされているのですが、きっとひとつ一つご自身で折り合いをつけて、清算して、もう抱えてないんだろうな、と思うのです。

ちょっとハードですが、我々、人生のどこかのタイミングで心に抱えたうんこを清算しなければなりません…。誰かのせいにしてるあれこれや、社会のせいにしてるどれそれを、きちんと目視して、自分で片付けないといけません。そう、薄々気づいてはいたけど…って今ぼんやり思い当たる、でもあんま考えたくない、そういうやつです。

そしてどんなに大清算したぞ!もうこれでピッカピカだ!!と思っても、人間毎日毎日チリは積もるわけで、またちまちまお掃除が
必要です。

いい死に方を考えるのは、いい生き方を考えること、と終活では言われるそうですが、私にとっての研究は死のギリギリまで完成しない…。精神的うんこをちゃんと流して旅立てるかどうか、その日まで見守っていただけたら幸いです。

つづく


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