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何を、どう視るか ~スポーツライティング講座 第1回講義の実況中継④

「何をどう視るか」というのは「観察力」です。
「みる」という字に「視る」を使ったのは、「見る」「観る」「視る」という三段階のうち、もっとも深く見るということを示したかったからです。

「見る」=見る
「観る」=よく見る、見渡す
「視る」=注意して見る

観察力は狭い意味での「取材力」といってもいいかもしれません。
例えば野球の試合では、球場の365度の視界のうちで、自分はどこか一部しか見えない。だから、「今日は何をみよう」と覚悟を決めなければいけない。それが、何を取材するかという意味での「企画力」でもあります。もちろん、何も決めないでいろいろなことを視たり訊いたりしたなかから、テーマが決まっていくということもあります。

「何を視るか」というテーマを絞って視るというのは、今日は何かが起こりそうだなと予測して視るということです。例えば「スタメンでルーキーが出ているから注目しよう」とか、「A選手は通算97安打だから、今日3本打てば100安打になるな」とかいうように。

「何を視るか」は、自分の興味がどうしても元になってしまうーーというのはあります。どうしても自分が追いかけたい選手を中心に見てしまう。

それでも、いろいろな情報をあらかじめ準備して知っておくと、選択肢が広がります。なにも知らずに、とりあえず「ドラフト候補のピッチャーがいる」ということだけでグラウンド行くと、ピッチャーマウンドしか見えなくなります。それでいい場合もありますが、「もしかしたらこの試合で優勝の可能性がなくなるかもしれない」とわかったうえで試合を視れば、試合の状況によってそのチームのベンチの様子を見ますよね。高校野球は負けたら終わりですが、大学野球は負けてもまだ次がある場合もある。でも、あと1つでも負けたら優勝がないというラインがあって、それがその試合かもしれないんですよ。それを知らないで取材に来る人もいるのは確かですが。知っていれば、優勝が無くなった瞬間のベンチを視ることができますよね。ですから、「何を視るか」には経験も必要ですが、準備も大事かなと思います。

経験という意味では、積み重ねがモノを言うこともあります。ずっと視ていると「あれ? 今までと違うぞ」という、何かレーダーに引っかかるような感覚が生まれることがあります。例えば「あれ? この選手、昨日よりもバットを短く持ってるな」とわかれば、「なにかあるかも」と予測できる。試合前のバッティング練習を見ていて、ある選手が右打ちばかりしていることに気づく。「そういえば、昨日は無理に引っ張ってサードゴロで併殺をくらったな。だから今日は右打ちの練習をしているんだな」。それがインプットされていれば、もしセカンドフライを打ち上げたとしても、「右に打とうとした結果だな」と思える。単純に「あーあ、フライ打っちゃったな」と思うとは違いがあるということです。

僕の経験をお話すると、今プロにいるある選手が、そのシーズンからグラブを変えたことに気づいた。「○○くん、なんでグラブ変えたの」と訊いたら、「いや、実は」みたいなことで、こだわりが聞けた。また、そのことで「佐伯さん、そんなところまで見てるんですか」と、より信頼関係が深くなったということがありました。


何を書くかは、何を訊くかで決まる
何を訊くかは、何を視るかで決まる

このように、みなさんにお渡ししたレジュメにある、全てがライターとして必要な力です。「どう書くか」が主になっている講座もありますが、ここはライター講座であって、文章講座ではありません。文章力だけを磨いたところで、ライターとしては十分ではない。まぁ、文章が飛び抜けてうまければどうにか仕事になるかもしれませんが……。

何を書くかは、何を訊くかで決まる。何を訊くかは、何を視るかで決まる。そこまでがうまくいかないと、「どう書くか」では取り返せない。だから、「どう書くか」よりも「何を書くか」の方が大事です。

例えば文章は平凡でも、それが読みやすくて、内容がドラマチックであれば、読んでいておもしろいですよね? 逆に文章がいくら綺麗で上手でも、何も起きていなければつまらない。

もっというと、文章が「うまい」とか「ヘタ」というのは、結局は好みの問題だと思いますが、みなさんにもそれぞれ、好みがありますよね。村上春樹さんの文体が好きな人もいれば、嫌いな人もいる。小学生が夏休みの作文で面白いものを書く可能性もあれば、たとえ芥川賞作家でも、つまらない話しか思い浮かばなければ読んでいてもおもしろくない。

そもそも「いい文章」と「うまい文章」は違います。ピアノの演奏に例えてみましょうか。「このピアノはうまいね」というのと、そうではないときと、何が違うのでしょうか。楽譜通りで正確に弾けば、「うまい」ですか? ホテルのバーでピアノの音が流れていて、それが自動演奏だとします。それを聴いて感動して、涙流をしますか? 流さないですよね。決めつけはよくありませんが。それが別れた彼女との思い出の曲だから……という理由がなくもないので。でも、小学5年生の女の子が一生懸命、発表会で間違えながらも一生懸命弾いていたら? 何かを克服しながら練習して、うまくなったとしたら? たぶん泣きますよね、感動して心は動きますよね。やはり「いい」と「うまい」は、ちょっと違うということですね。

大事なことなので何度でも言いますが、「どう書くか」よりも、「何を書くか」が大事。そして「何を書くか」は「何を訊くか」で決まる。その「何を訊くか」は「何を視るか」で決まるということです。


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