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【力】運命の人 後編

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【力】運命の人 前編

希望のない状況などない。ただ、希望がないと考える人々がいるだけだ。

アーサー・エドワード・ウェイト

ひょんなこと リターンズ


どん底に落ち切ってしまうと、
救いの手は差し出されるものです。

追い出されたその日は空きのあるバックパッカーが見つかり、
その後、すぐに住み込みのオーペアの仕事を得ました。


失恋で心を痛めながらも、
小さな子との時間はその日生きるには十分なくらいの
心の癒しをくれました。

週末は仕事がないので、
ひたすら歩きました。
ある日歩いていると、いつの間にか、
彼と、彼の娘とよく訪れた
大きな自然公園に着いてしまいました。

私にとってもお気に入りの公園だったので、
そこで一休みしました。

思い出がたくさんのエリアに行ってしまうには
まだ、辛いため、
あまり行ったことのないゾーンの広場で
寝転んで一休み。
初めてこの地に降り立った時と同じ
カラッとした涼しい風が
頬をなで、慰めてくれます。


その時、声がしました。
私を呼ぶ声です。
彼の娘が、私を呼ぶ声です。


予想だにしない、偶然でした。
「なぜここにいるの?」と聞かれ、
「この市内で仕事見つけられたから。。」という、
ちょっとズレた回答をするくらいには
パニクりました。

この公園の遊技場で遊んで帰るところだったが、
ベビーカーを押す彼自身が
歩き足りなかったため、
遠回りしようとこちらに来たそうです。

あの夜から、3週間ほど経っていたでしょう。
お互い、冷静に話ができる状態になったので
歩きながら話をしよう、ということになりました。

彼はあれから考え、
私を突然追い出したこと、
そして、お酒に興味のない私が飲んでしまうほど
追い詰めてしまったことを詫びたいと思ってたそう。

私も、冷静さを欠いた行為をし、
迷惑をかけたことをちゃんと謝っていなかったので
この場を借りて詫びました。

そしてお互いの近況を共有し、
なんとなく"いつものように”して
彼の家に来てしまいました。

ーーーーー

私たちは何事もなかったかのように
元さやに戻りました。

しかし、再びタイムリミットは訪れます。
私のワーキングホリデービザは1年の期限。
その後のビザのことを考える間もない目まぐるしい日々で
気づけば残り1か月となっていました。

彼に、帰国しなければならないことを話すと、
それ以来彼はいつもの彼ではなくなりました。

すっかり黙り込み、小さなことで爆発するように怒る。

彼は同じように愛する者二人が
真反対方向に歩き去っていく思いだったのでしょう。
どうにもできない現実に
まさに張り裂けそうだったのでしょう。


私は自ら別れを告げました。
この後訪れる避けられない別れの瞬間を思うと、
一緒にいる事それ自体が拷問に感じられるほど
愛おしかったから。

ワーキングホリデー最後の一週間は
観光地を巡ってみました。
もちろん、一人で。
白黒のフィルターを掛けたような旅でした。


。。。お金もったいないからやめときゃよかった。




ーーーーー
旅が終わり、国際空港のあるオークランドに戻り、
中心街の駅に降り立った時、

彼がいました。


旅行の予定と戻る日は告げていたのです。
彼はこの日、私を待ち伏せするため
仕事を休んで一日中駅に張り込んでいたそうです。


好きじゃなかったら警察沙汰。



「別れている間、ずっと君のことを考えていた。
もう、二度と会えないかも知れないって。
そう思ったら、娘にも向き合えなくなったんだ。
君と3人で作った思い出がありすぎるから。
娘は、僕の娘だ。
彼女の人生を放棄することはできない。
どこに居ようと、僕は彼女の父親で、
娘は僕の娘なんだ。

だから、まだ君が僕への気持ちがあるなら、
君との関係を続けたい。
ここで君と別れてしまったら、
君と僕はそれまでになってしまう。
どうしても、それを受け入れることはできない。





結婚しよう。」





人々が行きかう中心街の駅で、
彼は跪き、プロポーズしました。

反射的にでたのは
「YES」の一言と、大粒の涙でした。






映画ならこれがエンディング

しかし、人生は過酷なことに、「結婚がゴール」ではありません。
【信じる力】が試される試練は、ここからはじまるのです。


ーーーーー

私が日本に帰らなければならない事実と、
彼がどちらかをとればどちらかと離れ離れになるという問題は
「結婚」という決断で
ソリューションを見つけました。

つまり、私の永住権取得の準備ができ次第
ニュージーランドに戻ってくる。
彼は私と日本に行き、
婚姻関係である証明をつくる。
娘との別れはそれまでの
2、3年だ、と考えれば
彼は耐えられるという事でした。



前編でも触れた通り、
私の【信じる力】は土台がなく
グラグラしていたのですが、
当時の私には知る由もありません。
この決断になんの疑いもありませんでした。



ーーーーー

日本には結局1年半いました。

そして、ビザ申請と心の準備ができたから、
と言わんばかりに
ニュージーランドに戻ってきました。


次の居住地は首都、ウェリントン。
風が強く、変化の激しい気候の土地です。


夫の娘は当時4歳になる直前でした。




人生初期に信頼した大人が離れていく
という経験が、
その後どれだけの影響を及ぼすか
このときの誰も、知りえなかったのです。




ただ、単純に再会を喜び、
戻って来たこと、
これから頻繁に会えることを
ただ、言って聞かせました。


以前と同じように
『週末のみ預かる』というルーティンで
私たちは同意しました。

彼女と出会った当時、夫の娘は
人見知りの時期に私に心を開いてくれ、
男性に不慣れだっため、
私が彼と娘の懸け橋になっていたところがありました。


夫の娘はこちらに来るのを嫌がるようになりました。

私を拒絶するようになり、
話をしてくれなくなりました。


今ならわかるのです。
安全地帯の確保がこの時期の人間にとっての
一番のミッション。
母親を離れることは
「安全地帯を留守にすること」。
これほど怖いことはないでしょう。

母親になったことがない私は、
そんな小さな子の生命の危機を脅かしているなんて思いもせず、
「私が何とかする」と
意気込んでしまいました。


彼女の母親になろうとしたことが
一番のミステイクだったと振り返ります。

怖い時、不安な時、悲しい時、痛い時、
欲しいのは親の愛です。

私は、どんなに修復を試みたって、
‟彼女から父親と母親を引き裂いた者”
に変わりなく、
それは純粋無垢な4歳の彼女にも
自覚せずとも芽生える感情で、
それをないものとすることは不可能だと
知るべきだったのです。

子供が大好きで、2歳の彼女の心を開き、
「子供の扱いには長けている」と自負し、
自分の判断が正しいと
勘違いしていた
私は
間違った方向に頑張ってしまっていました。


この時に戻れるなら、
私はもっと距離を取ってあげたと思います。
彼女が父親との信頼関係を
もっと確固たるものにし、
父親の家で‟安全地帯”を見いだすまで
離れておく、という気遣いをすべきだったと思います。

私は‟母親”なろうとしてしまったあまり、
焦って、‟家族の輪の中”に入ろうとしました。
その‟輪”がいびつな形をしていることを無視して。
その行為は信頼関係を築こうとするものであるのにも関わらず
皮肉なことに逆に壊していくことになったのです。

【信じる力】に土台がないと、
自分を過信して人に信頼を強要したり、
コントロールしようとしたりして
ぐらん、ぐらんと激しく揺れ、
最後にぽっきり
共倒れしてしまうのだと、
やっと知りました。

自分の非をを認めるのには9年の時間を要しました。


【力】

カードに描かれる獅子は
獰猛な本能を象徴します。

愛したい、
なのに愛せない。
彼と娘と人生を共にすることは
私の中で頻繁に暴れる
本能の獅子
【信じる力】で手なずけること、と言えます。

ご想像の通り、
困難極まりなく、苦しく、辛い旅路です。



書いていてやっと気づいたのです。
『私は、
子供が大好き、子供の扱いに長けている』
この自負を、
アイデンティティにしてきたのです。

たった一つ、こちらに持ってきた
私のアイデンティティが否定され(たと思ってしまい)、
私は虚無の獅子を心に飼うことになります。
そして度々その獅子に蹴倒される9年間でした。


何度もよぎりました。

私の決断が間違っていたのかもしれない。
この人と一緒にいると、
私は幸せを見つけられなくなるかもしれない。

実際、最初の3年間で何度か別れたし、
復縁しても、
ぽっきり折れた【信じる力】から生まれた
虚無の獅子に翻弄され続けました。

それから、
本当の母親になれば、
私の心は少し満たされるかもしれない。と、
さらに私と夫は二人で大きな決断を下します。


何が正解かわからないながら、
孤独と虚無と戦った旅路の中で、
授かった双子は宝物です。
本当の母親になれたことで
やっと、学びを得られたのですから。

しかし、厳しいことに、
母親になることがすなわち
私の獅子は手なずけられる』
といえる自分となるほど、
そんな簡単なものでは
ありませんでした。

大暴れした私の獅子が
コントロールできるようになったきっかけは
「二元性を認める事」でした。
(是非こちらの気づきもお読みいただきたいです。)

本当に最近。
獅子がおとなしくなったころには
彼女は「この家での顔」で私たちと接するようになり、
「おりこうさん」にして
且つ本音を言わない態度になっていました。

夫の娘との心の距離は、
埋められることはなく、
彼女が思春期を迎えました。

私情なので理由は言えませんが、
彼女は、私たち家族とは
もう住むことも、たまに会うことも
できなくなりました。

「私は、一人の人生の大事な時期に
大事な人を奪ってしまい
その結果もう取り返せない関係性を
作ってしまった。」
そう、長年自分を責め、痛めつけてきました。

だけど、そうして、自分を責めるのは
終わりにしました。
取り返せない過ちを、背負い続けても何にもならない
と知ったから。
私は
この学びを血肉にして
獰猛な本能の獅子を
【自分の人生を認め、自分を信じてこれからも学んでいく力】
でコントロールできるようになりました。



彼女とはまた新しい関係が築ける。
彼女がそうしたくなったとき、
いつでも迎えてあげられる。
その心構えを持って
気長に彼女の帰りを待つことにしました。
良くも悪くも私たちの縁は
夫と家族である限り
つづくのだから。

どこにいたって、
どんな感情を持ったって、
私たちは
家族です。



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