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東京と九州

2018〜2019年度の2年間、霞ヶ関(東京)に出向して、このコロナ真っ只中にこっそり帰ってきた。

はじめは、東京なんて人が住めるところじゃないと思ってて、行きの飛行機では泣いたりもした。

でも振り返ってみるとあっという間の2年間だったし、九州にとどまってたら見れない世界があった。視野も考え方も広がって、ほんとに行ってよかったと思う。

【遊び】
期限付きだから、できるだけ時間を無駄にしないように、東京でしかできないことをした。

・インスタ映えのグルメ
記録のために、毎回ストーリーに挙げた。
今まで無関係だと思ってたテレビで紹介されたお店に行けるのが嬉しくてしょうがなかった。こいつはいつも何か食ってんな、と思われてたと思う。
でも、毎回楽しみにしてるよと言ってくれる人もいて、きちんと店の位置情報も載せて、せめて誰かしらの参考になるようにした。
最初の1ヶ月はパンケーキばっかり食べて体調が悪くなって、自分は糖質に弱いんだってことにも気づいた。

・番組観覧
芸能人に会いたくて、暇になれば応募して、何回も行った。月曜から夜更かし、さんま御殿、アッコにおまかせ、エンタの神様、世界丸見え、ほんまでっかなどなど。。。
そしてそして憧れの嵐にしやがれ!!泣
セットチェンジのときに、松潤が自分でステージに椅子を持ってきて、今日どこからきたの?とか雑談して暇つぶししてくれたのが印象的だった〜
あとグルメデスマッチで、翔くんはカメラに映ってなくてもうめぇうめぇってずっと食べてて、だから太るんだろなと思った笑

・バスツアー
はとバスに乗って、日光東照宮とか、スカイベリー狩りとか、イルミネーションとか見に行った。おばちゃんが行くイメージだけど、意外に若者多い。ただバス乗って移動するだけだけど、朝早いし、ハードスケジュールで常に時間気にしないとだし、かなり疲れる。でも運転できない自分にとってはいろいろ行けるし企画しなくていいしコスパ最高。

・占い
前からテレビで見てた魚ちゃん、横浜中華街のGoogle検索No.1のタロット占い師、新橋のがんばりんしゃい などなど。。。
有名な人たちに占ってもらえるのも都会ならではだと思う。


【生活】
・寮生活
初めて、不自由極まりない住居に住んだ。個人のスペースは畳9畳のみ。
水回りは全部共同で、他の住人と会ったときは気まずくて嫌だったけど、なんだかんだ世田谷区で2万ちょいで住めたから文句は言いません。住居に関しては意外と耐えられるってのも新たな発見だった。

・満員電車
乗車率150%の田園都市線。遅延があった日には肋骨折れるくらいぎゅうぎゅうなときもあった。でもまぁこれもいい思い出。
渋谷と表参道が定期区間内で買い物もランチも行きまくってたなぁ〜

【仕事】
これはまた後日。。。

【人付き合い】
学生時代の友達は多かったものの、職場はほぼゼロからのスタート。心細かったし、取引先との距離感がわからず怒られることもあった。

東京は人が多い分、無限に出会いがある。
メールのやり取りしたことがある、同じ地方出身、とかだけですごく親近感が湧く。
2年間だけでも、知り合いはかなり増えた。
上司には恵まれなかったけど、仕事で広がった人脈は財産だと思う。

いろんな人がいたけど、総じてみんな、人に頼る前に自分で何とかする意識が高い気がした。
わかんなかったら人に聞けばいいやっていう自分の甘さを見直すことができた。


【全体】
都会にいる人はみんな忙しい。

仕事の量も、遊び方も、行きたい場所も、無限にある。
やりたいこと、やらなきゃいけないこと、そのためのツールが多すぎてパンクしそうだった。

プライベート調整すればいいじゃん?って話だけど、欲深くてケチな私は、限られた時間に何もしないのが損してるようで、土日もガチガチに詰め込んだ。

それなのに、通勤時間、残業時間、上司の悪夢にうなされる時間、、、無駄な時間が多すぎた。

結局、家帰ったら死んだように寝るだけ。
人間らしい生活ができなかった。

東京は楽しかったけど、きちんと人間らしい生活がしたいと思って、九州に帰ることにした。


【九州に帰ってきて】
無駄な時間が減り、友達や家族のことを考え、自分が将来どうしたいのか、見つめ直す時間がある。

掃除も料理も嫌いだったけど、やるようになった。

東京で顔中にできてたニキビがほとんどなくなった。

人はみんな優しくて、温かい。

少し物足りない気がするけど、戻ってきて良かった。

丁寧な生活ができるありがたみを噛み締めている。

やっぱり私の居場所はここだ。

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