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取材日記② 注文せずに出てくるホットコーヒー

A大学の取材で、合宿所に2泊させてもらった。

2日目の朝。

食堂でN監督といっしょに朝食をいただいた。

食べ終わると、監督が訊いた。

「冴木さん、コーヒーと紅茶、どっちがいいですか?」

僕は「ありがとうございます。じゃあ、コーヒーをお願いします」と答えた。

「ホットでいい?」

「はい」

監督は、マネージャーのK君に「悪いけど、ホットコーヒー1つとホットの紅茶1つ、監督室に持ってきてくれるか?」と頼んだ。

監督室へ行き、二人でしばらく雑談していると、扉をノックする音がした。

「どうぞ」と監督。

K君がホットコーヒー、ミルクと砂糖を1つずつ、それと紅茶をトレイに乗せて、持ってきてくれた。

「ありがとう。いただきます」と僕は言った。

ホットコーヒーにミルクを入れて、飲んだ。



次の日の朝。

前日と同じように、食堂で監督といっしょに朝食を食べた。

食べ終わり、食堂を出て監督室に向かう。その途中、監督が僕に「楽しみですね」と言った。

僕は少し考えて、ピンときた。

「あ、コーヒーですね。何も言わなくても、持ってきてくれるかどうか」

「そう、持ってきてくれるのは、持ってきてくれると思うんですよ。ただ、何をどれだけ持ってくるか……」

しばらくして、扉をノックする音。K君は昨日と同じように、ホットコーヒー、ミルクと砂糖を1つずつ、それと紅茶をトレイに乗せていた。

監督がK君に行った。

「75点だな」

K君は、キョトンとしている。

「いいよ。ありがとう」

監督が言うと、K君は首をかしげながら、監督室を出ていった。

しばらくして、監督が僕に言った。

「私が何を言いたかったか、彼は気づくと思いますか?」

監督としては、監督の紅茶、僕のコーヒーを、言われなくても持ってくるのは当たり前なんだ。問題は、砂糖とミルクだ。

昨日、僕はホットコーヒーにミルクだけを入れて、飲んだ。

カップを下げたとき、K君には僕が砂糖を使わなかったことがわかったはずだ。

なぜ、それを覚えていて、ミルクだけを持ってこなかったのかーー監督はそこを言いたかったのだろう。

僕は言った。「ホットコーヒーを持ってきてくれただけで、十分じゃないですか。イマドキ、言われてはじめて動ける学生ばっかりですよ」

すると、監督は首を横に振った。

「それじゃあ社会で通用せんでしょう。冴木さんの期待は、注文していないのに、ホットコーヒーを持ってくること。期待通りじゃ、ダメなんですよ。お客さんの期待を上回ってはじめて、『コイツ、使えるヤツだな』と思ってもらえる。そうじゃないですか?」

僕は、深く頷いた。

非常に細かい。でも、学校では教えてくれない、とても大切なことだ。

N監督は答えを言わずに、学生に気づかせようとしている。

「お客さまの飲み方の好みを覚えておけ」と言ったほうが早いし、楽なのに。

こうして日ごろから教育されているから、N監督の教え子は野球を辞めたあとも社会で重宝されているんだろう。

「期待を超えるサービス」、か。

そういえば、N監督は、選手が監督のサインどおりに動くだけでは満足しない。

僕は、ひとつのプレーを思い出した。

ある試合でのこと。

送りバントが想定される場面で、相手がバントシフトを敷いてきた。打者はその裏をかいて、バスターに切り替えた。

結果は、ショートフライ。N監督のサインは「送りバント」だったそうだが、N監督はその打者を褒めたーーそんなことがあったな。

すべては、つながっているんだ。そう実感した。

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