冷えた空気に金木犀
夫が息を引き取った瞬間から,家の中の空気が変わった。
ひたひたと底冷えするような。
地下水で濡れた鍾乳洞の地面を思わせる空気。
夫の不在は入院で慣れていたはずなのに,そのときとまるで違う。
これに慣れなければならないのだろうか。
今年は雨の日が多かったせいか,金木犀が咲くのが遅かった。いっそ咲かないまま秋が終わればいいと思っていた。ここ数日の晴天のせいか,隣に植えられた金木犀の香りが部屋の中まで漂ってくる。
金木犀の香りはいやだ。
この部屋に入居した新婚のころ,毎年この時期は夕飯の後に二人でベランダに出て,昼間の熱を抱えたベランダのコンクリート壁に体を預けながら,金木犀の香りを楽しんだものだ。
その記憶に重なるから,今は金木犀の香りを嗅ぎたくはない。
冷たい空気に甘い香りが混じった部屋で,今年の私は手続きごとの書類書きをしている。夫の名前をこれまでにないほどの回数で書き,たまに天国へ帰った日付も書いたりする。夫の名前に私の名前を上書きする作業に疲れてしまえば,何も考えずに眠れるだろうか。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければサポートをお願いします。私が書いた文章で,誰かがちょっぴり元気になったらうれしいです。