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拝啓ペルリ殿 Chapter1 Episode1

前略、ペルリ殿には時候の挨拶なぞしても理解ができないと思うので略します。私のペルリ殿への想いが、今、ペルリ殿のいるであろう天国ってやつに届きますように。不公平のないように、時代を超えたあなたのお仲間への想いも綴るので、心にお納めください。あ、日本語読めないか?あ、心もないか?


ヅラでイキった無礼者に対する日本人の反応

後世の日本人はさ、ヅラでイキった無礼者のペルリ殿のために、ご丁寧に記念公園とか作ってるYO! 多分日本人が納めた税金を使って。日本人の土地使って。もう、呆れてしまうんだけど、ペルリ殿の功績とやらによってズカズカやってきた、仲間のハリス・ザ・チェリーボーイなんて、元の住民の海辺の道に、「ハリスの小路」とか名付けちゃってるし。まあ、日本人がつけたんだと思うから、あんたに言ってもしかたないけど。わがままチェリーが散歩した道だからだってさ。近くには、7〜8世紀頃の遺跡があるんだけど。チェリーが来たのって、たかが165年前だよ。しかも3年の滞在。ローカルにウェルカムされてないのに。歓迎されてないところに、ズカズカ入るのが、当たり前で育ってるから仕方ないか。そもそも、ウェルカムされてるか、されてないかなんて感じもしないだろうし、判断基準にならないんだろうね。でも、このあと約90年後に、極東と呼ばれた日本の住民がたくさん犠牲になったから、私としては、仕方ないじゃ済ませないんだよ。

どんな未来を空想してたのか、「聖地」と呼ばれる巡礼の地が現在どうなっているか見れば、低学歴の凡人の私でもわかるね。フェイクニュースだったらいいなと心から思うよ。

永遠の中2おじさん ハリス・ザ・チェリー

チェリーがあんたに輪をかけた無礼者なんで、先にチェリーから。ペルリ殿は、後からじっくりと。チェリー君もいい歳こいた、現代でいうところの中二病。偉そうに江戸に行かせろだの、看護婦よこせだの、この女じゃ気にいらねぇだの、不満たれながら、牛乳を売り買いする習慣のない所で牛乳が飲みてぇ。とか駄々こねて、結局あんたが文句垂れた女に難題ふっかけて苦労させて。日本初の牛乳売買記録達成で満足か?禁欲が過ぎると、意地悪になるという良い例だと思うよ。知識の共有によっての初の記録なら名誉だろうけど、恥を知ったら良いと思う。

チェリーの通訳ヒュースケンは、性欲旺盛、ローカルの迷惑を顧みず、混浴を覗くハレンチ野郎。攘夷派によって斬られて亡くなったそうじゃないか。御愁傷様。異国で亡くなるなんて不憫ですが、天国には行けるようなので良かったですな。

チェリー自身も、「江戸に行くの待って。」って言ってんのに、強引に幕府とコンタクトとかしちゃうから、襲撃事件が企てられたね。未遂で良かったね。ヒュースケンの死と襲撃計画の発覚にチビッたチェリーは、体調不良を理由に逃げるように帰った。まあ、チェリーは軍人じゃないし、にわか外交官だからビビるのも仕方ないね。チェリーみたいな邪な心で過ごしてたら体調も悪くなるだろう。本来のチェリーは純真であるべきで、純真さを失ったチェリーなんて、魅力ない。「俺、別にモテなくてもいいし。」とか言いそう。中二か!そういやペルリ殿も体調崩してたっけ?

純真さを失ったチェリーは貿易経験あるくせに、通貨の交渉でもえげつない手腕を発揮した事記録されてる。詐欺じゃね?旅の恥は掻き捨てかぁ?自分はチェリーで子孫残さないから関係ないと思った?残念。後世に伝わっちゃってるYO! 本当にあんたの仲間は嘘つきの鼻持ちならない恥知らずな無礼者ばっかだね。

あんたたちの国民は、みんなあんたみたいな奴なのかと思いきや、チェリーは居留地の同国人にも嫌われてたらしいじゃないの。人様の国に来て、無礼な振る舞いができるような奴は、自国だろうときっと同じ振る舞いだよね。どういう育てられ方したのか知りたいけど、あんたの生い立ちとかどうでもいいし、帰国後も、骨の髄までしゃぶり尽くすように日本滞在記とか出版してるし。読まないよ。チェリーの感性で書かれたものじゃ、腹立つの目に見えてっから。

ウィキで一節読んだけど、やっぱり上から目線でマジうざい。混浴の習慣に耐えきれなくて、「このような下品なことをするか判断に苦しむ。」とかほざいてて、どっちが下品だよ。中二か?私は52歳の中二の在り方は判断に苦しむ。

衝撃!ヅラの来日目的

さて、ペルリ殿。海軍から任務を与えられる1年以上前、日本開国を目的とした計画を長官に送ったらしいじゃない?後世に伝わっちゃってるよ。やばいんじゃないの?

「任務成功のためには4隻の軍艦が必要。その内3隻は大型の蒸気軍艦であること。日本人は書物で蒸気船を知っているかもしれないが、目で見ることで近代国家の軍事力を認識できるだろう。中国人に対したのと同様、日本人に対しても「恐怖に訴える方が、友好に訴えるより多くの利点があるだろう
オランダが妨害することが想定されるため、長崎での交渉は避けるべき。」

極東日本について、日本人について、誰から学んだのか、学んでないのか知らないが、これを良い案だと受け入れて、ペルリ殿に日本開国の交渉役として司令長官にさせる海軍もヤバい。交渉の切り札が「恐怖に訴える」だよ。よっ!交渉上手!

さすが、近代国家!だてにヅラかぶってないなと感心する。大変家族思いで、兄弟喧嘩をしないよう強く戒める手紙が残ってるだと?子供がいるような人が考えることじゃないと思ってたので驚いた。他国にズカズカ来て、恐怖に訴えた方が利点があるなんて考えるヅラが、喧嘩するなと戒めるって。家族思いって。誹謗中傷だったらごめんね。私の個人的意見だし、もう天国にいるから傷つかないでしょ? 

黒船来航

日本は小さな島国なもので、外国船をすべて「黒船」と呼んだ。同じ黒船でも、ペルリ殿が力を誇示するために乗り込んで来た日から253年も前、あんたの祖先と同じ出自の船が大分の黒島に漂着した。オランダロッテルダムから極東を目指した5隻の船のうち、「極東」に到着できたのは、1隻のみ。しかも漂着。1隻はポルトガルに、1隻はスペインに拿捕され、1隻は引き返し、1隻は沈没。残る1隻も寄港した先々で伝染病が蔓延、インディオの襲撃もあって、出国時110人だった乗組員は、漂着時24人。

宣教師!遠路はるばる日本にどんな教えを宣おうとしてんだ!

リーフデ号漂着の約50年まえから、インド、ゴアを経由して、ちょくちょく奇妙な格好をした宣教師とやらが来てたんだけど、オランダ発のイギリス船の漂着を知った宣教師たちは、奉行所に訪れ即刻イギリス人とオランダ人を処刑するように要求した。What? 宣教師とやら、日本にどんな教えを宣おうとしてたんだい?これが本当のOMG! そりゃ禁止もされるわな。弾圧とか差別とか自由とか、何をほざいてんだっつーの。

ところで、トンデモ宣教師たち。イギリス、オランダ以外の国の人だね。ほら、やっぱりスペイン人。いろいろ見えて来たねぇ。

ヅラなんかと混同しててごめん。ウィルとヤン

漂着したリーフデ(愛)号の乗組員は、臼杵城主、太田一吉の出した小舟で救出され、長崎奉行→ 大阪城 豊臣秀頼→ 徳川家康と通報された。宣教師たちの入れ知恵で海賊船だと思い込んでいた家康は、路程や航海目的、プロテスタント国(オランダ・イギリス)とカソリック国(ポルトガル、スペイン)の紛争を説明するアダムス(イギリス人)とヤン=ヨーステン(オランダ人)を気に入った。

アダムスは帰国を願い出たが、家康は米や俸給を与えて慰留させ、外国使節との対面での通訳や、外交交渉への助言を求めたりした。日本人に幾何学や数学、航海術の知識を授けたともいう。(ペルリくん、今、余計なことしやがってと思ったでしょ?)また、船大工の経験を買われて、西洋式帆船の建造を要請され、最初は断っていたが、1604年に80tの帆船を、1607年に120tの船舶を完成。

この功績を賞した家康は、アダムスを旗本と取立て、采地を与えた。その地の名にちなみ、姓を三浦、名を按針とする武士となった。(按針は、水先案内人の意味。)アダムスは色んな意味で、水先案内人として、日本人に受け入れられた。命名した人グッジョブ!

1614年に日英両国から帰国の許可が出たが、按針が「生意気で無礼な青二才」と評した同船司令官と馬が合わず帰国を見送る。1616年の家康の死去後は、江戸幕府の方針で貿易を長崎の平戸のみに制限する体制を敷いたため、立場が不遇となり、1620年平戸で死去した。

航海士ヤン=ヨーステンも、旗本となり、江戸城の内堀沿いの屋敷を貰い、日本人と結婚。日本名「耶楊子」となった。後年、帰国の希望は叶わず船の座礁で帰らぬ人となった。中央区八重洲の地名は、耶楊子が由来し1954年に成立した。

なんで三浦按針の話をペルリ殿に伝えてるのかわかりますか?私は、いくつかの三浦按針ゆかりの地に縁があって、ペルリ殿も共通した地で名が残っている。幼い頃の私には、時代背景も来日の目的もわからなかったので、按針とペルリ殿を混同していた。今は、ペルリ殿と一緒にするなんて、按針に失礼だったと反省しているが、結局、按針も耶楊子も家康公の狡猾な計らいによって帰れなかっただけで、何かしら裏の任務を背負っていたに違いない。

詰めの甘さが目立つ貴族工作員 山オランダ人 ズィーボルト

ペルリ殿が来日する30年前には、現代ではスパイとして認知されている、自称「山オランダ人」の嘘つき学者シーボルト君(ドイツ人)が来日。当時、日本の対外貿易窓であった長崎出島のオランダ商館医となる。本来はドイツ人であるシーボルトの話すオランダ語は、日本人通訳よりも発音が不正確で怪しまれたが、「自分はオランダ山地出身の高地オランダ人なので訛りがある。」「山オランダ人。」と偽って、その場を切り抜けた。本来は干拓によってできた国であるオランダに山地は無いが、そのような事情を知らない日本人にはこの言い訳で通用した。どんだけ学があるんだか知らんけど、スパイとして潜入するなら、オランダ語くらいちゃんと喋れるようにしとけや。

のっけからカマしてるドイツ人は、5年居座り、帰国時に先発の船が難破し積荷が海中に流出した際、江戸城の地図や日本地図を国外に持ち出そうとしたのがバレて地図の返却を求められたが、性懲りも無く応じず、出国停止処分後に国外追放処分になった。こいつはいつも詰めが甘い。それでも、滞在期間にコツコツ収集した日本の財産である動植物を大量に盗み出し、功績として勲章などもらった上に、日本のコレクションだとか言って収入を得ている。盗人猛々しぃぼると。架空の山オランダ人が「日本学の祖」とか言われて調子こいて、日本開国を促す運動とかしてやがった。

点と点が線になる ヅラと山オランダ人の接点

ヅラの来日とその目的を察知した山オランダ人は、準備の段階で遠征艦隊への参加を申し出たものの、シーボルト事件で追放されていたことを理由に拒否された。どういう役割で参加を申し出たのやら。

ともあれ、ヅラの功績で開国した日本は、日蘭修好通商条約を結び、詐欺師で盗人の山オランダ人の追放令も解除される。その翌年には、ぬけぬけとオランダ貿易顧問として再来日。2年後には外交のための幕府顧問になった。おいおい幕府顧問なんかにして大丈夫か?と思ったら、案の定、ちゃっかり幕府に給料をもらいつつ、息子に日本の地図を持たせて、ロシア海軍極東遠征隊司令官リハチョフを訪問させ、その後自ら使節や司令官、全権公使らと会見した。司令官リハチョフとはその後も密に連絡を取り合い、その他フランス公使やオランダ植民大臣らなどの要請に応じて頻繁に日本の情勢についての情報を提供する。並行して博物収集や自然観察なども続行し、風俗習慣や政治など日本関連のあらゆる記述を残す。と来た。3年でコツコツ盗んだ多数のコレクションを持って帰国。盗みと工作活動の功績により、オランダ領インド陸軍の参謀部付名誉少将に昇進。コレクションの購入をオランダ政府に持ちかけるが、ふっかけ過ぎて断られる。ただじゃ起きない山オランダ人、今度は日本追放における損失の補償をオランダ政府に要求。当然拒否られる。

「三つ子の魂百まで」なんて言っても、理解が出来ないだろうけど、何処に行ってもフィルはフィル。オランダに見切りをつけて、パリへ。来仏していた遣欧使節正使・外国奉行の池田長発の対仏交渉に協力する一方、同行の三宅秀から父・三宅艮斉が貸した「鉱物標本」20-30箱の返却を求められ、これを渋った。その渋りようは相当なもので、僅か3箱だけを数年後にようやく返したほどだった。以下3句を君に送る。「正体は、とことんキモいバスタード。」「恩義など私の辞書にはありません。」「コレクション、こつこつ盗んで荒稼ぎ。」欲しがりのあなたへ、もう一句。「善行を 丸っと飲み込む 無礼行。」

現代のぼったくり男爵のきしょさを思い出すなぁと思ったら、ズィーボルトと同じ国の人で妙に納得した。

北亜墨利加人物 ペルリ像

東京にあるヅラ提督の銅像は、ちょっと盛り過ぎじゃね?美化し過ぎ。1854年に版画にされた「北亜墨利加人物ペルリ像」の方が特徴捉えてる。少なくとも、当時の日本人には、こう見えたってこと。現代の日本人はヅラがメイソンリーだったことも知ってるよ。司令長官を退任した後は、御多分に洩れず、悠々自適に日本遠征日記やら琉球訪問記などの出版で稼ごうとする。私は読まないよ。

ところで、ヅラの交渉術は、「日本人に対しても「恐怖に訴える方が、友好に訴えるより多くの利点があるだろう」と言っていただけあって、態度が高圧的、恫喝的だったらしいじゃない?かっこいー!ここで朗報。2010年になってやっとメリケン海軍の貨物弾薬補給艦の9番艦がマシュー・ペリーと命名されたって!おめでとう!きっと天国で喜んでいることでしょう。貨物弾薬補給艦ってのが、めっちゃ似合ってると思った。ジャップに銅像立ててもらうより嬉しいよね!

ヅラが育った国ってどんな国?

日本に起こったことを考えるとき、アメリカがどんな国かを知りたい。私は、米軍の基地のそばで育ったし、1990年代に二週間から一ヶ月間の短い期間で3度アメリカの一般家庭のお宅にお世話になったが、歴史については、あまり知らない。ちなみにホストファミリーは、クリスチャンで、お母さんの父はオランダからの移民だそうだ。先住民以外は全部移民だけどね。

亜墨利加 16世紀、ヨーロッパ諸国によりアメリカ大陸の植民地化が始まる。北アメリカ東部沿岸のイギリス領13植民地(アメリカ)とイギリス本国による戦争が起こり、フランス、スペイン、オランダがアメリカ側に付いた。1781年の戦いでイギリス軍を降伏させ、実質的な戦闘は終了。1783年のパリ条約で戦争が終結し、イギリスはアメリカ合衆国の独立を正式に認めた。

独立100周年を記念して、独立戦争を支援したフランス人の募金によって(実際は、フランス系メイソンリーからアメリカ系メイソンリーに)Liberty Enlightening the World(自由の女神)が贈呈された。台座の記念盤には、『この地にて1884年8月5日、「世界を照らす自由の女神」の像の台座の礎石は、ニューヨーク州メイソン団のグランド・マスターによる式典とともに設置された。グランド・ロッジの構成員ら、合衆国およびフランスの政府の代表ら、陸軍および海軍の将校ら、諸外国の使節団の構成員ら、ならびに名高い市民らが参列した。この銘盤は、かの歴史的事件の第100周年を記念してニューヨークのメイソン団により捧げられる。』と刻まれている。

世界初の核兵器を開発した国で、日本への原子爆弾投下により戦争において核兵器を使用した唯一の国であり、国際連合安全保障理事会常任理事国でもある。

「こいつら、どこにいっても同じことしてらぁ。鬼畜と呼ばれても仕方あるまい。」「認めるも何も、おめぇらの土地じゃねぇだろ。何様だ?王様と王女様だ。」「自由と平等の名の下に、悪行三昧。」「お前らの安全てなんやねん。

アメリカ独立後、10年ほどで海軍大尉の父のもとにヅラが誕生。14歳で海軍に入隊。ゴリゴリでツルツルの軍人に成長した。


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