見出し画像

もじ

生きていると箸にも棒にもかからない思念が常に繰り返し浮かび、やがて血栓のように次の思念の行き届きを邪魔してくる。 だから稚拙ながらも文字に起こして、次の血栓の場所を空けておいてやることが必要になる。

漢字が多いなと思う。 私は文章を書くと基本的にすべて漢字へと閉じてしまう。 そっちのほうが書いていてリズムがつくし、ハイになりやすいのだろう。

よむぶんしょうはひらがなのほうがおおいほうがよい ひらがなであっても、おもたく、なんかいで、いちにちかけて消化しなければならないようなあつみの文章を書くことは可能だと思う。

絵本は、ただただ生活を描いたものであったり、困難を団結などで解決したり、勧善懲悪であったり、ジャンルに富んでいたが、どれもその中に世界への肯定感があった。


音楽には様々な要素が含まれている。 どれかを取り出してきてたのしむのもよいし、要素たちの組み合わさり方をたのしむのもよいが、こと生きていると、音楽以上に複雑で雑多でどこっから手を付けてよいいのかわからぬ事態が起きている。

それらは確かに見たことがあるが、全く新しいものでもある。 最近はその すべてが何かの一例であると同時に、前代未聞の唯一無二のものである事実 に驚きっぱなしである。

泣いてしまう なんてことだろう 何が起きている? 奇跡にまみれている 死にたくない

皆このとんでもなさを多かれ少なかれ乗り越えながら、踏まえながら生きているということになる。 わたしはようやく成人したと思う

もう腰が痛くなってきた

色々そのままにしちゃっています