L.A. Woman

今日は時間ができたので、私とロサンゼルスの縁みたいなものについて回想してみようと思います。

私がLAという都市をはっきり意識し始めたのは、Guns N' RosesやらFaster PussycatやらL.A. Gunsやらが鮮烈にデビューしたときでした。

(歳がバレますが)小学生で洋楽を聴き始めたころはAdam AntやDuran DuranやCulture Clubなどに入れ込み、好みはどちらかというとUSよりUKより。その後Beggars Banquet Recordsのレーベル聴きをする気持ち悪い中学生になり、The CultやGene Loves Jezebelなどのポジティブ・パンクにハマり、(完全にUKではないけど)The Lords Of The New Churchを最高神とし、ゴス系が好きなプレ中ニ病に罹患していました。

そんな私でしたがやはり多感な思春期、大きな受け皿を持っていたので、(実際の)中学2年生時のクラスメートがアメリカ産ハードロック勢が大好きだったことから、その辺にも興味を持つようになりました。こういった髪の長いバンドたちのことは、小学生のころから可能な限りの洋楽テレビ・ラジオ番組を視聴し、あらゆる洋楽雑誌を読み込んでいたからもちろん存在は知っていたけれども、本格的に聴き始めたのは明らかに彼女の影響です。(彼女とは今は交流がないですが、いまだに感謝しています)

学校が終わってから彼女の家に仲良し4人組で集まり、彼女のお姉さんが創刊から集めていたB!誌を読みあさったり、TVKの洋楽番組から録画したMVを見まくったりしていました。時間さえあればKeelやらRough CuttやらBlack 'N Blueやらの良さを語る女子中学生たちって普通に気持ちが悪いですね。我々にはそれが日常でした。

ところで、人は14歳で出会ったものに一生影響されるという説は真実ですね。ここ最近は、2021年になったというのにネットラジオのヘアメタルチャンネル(?)しか聴いてないです。

そんなHRライフ真っ最中のある時期、Guns N' RosesやらFaster PussycatやらL.A. GunsやらのLAスリージー系バンドが突然現れ、私たち女子中学生のハートをあっさり奪いました。"Welcome To The Jungle"のMVを初めて見たときの衝撃たるや、一生かかっても文章ではうまく描写できません。

高校3年間、時代は80年代後半のHR/HMバブルでしたので、引き続きそのバンドたちやその周辺のアメリカ産バンドに夢中になり、来日公演には手当たり次第に行きまくりました。思春期の一番の衝撃体験は何かと問われたら、「ガンズの初来日公演、NHKホールと武道館公演の現場にいたこと」を躊躇なくあげますね。

Faster Pussycatは当時、ガンズほど情報が入ってこないので、なかなかハードルが高かったんですよね。動くFPと、当時のLAのホットなロッククラブCathouseの様子がどうしても見たい。そんな中、映画"The Decline of Western Civilization Part II: The Metal Years"は神でした。 B!誌主催の上映会(?)にも行ったし、映画館にも観に行って擬似体験っぽいことができました。(FPの初来日はちょっと遅くて1990年、関東の公演には全部行くほど当時は大好きだったのよね〜)

どんなにどんなに憧れても、しがない県立高校生にはLAに行くほどのお金も時間もなく、ただ憧れるだけの日々が続きましたが、大学1年生になって初めて訪れることができました。しかし、ときはすでに90年代、80年代の栄華は顕著に陰りを見せ始めていました。もっと早く生まれていればね……。

それでもまだHollywood Blvd.にはロン毛の残党が闊歩していたし、ブレット・マイケルズ似のキラキラしたお兄さんが店番をしていたロック屋で、タイダイのMotley Crue "Dr.Feelgood" Tシャツと、知人へのお土産にLynyrd SkynyrdのTシャツを買ったのは良い思い出です(そのモトリーTは今もまだ持っています)。

Rainbow Bar and Grillにも恐々いってみたりしてね(同伴の姉が21歳だったので未成年の私も入れた)。その日、Davy VainとSteven Adlerがご飯を食べに来ていたのを目の当たりにして、純情な日本人女子大生二人は腰を抜かしかけました。Melrose Ave.のとある洋服屋では、今は亡きKevin Dubrowが試着をしているのに出くわして再び腰を抜かしかけ。

ぶらり観光しているだけで飛び込んでくる情報量の多さよ。LAハードロック・シーンが衰退し始めているとはいえ、この街は「本当にこうなんだ」としみじみ実感しましたよね。

旅行で訪れるのは楽しいけど「ここに住んだら脳が溶けるな」と、謎の危機感のようなものを覚えました。

ハードロック・シーンそのものの衰退とともに、LAへの憧憬はすっかり薄れてしまったけれど、その22年後にひょんなことからLA在住のアメリカ人と付き合うことになり再訪しました。(その間、30代でやっていたバンドでアメリカドサ周りツアーをしましたが、いわゆるLAの中心部ではライブをやらなかった)

初訪問時に姉と泊まったHighland Ave.のホテル周辺に行ってみましたが、ホテル名が変わったのか、建物ごとなくなったのかは分からずじまい。ホテルの目の前にあった、よく利用したHuge Marketというスーパー(実際は全然大きくない)もなくなっていて一抹の寂しさを覚えました。

ホテルの近くのHollywood/Highlandの交差点にはショッピングモールができ、アカデミー賞でお馴染みのDolby Theaterができ、初訪問時にはなかった地下鉄が開通していました。どこの街も変わるのは当たり前です。

その再訪時に、「彼と人生を送るにはここに移り住むのがベストかな。まぁ、残りの人生、脳が溶けてもいいかな」と思い直しました。

中学・高校時代の私に言いたい。「あなたはLAへの関心が薄れたころにひょんなことからグリーンカードを取得して住むようになるよ。予想外に居心地よく、幸せに暮らしているよ」と。

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