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【大石惣一郎の想い】岩首談議所は皆の実家・・・!!!

元・岩首棚田・とき共生みらい・三代目代表
現 岩首談議所代表 大石惣一郎

「岩首談議所みらい会議」に向けて、佐渡岩首も、岩首談議所も、棚田GG(自分:大石惣一郎を本文書内ではこう書かせていただきます!)も知らない方々に向けて、少しだけ自己紹介をさせていただきます。

棚田GGの自己紹介

1952年1月22日(水瓶座)B型は、旧両津市大字岩首 彦三(屋号)家長男として誕生するも、残念ながら戦後の食糧難の中、超未熟児で誕生。周辺の方々からは今度も2歳まで生きれば良いと言われたらしい!(姉が3歳で亡くなっています)そんな訳で、中学卒業までは「前へならえ」の経験無し・!(笑)しかも、小学校1年生時代1年間は、近所のお兄さんが毎日迎えに来てくれないと小学校に行けない子供!と言う何とも情けない子供時代を送り、母子家庭で未熟児、結構ないじめ対象児だった様な記憶が有る。そんな訳で、岩首と言う田舎が大嫌いで、東京と言う大都会に逃亡する!

その後の大波乱人生は、時間が有ったら?「みらい会議」で話しますか・・・(笑)
そんな軟弱少年が、東京で出会い今日まで支えてくれるパートナーと、娘を連れて、母の見守りに帰省したのが35歳、気が付いたら70歳の不要高齢者?に成っていた・!(笑)

タバコを辞めたらと聞くと
「高齢者から楽しみを奪うなっ!」といつもケンカする

<旧岩首小学校の有効利用を考える会(岩首談議所の前身)設立経緯>


帰省後、都会での精神的疲労を癒す為と、集団生活が苦手な棚田GGは、母が一人で守ってきた棚田で生活出来ないかと思ってしまい、棚田百姓にチャレンジする事にする・!

子供のころ手伝っていた時に感じていたことは、大正解。棚田作業は重労働で、しかも金に成らない!と言う悲惨な結果と成ってしまうが、真夏の炎天下の草刈りで、体内の水分が全部無くなってしまったのでは、と思うくらい汗をかいた後の湧き水の美味さ・!

木陰に腰をおろした時に吹く里山の風と、吸うタバコの心地よさ・!都会では味わうことの出来なかった、心の解放感を得ることは出来た。しかし、生きる為の資金を得ることは棚田百姓では出来ず、東京では結婚以来働かせなかったパートナーに働いてもらい、自分も時間を見つけてはアルバイトに明け暮れた・・・

そんな中、平成の大合併で、佐渡島は1市2村7町の10自治体が1つに成ると言う!旧両津市時代は市の最南端に位置し、隣は旧畑野町と言う行政境で、諸所のことが後回しにされていると何時も感じていた。
だから棚田農業にも目が向けられないのだ!と言う変な思考に成って行った。それが10の自治体が1つの大きな自治体に成ったら、「大男総身に知恵は周りかね」で、全く忘れられた村に成ってしまう。「誰か新しくなった行政に発言する人を今送り出さなければ忘れられた村は、悲劇の村に成ってしまう!」などと言う暴言を発してしまった・!
耳を傾けてくれる人はほとんど居なかったのだが、小1の時1年間、毎日面倒を見てくれた先輩が、体調不良もあり、仕事を早期退職し隣に帰って来ていた。「お前の言う通りだ!二人で挑戦しよう・!!」と、考えても居ない方向に話は決まり、元革新系の暴走爺と、政治批判ばかりしていた、政治嫌いの棚田GGと言う、誰にも見向きもされない異色チームが合併半年前に誕生した・!

<佐渡市議員への挑戦>

棚田GGの僻地から今声を上げないと棚田地域と言われる地域は生き残れなくなる!と言う声は、少しずつだが、耳を傾けてくれる人は増えて来た。もともと人の少ない地域であり、周りからはあいつは絶対に議員選に受からないと言われ、自分でもそう思っていた。でも、少しは風を吹かせることは出来たのでと思っていたら、先輩の人望と、周りの人達の頑張りで、ギリギリに当選枠に滑り込んでしまった。

後は、地獄の様な4年かを過ごすのだが、只ひたすら、棚田と僻地の現状を訴えていた気がする。そんな中で旧両津市時代から、前浜地域に有る3つの小学校の合併問題が再燃する。老害権力者の足の引っ張り合いとしか思えない合併協議会、棚田GGとしては、「現在子供の居る家庭、これから子供が出来るであろう家庭の人達で話し合ってもらい、その結論に地域は従う!」の提案を出し、旧岩首小学校は128年の歴史に幕を引くことと成る・!

自分で幕を引いた小学校だが、棚田GGの母校でも在り、昭和19年~22年の戦争真っ只中から戦後の動乱期に、村の里山から全ての木材を切り出し建てた、岩首村の象徴的建造物!木の温もりを、命ある限り残したい!と、此処でも、集落の多くの反対意見の中で、暴走爺と棚田GGは何とか乗り切り、耳を傾けてくれた長老に1年間限りの約束で代表に成ってもらい、「旧岩首小学校の有効利用を考える会」はスタートした・!!!

議員の時の写真くれって言ったら渡されたtaspo
「選挙ポスター写真入りのtaspo」

<「岩首棚田・とき共生みらい」への名称変更>

長老との約束が過ぎた2018年6月、合併後最大のイベント「トキの野生復帰」が行われた!そんな中、いつまでも「有効利用を考える会」は可笑しいと言う意見が出て来た。そこで、トキとか環境とか生物多様性などに、全くと言って良いほど興味のない岩首だからこそ、トキ放鳥の年だから、時代に合った名称にしようと、先輩と2人の独断で決めた名称が「岩首棚田・とき共生みらい」である・!

<「岩首談議所」への名称変更>

名称変更をしたものの、あまりにも2人の独断的思いが強すぎるとの意見も有り、旧岩首小学校の使用許可願いの時からお世話に成っていた、東京工業大学 桑子教授のご指導を仰ぎ、桑子先生の、議論する場所では無く、地域と里山のみらいへの想い(義)を語る場所にしましょう・!」というご意見を基に「岩首談議所」と成りました・!開所式には、佐渡市初代市長:高野市長、初代議長:梅沢議長等も雨の中、参加下さいました。その時、桑子先生が作ってくれた旗印が「た た た」の三文字の真ん中に「さ」の字と言うシンプルなものです・!

「た た た」の旗印

さて皆さん、ここで問題!これは何を意味するでしょう・?(笑)これが解れば、今を生きる先進的若者に棚田GGが認定します・!(笑)
「さ」は佐渡でしょ?は正解!問題は三つの「た」です。1の「た」は、里山・棚田なので、農林水産省の提唱する「農業の持つ多面的機能!の、「た」。2の「た」は、環境省の提唱する「生物多様性の、た」3の「た」は、国土交通省の提唱する「多自然河づくりの、た」だそうです。その3個の「た」の真ん中に佐渡は有る!と言う意味だそうです。そうです、今更何です、SDGs宣言なんて、「岩首談議所」は16年前からSDGs活動しています・!!!

<そして「岩首談議所みらい会議」に向けて>

先に述べた桑子先生提案の「3た活動」を中心に、岩首談議所スローガン「あきらめてはならないものがある 失ってはいけないことがある」を大切に16年間 活動して来たつもりです!対象者は、島外の大学生を中心とした若者達や、「岩首昇竜棚田」を愛し、応援してくれる消費者や企業さん、コロナさん前は、年間延べ人数600人を越す学生さんが来所下さいました。単純計算で約10,000人の関係人口を岩首談義所は生み出したことに成ります。その中には、移住して地元大学の先生に成られた方、移住してゲストハウス経営などをする起業家さんに成られた方、移住して今や佐渡の人気絵描きに成られた方等々、佐渡の元気にそれなりに貢献してきていると思います。外の方々に佐渡・岩首の魅力を知って欲しいが強すぎて、来訪者と集落民との関係性構築が少なかった結果だと言われれば、そうかもしれませんが、開所時よりも住民との溝は広がったかも知れません。
でも「竹灯りの集い交流会」や「横浜市立大学料理部・夕食会」等の開催は、それなりに楽しんで頂けたと思っています。3人の協力隊員の受け入れも出来、村に元気注入が来ました・!

これから、元気青年:村山凜太郎君と楽しいことをしようと思っていたら、建物の老朽化
を理由に解体の話が出て来ました。

「ただいま~」「おう、お帰り~」そんな、皆の実家、第2の故郷が消えそうです・・・
皆が付けてくれた名称「岩首昇竜棚田」で汗して、新しい故郷づくりをするアイデアを「岩首談議所みらい会議」で談義しましょう・!!!
この会議が、佐渡の棚田地域の「みらい指針」に成ることを願っています・!

                    BY棚田GG:長文御免さいです

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