見出し画像

言の葉の影に


読み進める前に、、、

心が元気ではない時には読まない方がいいかもです🌱
こういう但し書きが無く、迂闊にも読んだ文章で、ひとり落ち込むという経験が何度もあります。



「ニベアが生きてる間に、サエは、なにも成し遂げられなかったね」

私の26年間の人生の中で1番心に残って消えない言葉。

約20年一緒に生きた猫のニベアが亡くなる前の日、母はニベアを撫でながら横にいる私に聞こえるように、この言葉を言った。

私は母が嫌いで、好きになれたら楽だろうに、努力して好きにはなれない。
好きになろう、という決心だけが、好きではないという証拠にしかならない。
母の日に母親に感謝を述べている人を見ると、純粋に母親を尊敬できる人はいいなぁと羨ましく思う。

私の場合は、母を思うと、今まで言われてきた言葉や、態度を思い出す。

あんなこと、こんなことを平気で言ってきたのに、まだ好かれたいと思っている。

「悪いことしてない」と嘆くドラマクイーン。巻き戻して見せてあげようか?あのシーン。

そして、冒頭の言葉が頭をよぎる時、「はて、成し遂げる、とは?」

「いや、24歳(当時の私の年齢)で何かを成し遂げた人いるか?」

「いないことはないか。ラディゲは18で、、、」

「今何かを成し遂げた人でもそこから墜落することだってあるでしょう。ラディゲは20で、、、」

「ちなみに、あなたは何を成し遂げたの?」

「子どもを3人育てた?」
「生まれた限り、生きるしかない」
「親なら子に何を言ってもいいのか?」
「子の人権は、自分の人権だと思っていそうだが、かなりの暴君やな。」

などなど。

悩める脳内ハムスターが永遠に回し車を走り続けるような感覚。

私が自分の母親が彼女で良かったと思う唯一のことは、「その体の中にいたことがある相手でさえ、理解できない」という、教訓を得られたこと。

だから、違う言語を持つ人と意思疎通できることは、この上なく嬉しいし、全く異なる生活環境で生きてきた人と仲良く暮らせることは神秘に近い。

私がここまで書いてきたことを読もうという気になって、ここまで読んでいる人がいて、そういう友だちがいること、他者との関係が築けたということ、いちいち、じんわりしちゃう。


私は、友だちには、これでもか!というくらい「大好き」を伝えているつもりでいる。
文章にすると陳腐だな。笑 

とにかく、私からあなたへの眼差しです。
きっと読んでて、「あぁ、紗依の、紗依ちゃんの、サエさんの、荒木の、あれか」と思った人は、そうです、あれです。

見えないけど、純で、ほんものの気持ち。たぶん心当たりがあるならそれは、伝わってる証だし、在る。

伝わらないことのもどかしさや、必ずしも対話ができる相手ばかりではないことを知っているから、伝えられることは、できる限りのことをしてでも伝えたい。

なんで今日、このことを書いたのか。

それは、先週末、実家でまた母に「そゆこと人に言うかな?」と思わせるようなことを言われたから。母にはできる限り会いたくないけど、会わざるを得なかった。

母親が嫌いって、罪悪感を覚える。
世の中は、親は感謝するべき、という圧をかけてくるから。

でも、私みたいに、感謝できない人たちもいるはず。その分、別の何かに気付けたりするから、わたしたち大丈夫。

あ、自分だけじゃないんだって、思えることで、誰かの心が少し軽くなったらいいな🕊️

最初に

私の26年間の人生の中で1番心に残って消えない言葉。

と、書いた。
たしかにあの言葉は、すぐ出てくる。

でも、たくさんの宝物の言葉も私の記憶のすぐ手前の引き出しに入っていて、綺麗な空見たり、懐かしい風が吹くと、いつかだれかに貰った言葉を思い出す。

大切なお守りみたいな言葉をくれた皆さん、ありがとう。
もう、会えなかったり、連絡すらとれなくても、いつも助けてもらってるよ🕊️🌱

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?