フィーバーの裏側には知られていない真実があった 書籍の仕事まとめ#7『1980年早実 大ちゃんフィーバーの真実』
自分にしか書けないことはあるのか?
「『再検証・夏の甲子園』のシリーズで、1980年の早実を書いてくれませんか?」
編集者さんから依頼があったとき、ある不安が頭に浮かびました。
「荒木大輔さんの話は、もう書き尽くされているんじゃないか?
自分にしか書けないことって、あるんだろうか?」
資料集めと並行して、すでに書かれた本を読み漁りました。
「こんなにいい話が、たくさん世の中に出ている……」と、不安は募るばかりでした。
そこで、まず朝田賢治さんにお力添えをお願いすることにしました。
朝田さんは、1980年夏の早実で控え捕手だった人で、決勝の横浜高戦では8回に荒木大輔さんの代打として登場しました。
ご本人曰く、三塁側アルプスにいた同級生からは、「朝田が出てきたぞ」と歓声があがったけど、その何倍もいた大輔ファンの女の子たちからは「なんで大ちゃんを代えちゃうの?」とブーイングを浴びた、とか。
実は、朝田さんは僕が大学時代に所属していた軟式野球のサークル『アスコット・パワーズ』の大先輩なんです。その縁に思い切り甘えて、頼りました。
どうやって40年前のできごとの取材を進めたか?
朝田さんから快諾をいただき、まず主将だった栗林良一さんに繋いでいただきました。そして、栗林さんからは、ショートの荒木達夫さんに繋いでいただきました。
正捕手だった佐藤孝治さんとは、早大の助監督時代に面識があったのですが、取材に行く前に朝田さんが根回しをしてくださいました。
荒木大輔さんには取材でお会いしたことがありましたが、今回の取材では、やはり僕が朝田さんの後輩であることが大きかったと思います。
「当時の早実を取材した人」ということで、編集部から日刊スポーツの今西さんに繋いでいただき、今西さんには当時部長だった大森貞雄さんに繋いでいただきました。
こうして数珠つなぎのように縁をたどり、取材を進めていきました。
1980年というと、約40年前。僕自身は9歳だった夏の話です。さすがにみなさんの記憶があいまいになっています。
今回の取材では、「1980年早実」を、いろいろな視点から取材しました。
早実側の視点。対戦チームの視点。取材していた人の視点。フィーバーを目の当たりにした人の視点……。
そして、お聞きした話を、資料や他の人の話と突き合わせて、確認していました。
現場の空気も吸いにいきました。
実際に甲子園に行き、当時の早実が宿泊した「清翠荘」の跡地を訪ねてみました。今はもう廃業して、別のマンションが立っているのは知っていました。
でも、行ってみれば、何かわかるかもしれない。そう思って、突撃取材を敢行しました。
約50mほどのところにあり、今も続いている「やっこ旅館」を訪ねると、ご厚意で当時の女将さんの話を訊くことができました。
近所の家をいきなり「すみません、ちょっとお話をお聞きしたことがありまして……」と訪ねてみると、「当時のことを覚えていますよ」という女性のお話が聞けました。
少し離れたところにある食堂でご主人の話を聞いてみると、「荒木君と小沢君が食べにきたんや」という、思わぬ収穫がありました。
駅前のタクシー乗り場で運転手さんたちに聞いたり、甲子園署を訪ねたりしましたが、こちらは当時を知る人がおらず、収穫はありませんでした。
荒木大輔さんの活躍の裏には、何があったのか?
こうして地道な作業を続けていくと、それがだんだん浮かび上がってきました。
荒木大輔さんが1年生ながらエース格として甲子園で活躍した裏には、本来はエースだった芳賀誠さんのアクシデントによるものだった。
そして、この1980年夏に3年生になった代には、「王二世」と呼ばれていた阿部淳一さんがいたのですが、阿部さんが1979年の1月に事故死するというできごとがあった。
すでにいろいろなところで書かれていたことですが、よりリアルな証言が得られました。
佐藤さんのお言葉を借りると、「大輔は、阿部のことを含めれば、代役の代役だった」。
何かが起きて、そのことが次の出来事を引き起こす「バタフライ・エフェクト」。これが、この本のテーマになっています。
エース・芳賀誠さんの告白とは?
そうしているうちに、僕は「どうしても芳賀誠さんのお話を聞かないと、この『1980年早実』は完成しない」と思うようになりました。そこで、またも朝田さんのお力をお借りしたのです。
芳賀さんはあまりご自分のことを語ってこなかった人です。
しかし、朝田さんが取材に立ち会ってくださったこともあって、「当時も、後になってからも、それを言う意味を感じていなかった」という、ある事実を明かしてくださいました。
僕が芳賀さんの取材前に立てていた「仮説」は大きく外れました。朝田さんも「知らなかった……」と言葉を失うほどの、意外な「告白」でした。
(その内容は、ぜひ本書をお読みください)
この芳賀さんのお話が最後のピースとなり、「1980年早実」は完成しました。
ノンフィクションを書く醍醐味と、責任の重さ
この「1980年早実」の取材・執筆をとおして、僕はライターとして大きな財産を得ました。
人の縁のありがたさ。仮説を検証して、真実に迫る醍醐味。そして、真実を明かすことで、ともなう責任の重さ。
これからのライター人生で、この財産を生かしていきたいと思っています。
本書を読んでいただけると、1980年夏の早実の真実を知り、スポーツにおける人間ドラマの深さを実感していただけると思います。
ぜひご一読ください!
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