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声を上げるのは難しいとみんなが知っているからこそ

■知ることができるありがたさ■

境治さんの『「メディア酔談」を見て考えたこと、あなたも発信しませんか?』とのお誘いに乗ることにする。ブログに書こうと思っていたけれど、noteは使ってみようかなと考えていたところだったので、ちょうどよかった。

相澤さん、赤木昌子(仮名)さんのおかげで、事件の詳細、赤木俊夫さんの人となり、ご夫婦の仲睦まじい様子、温かい親族の皆さんとの関わりを知ることができて、本当にありがたい。

重大な問題に絡んで、関係者の方が亡くなってしまって、その後詳細がうやむやになっているケースは、これまでにもたくさんあった。ふと、あの事件はどういうことだったんだろう、あの人はなぜ死ななくてはならなかったのか、と思い出すことがある。しかし、一般人である私には、報道された以上のことを知ることはかなわない。

しかし、気になってはいるのだ。真相を知りたい。うやむやはやめてほしい。筋を通してほしい。政治家からは「連休を挟めば国民は忘れる」などと言われたりするが、悔しい。忘れてなどいない。知る手段がないだけ。

どんな人が、どんな思いで何をしてどうなったのかという物語は、わかりやすいし、感情移入しやすい。そしてまた、本来、誰もが人生の主人公として何らかの物語を持っているはずなのに、森友事件のような国政が関わる大きな問題で、末端の公務員が亡くなったということでそこまでの詳細は、たぶん「あえて」取り上げられない。政治家は早く忘れてほしいと望んでいるし、報道する側は、それを恐れるということなのかなと想像する。

震災や事故で亡くなった方の物語は新聞などでも取り上げられやすいのと対照的。

だから、今回、詳しいことをどんどん掘り下げて発表してくださるのは胸のすく思いがする。

■理不尽の記憶が重なる■

赤木さんの追い詰められていく状況が明かされてわかったことは、「はっきりと意図的に追い詰められた」ということだと思う。抵抗したにも関わらず改ざんに手を染めさせられ、異動を希望したのに逆にひとり残された。知らぬ間に資料が廃棄されていた。亡くなった時の「さぐり」の入れ方、口止めの仕方は、確信犯的なものを感じさせて空恐ろしい。そして上司たちは異例の昇進。

ひどい手口だが、似たようなことは、日本の至るところで行われているのではないか。会社の方針に沿わない社員には、ストレスをかけて精神的に追い込み、休職させ、いずれ退職してもらうように仕向けるなど、珍しいことでもないと思う。

至るところで行われているからこそ、理不尽に振り回された悔しい経験を持っている人もたくさんいる。そういった人たちが共感し、いてもたってもいられずに赤木昌子さんを応援しているというのが、ひとつ大きな動機ではないだろうか。

少なくとも私はそう。これまでの色々な場面での悔しさを、重ねてしまう。

■知られないことの危険■

DVや虐待でもそうだが、「密室」がいちばんよくない。「見られていない」「知られない」と信じられる状態があると加害が発生し、エスカレートもする。会社の問題も国際紛争も、その点については共通するものがあると思う。だからこそ、戦地においてジャーナリストが抑止力となると考えられている。

DVや虐待で、加害者が被害者に「誰にも言うなよ」と脅したとしても、それに従わなければならないいわれはない。実際には様々なケースがあって、命の危険にさらされる場合もあるので「従う必要はない」と一概に断言はできないしハードルは高いけれど、「誰にも言うな」との指示が正当か不当かといえば、少なくとも不当ではある。本来被害者が色んな人に伝えて解決策を探ったり、助けを呼んだりするのは自由のはず。

それなのに、加害者は脅しで被害者をコントロールできると信じている(信じていないと平静を保てないのだろう)。

当事者だけだと解決が難しい問題は、第三者に知ってもらうことではじめて、状況改善への道が開くことになるケースが多いだろうと思う。

■声を上げることが難しいからこそ支持される■

暴力の加害被害ということと、改ざんをさせられた赤木さんの問題とは、まるっきり一緒にしてしまってはいけないのかもしれないが、力関係の構造は似通っていると思う。

赤木さん本人は望んでいないのに改ざんの「共犯」にされ、声を上げられない状態に追い込まれ、無念にも死にまで追いやられてしまった。さらに遺書は公表しない方がいいなど遺族にまではたらきかけがあった。昌子さんのお兄さんは、妹に何かあったら困ると心配したとのこと。

社会の中で、精神的に追い込まれたり、退職までせずとも、大きな力に個人では抗えずに、矛盾を飲み込んだり、あきらめたり、見て見ぬふりをしたり・・・そういった経験は多くの人がしていて、また、黙らされている。

理不尽に対し、難しさを覚悟で声を上げるという赤木昌子さんの行動には、多くの人が心動かされた。なぜなら自分たちはたくさんのものを飲み込んで声を上げずにあきらめていたから。

もちろん声を上げてきた人も連帯を望むに違いない。でも、それ以外の、これまでは黙ってきた人たちがはっとさせられ、その思いを、週刊誌を買うとかネット署名をするとかの具体的な行動に移したからこそ、ここまで支持の輪が広がっているのが目に見える形になっているのだと思う。

私も昌子さんの勇気に敬意を表し、応援しなければと思ったひとりで、週刊文春なんて、ほんとに初めて買った。その後も目が離せない。週刊誌の発売日を気にするなんて、したことがなかったのに。

そしてまた、大きな力に挑むということで、身の危険も当然あるだろうという緊張感もある。こうなったら昌子さんも、相澤さんも、境さんも、発信を続けて注目を浴びている方が安全だと思う。私たちが注目すること自体が危険回避の一助となるのではと思っている。「世論を盛り上げるにはどうしたらいいか」というテーマは、そういう意味でも非常に重要だと思う。

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