有り難さを忘れない
実は私、現在家探しをしています。
両親がバックアップしてくれるおかげで、自分の希望をある程度叶えられそうな目処が立ってきました。
いくつか家を見ながら、家族のサポートについて改めて感じたことを書きますね。
絶対味方になってくれる人
何があったとしても、自分の味方でいてくれる、自分を信じてくれている人。
あなたにはいますか?
どんな立場の人でもいいです。
どうですか?
きっと皆、一人くらいはいるんじゃないかな?
よく考えてみてください。
離れていたとしても、あなたのことを何かしら想ってくれている人。
影でもしくは近くで、成長を支え、喜び、あなたの幸せを願ってくれている。
本当に困った時は、手を差し伸べてくれる準備がある。
時には本気で叱り、それでもあなたのことを応援してくれている。
そんな人。
もしいるとしたら、それは誰ですか?
血という繋がり?
もちろん人によるとは思うのですが、そういった繋がりはやはり家族の中に多いのではないかと思います。
私にとってのそれは、両親です。
私は血が繋がっているとはいえ、皆別々の人間である以上、すべての人は他人であると思っています。
家族、親子だからといって、同じ人間はいませんよね?
皆それぞれの人生を歩んでいます。同じ人生は一つとしてありません。
それでもやはり、その両親に育てられたこと。
そして半生を同じ家で生活して来たこと。(ちょうど最近半生を過ぎたあたりです)
私はDNAでの繋がりがどれほど思考や社会性に影響を与えるかはよくわからないですが、環境からの影響というものの強さはよく体感しています。
だから、成長期という大切な時期を一緒の環境で過ごすということ。
血の繋がりよりも、その環境が親子を親子たらしめているような気もしています。
環境で価値観が作られる
環境が親子の繋がりを作る。
そして、子の価値観は環境を共にする親の価値観がベースになっていきますね。
親が当たり前だと思っていることは、大体子も当たり前だと思っていることが多いということです。
もしかしたら地雷とかも似てるかもね〜😏
これはもちろん、子の価値観としてはあくまでベースで、成長したり他の環境に移ったり(親から離れたり)すればどんどん変化していくのが普通です。
でも結構このベースになる価値観って根強く残ってることが多いんですよね〜
私もたぶん父と価値観がとてもよく似ていました。
今はだいぶ長いこと離れて暮らしているので、たまに会って父の価値観を感じると「私とは違うな〜」って思うんですが、一拍置いて「いやこれ昔の自分だわ🤣」と気づく、ということを繰り返しています🤣
それ、ホントに当たり前?
こうやって根本の価値観を共有することによって、大切なことを見落としてしまうことがあると思っています。
親と子の当たり前は似ている、ということをお話ししました。
そこから生まれやすいのは、
「〜してあげるのが当たり前」「〜してもらうのが当たり前」というお互いの誤解です。
これは親と子だけに限らないです。
何かしらとても親しい間柄の人で起こりがち。
でもね。
それって全く当たり前じゃないですから‼︎
と声を大にして言いたいわけですね🤣
何かをしてもらった時、当たり前だからで済まさず、よくよく考えてください。
それが二人の関係性以外のところで、起こったとしたらどう思うか?
おそらくほとんどがあり得ない、「有り」「難い」ことなのではないでしょうか。
「親しい仲にも〜」という言葉があります。
親しいからこそ見落としがちだから、常にそれが当たり前ではなく、有り難いことだということを心に置いておく。
親しい仲にも「礼儀」と「感謝」を忘れずいることがとっても大事ですよね🤍
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