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未詳事件 #01 めくじら

先日、「江ノ電沿線新聞」(2020年7月1日発行)をはじめて拝読した。小規模ながら、そしてその地を知らないながら、「鎌倉」文化の香りをほのかに感じる新聞だと思った。

さて、収められたコンテンツのなかに、ぼくの興味をくすぐるコラムがあった。タイトルは「文字の關」。北九州門司の海峡を「關」とした古名に由来する、らしい。

由来はともかく、ぼくがその時に読んだ「渦・潮」は、それまでのコラムと同じであろう「文字」を取り上げて、衒学的、ときに自由闊達に空想を広げる類の文章だった。

もし揚げ足をとって、ケチ(怪事)ならぬ土をつける点があるとすれば、「蝸牛」から書き起こし、「渦」に至って「禍」に至る流れ(この「禍」は「メビウスの帯」を経て、円環的に後半に再び現れる)だ。

この流れが、左の音符「咼」にもとづいたものであることは、容易に了解されよう。事実、書き手の方も「サンズイ」から「ムシヘン」、そして「シメスヘン」へ変わると、その文字の意味が変わると書いている。

問題は、件の音符「咼」が「今では」同じ形をしているが、元をたどれば異なる、ということにある。結論から言えば、「渦・蝸」と「禍」の「咼」の形成は違っているのだ。

漢字(いや、「文字の關」の顰に倣って、文字と言っておこう)は、手っ取り早く言えば、さまざまな象形を歴史をかけて整理して成り立ったものである。ゆえに、別々の意味を持つ象形が、混乱を避けるため同じ形に整形された例も多い。

例えば、「雷」の「田」は「田んぼ」の象形とは元をことにする。「田んぼ」の「田」は、「区画された狩猟地・耕地の象形」を指し、他方の「雷」の「田」は「稲光の象形」を指す(詳しくは、大修館のコラムを参照のこと。 https://kanjibunka.com/kanji-faq/mean/q0491/)。

話を戻すと、「渦・蝸」の「咼」は「めぐるの意味」を表すが、「禍」の「咼」は「けずられ・ゆがむの意味」を表すという。とすれば、「咼」を力点に「渦」から「禍」へ筆を進めるのは、それこそ「力技」ということになろう。

ところで、ここまでウラをとるのに用いている漢和辞典にしたところで、ある程度以上は遡れない過去を持つ、換言すれば、語源の詳細は不明な漢字も多々ある。先の「雷」の「田」も詳しくは分かっていない。

話は何も漢字に限らない。卑近な例で言えば、「目」にまつわる表現、「目くじらを立てる」「目からうろこが落ちる」、いずれも詳しい語源は不明のままだ。インターネット上では、デジタル大辞泉などをそのまま引用して解としているが、実のところ大辞泉の記述も「一説」でしかない(なお、「目から鱗が落ちる」については、田中克彦『法廷に立つ言語』(岩波現代文庫)の論述を参考にしてほしい)。

言うまでもなく、「目くじら」の「くじら」は海洋性巨大哺乳類と直接の関係はない。一方で巷で吹聴されている「目尻」とも関係があるとは思えない。「目尻」は、「目尻に皺を寄せる」など、「目尻」をそのまま用いた表現が残っているのに、なぜ「目くじらを立てる」時だけ「目尻」ではなく「目くじら」なのか。

無論、ここでどう、何を書こうが妄言妄想の域を出る保証はない。未詳事件は決定的な証拠(近頃の流行りでは「エビデンス」というべきか)がない限り、詳らかにはならないのだ。しかし、あえて「一説」を捻くり出してみよう。

ヒントは「くじら」だ。「山くじら」のような代替名を考えてみよう。これは仏教による肉食の禁忌が取り入れられた後に用いられた隠語である。それまで食べていた猪肉や鹿肉などを、そのまま使うわけにはいかなかったので、このように「魚」(近代以前、クジラは魚の一種と考えられていた)の名を総称として付した。

もっとも、猪肉がクジラの肉の味に似ていた(その脂肪の多いところか)ため、と説く向きもある。同じ傾向で挙げるならば、山陰地方、とくに隠岐諸島には「山さざえ」なる生き物が存在するが、これは「蝸牛」を言ったものでこちらはその類似する形を当てはめたものだろう。次元は異なるが、いずれも類似点をもって代替名にしたことでは一致する。

ならば、目の部位のある類似点を巨大海洋生物に見立てたのか、と詰問されれば、首肯はできかねる。肝心の動詞「立てる」が解決されていないのだ。「目くじら」なるクジラと類似する部位を「立てる」とはどういうことか。

管見にして浅学の身のゆえ、確言はできないが、目に関する表現は、その成立が古いのか、「奥ゆかしい」、いや、玩味に富んだものが多い、と思う。「眉根」は「顰める」ものだし、先の「目尻」には「皺を寄せる」。単純に「立てる」「下ろす」は、近代後の「開花」の匂いがしてならない。ぼくは、別の観点からアプローチしてみたい。

穿孔に用いる大工道具「抉り(くじり)」をご存知だろうか。フォルムは千枚通し「界」のボスを思わせる、堂々たる出で立ちである。元来は「紐をほどく角飾り」を意味したようだが、いつ頃からか「穴を開ける」「穴に爪先をいれて引っ掻き出す」などの意味の広がりを見せた。

注目したいのは、錐の形状の方である。先端の尖ったものならば「立てる」との結びつきは、自然でかつ「古くからある」と考えられる。また、「目くじらを立てる」の意である「粗探しをする」にも通じる。何となれば、抉りをつかって紐をほどく様を描けば合点が行こう。

紐をほどく時には、結び「目」に「抉りを立てる」からだ。ほどくのに容易な箇所、つまり粗い結び目を探して、そこに抉りを立てる。この光景が、年月を経て「粗探し」から「責める」意味へと変じた、と考えられなくもない。あるいは、結び目に抉りを立てた様を「目くじら」と称した、のかもしれない。

いずれも推測の域を出ないが、インターネットに跳梁跋扈するコピーペーストの所業以上に、少しは未詳事件について云々できたかもしれない。

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