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ドイツ鋼鉄奮闘記(10)

METAL ON METAL Vol.33 
2005.7.25号

 2nd アルバムのレコーディングですが、5月にドラムを、6月にリズムギターを録り終えました。(ベースは日本で録音、データをCDRで郵送です。)さて、次は私の歌録り。でも、その前に夏のフェスティバル出演の準備も出てきて、忙しさでアップアップになっている今日この頃です。

 そうそう、先月に引き続き、故郷・大阪の友人がまたハンブルクに遊びに(厳密には仕事で)来てくれました。今回の友人は大阪の刺青彫師、椋妃ちゃんです。彼女とは FAIRY MIRROR 在籍中に友達になりました。当時の私は髪もブロンドや赤に染めていて、バンド活動と両立させるために、ちゃんとした職(正社員)ではなくバイトで食い繋いでいました。(当時は1990年代の終わり頃、契約社員、非正規社員という概念もまだ無く、正社員と言えば、今より更に時間の融通がきかなかったと思います。だから、ライブの日に休みを取れる仕事となると…バイトしか無かったんですよね。)
 いやぁ、貧乏でした。外食のお金がないからよくパンを持ち歩いていました。それも菓子パンではなく食パン!😅
 当時、収入のほとんどはバンド活動に費やしてしまうし、練習やなんだと帰宅はいつも夜遅くて、同年代の女子とは全然違う生活をしてた記憶があります。家族はそんな私の生活に納得していませんでした。だから、顔をあわせる度に喧嘩ばかり……。
 椋妃ちゃんも刺青彫師という職業だし、家族の反対がとても強かったようです。
お互いに女だってことが不利になる世界だったのもあって(こちらも最近は全然変わりましたが、一昔前はヘヴィメタルは女がやるものじゃないという風潮がありました……)、分かり合えることが多かったんです。

 で、2002年だったかな。まだ日本にいて、ドイツへ一人で旅立つ決心がどうしてもつかなかった時、彼女に相談をしました。
 何のあてもなく見知らぬ土地へ行くのは恐かった。全てを捨てる勇気も無く、私は物凄〜く悩んでいたのです。そんな私に彼女はこう言いました。
「ここで終わりにして欲しくない。私はサエコちゃんにもう一回立ち上がって欲しい。次はもっと大きな世界の舞台で歌って欲しいな。」
 その言葉に押されて、私はドイツへ飛んで契約、CDを世界リリースできました。
 その後、彼女はそんな私の活動が励みになっていると連絡をくれましたが、彼女の存在も私にとって大きな励みです。自分のお店を構えて毎日遅くまで仕事して……そういうの、すごく大変だろうと思うし、以前から挑戦したいと言っていたヨーロッパでのTATOOの仕事も彼女は着実に現実にしています。私も負けていられません。

 6月25日、そんな彼女がギター録音中のスタジオに遊びに来ました。二人で昔のことを思い出して、「人生って不思議だなぁ、凄いねぇ」って言ってたんです。

 ねぇ、みんな、未来に何が起こるかは本当にわからないよ!悲しいことや失うものもあるだろうけど、でも、今は夢でしかない何かが未来には現実になっているかもしれない。振り返ると本当にそう思う。

 さて、今月(7月)末にはチャリティ・フェスティバルに出演が決定しました。その後、8月5日にはついにあの世界最大メタル・フェスと言われる WACKEN OPEN AIR に出演です。
 またあらたに、数年前には夢でしかなかったこと、不可能にしか見えなかったことが現実になる瞬間が近づいています。

 そうそう、WACKEN OPEN AIR には、私が過去に日本で在籍していたバンド FAIRY MIRROR 時代の旧友(戦友⁈)二人が一緒に出演することになりました。世界の観客の前で、日本人娘3人がどこまでのステージを見せられるのか、それは分からない。分からないからこそチャレンジして、達成しようとするのだろう。私はただベストを尽くす。そう、ただベストを尽くそう。

真田:今年の WACKEN OPEN AIR は熱いですね!何と言ってもSAEKOさんが出ますし、SENTENCEDも出るのです(泣)。しかし、SAEKOさんの文章は説得力があるというか、私も頑張ろうという気持ちになります。それと、気がついたかもしれませんが、SAEKOさん、赤い髪から茶色に戻したみたいですね。あ〜、私もドイツに行きたい!美味いビール飲みながらライブが観たい。あ、私の夢は毎年WACKENに参戦することに決めた!

おまけ

 さて、いよいよ Wacken Open Air に出演と書きましたが、「それってどんなフェス?」って方もいるかもしれません。なので、こちらに 2020年の公式トレイラー動画を貼っておきますね▼ これを見れば"世界最大級"と言われるその規模感はわかって頂けると思います。

 私が出演したのは2005年で、アジア人女性として初めてでした。いや、本当、今でこそ日本のバンドも出演できるようになったけど、当時はアジア人が出れるなんて、殆ど誰も思ってなかったと思う。何のツテもないところから、単身ドイツへ渡って出演を叶えるまで・・・常識で考えたらありえへんことやったと思うな〜。で、私が当時、ヴァッケンのオーガナイザー達とガッツリ仕事してたんで、(勝手に思ってるだけやけど)それもあって、ヴァッケン側も日本のバンドに興味持ち出したんではないかと思わないではない(←自画自賛)。
 ・・・っていうか、私が一度 note でこのフェスの規模感がわかる記事をゆっくり書けば良いのかしら?ちょっと考えときま〜す!


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